36
口に手を当てながら、リズレッドは過去に訪れた同胞の行方を考えた。
途中で任務を放棄して蒸発したという可能性も低かった。諜報員は指名制だが、拒否権はきちんと認められていた。無理強いをして送り出したりすれば、密偵が他国に寝返る可能性があるからだ。あくまでも愛国に湧く者に与えられる任務で、そんな者が突然それを放棄するとは考えづらい。
「本当にここには、他に稼ぐ方法はないのか?」
「まあ、あるっちゃあるが……あとは夜の蝶とか、その辺りだな」
論外だった。あの街はエルフにはそぐわなさすぎる。
だが、だとすればそのエルフは、どこへ消えたというのか。
「ま、考えてても仕方ねえか。あんたら長生きなんだろ? そのうち、ぱたっと偶然出会うかもしれねえぜ」
「そうだといいが」
特に気にするふうもなく言う主人に、リズレッドも軽い口調で応えた。
実際、五年も前にふらりと訪れたエルフに行方など、探しようもないのだ。それに彼女にはいま、ラビという相棒がおり、仲間がいた。それだけで十分だった。
「今日はこれから?」
「鑑定士のところと……あとは、腕の良い武器屋を探す」
「鑑定士と武器屋? そいつはまた忙しいな」
「ラビの武器――この都市に着く前に破損した剣だが、妙に彼がこだわっていてな。最初に使った剣は確かに思い出深いものだ。復元は無理でも、折れたと刀身くらいは打ち直してやりたい」
「ほう……あの坊主も、罪な男だな」
「罪……?」
リズレッドの片眉がぴくりと吊り上がった。
彼女もここ数ヶ月、彼が己の罪に悩んでいたことを察していた。ひとりの男を手にかけたという罪悪感を。
自分も昔、同じ悩みを抱えていた。人ではなく魔物でさえも殺せぬほどに。だが兄として慕った騎士団長から騎士の心構えを教わり、罪悪感が消え去る前に新たに命を奪う日々を送るうちに、それは次第にわからなくなった。消え去ったのではなく、あまりにも自身の心を染め上げてしまい、罪悪感を感じる潔白の部分がなくなってしまったのだ。そして力のない者の代わりにそうすることが、騎士であり英雄の勤めだとも教わった。
だがラビは違う。
彼は騎士にも、英雄になる気はない。純白を染め上げるほど血なまぐさい日々を送っているわけでもない。
だからきっと、あの男を手にかけたことに長く苦しむのだろう。
主人が告げた『罪な男』というのは、それを揶揄した言葉なのではと彼女は受け取った。
大切な相棒が苦しんでいるときに、それを無下に突くような真似は、たとえ世話になっているオズロッドの知人である主人でも許し難かった。
「それは、どういう――」
「こんな良い女に、そこまで甲斐甲斐しくされるなんてよ」
吐き捨てるように主人が言った。
リズレッドは、咄嗟に自分がなにを言われたのかわからず、きょとんとなった。
そして次の瞬間、それがどういう意味なのかを理解して、思わず苦笑した。
無駄にささくれ立っていた自分に気付かされたのと、
「私は、良い女などではないよ」
そんな称され方をされたのは初めてだったから。
「生まれてこの方、女性らしいことなどしたこともないしな。ずっと剣を振り続ける毎日で、それは今も変わらない」
「ははあ、なるほど。自覚なしってわけか」
「どういう意味だ?」
「いや、なんでもねえ」
本気でわからないといった感じで訊いてくるリズレッドに、主人は手のひらを天に向けて仰いだ。ここまで自分の価値に無関心な奴には初めて会ったとった風に。
エルフは自分たちが、どれだけ容姿に恵まれているのか気づかないのだ。ずっと同族で暮らし、閉じたコミュニティで活動してきた彼女たちには、他者と自分を比べるという慣習がない。
と、そこでふいに、アラナミの外でざわめきが湧いた。
この街は喧騒の絶えない、お世辞にも風紀の良い街とは言えないが、そのざわめきはどうも様子が違った。
「なんだ、この騒ぎは」
主人がカウンターの奥へ設置されている窓から外を覗きこみ、合点がいったように頷いた。次いでリズレッドも窓へ歩み寄り、同じように外の様子を確認した。
街路には人だかりが形成されていた。野次馬として見物する外周が、鎧に身を包んだ兵士たちに視線を投げている。数は五人。鎧は上から下まで身を覆い隠す青玉色のフルプレートで、一見するだけで位の高さが見て取れた。上半身が裸のものまでいる商業船の住人とは、まるで別世界の存在だった。
「道を開けろ!」
兵士のひとりが声を張り上げて野次馬を散らす。
そしてそんな彼らの中心には、空の青さをそのまま縫い付けたような外套を風になびかせて、馬をまたがる男がひとり。
「オクトー・リバーサイドだ」
主人がぼそりと告げた。
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