3

 大仰な手振りで告げた。まるで神の思し召しを得た、従順な教徒のように。

 だがその効果は確かで、それまで事も無げに聞き入っていた寡黙な男の眉が、わずかに反応したのが見えた。


「エルフは希少種だ。もともとそうだったのに、魔王が滅ぼしたおかげでその価値は天井知らずになっている。お互いの利益のためにも、悪くない一品だ」


 そう言って瓶を取ると、寡黙な男の前に置かれた、一度も口をつけていない酒を勢いよく床にぶちまけたあと、空になったグラスに再度注ぎ直した。


「乾杯だ。俺の仕事とお前の仕事に」


 寡黙な男はそれを手に取ると、今度はテーブルではなく、自分の口へと運んだ。

 次の仕事へ向けての、ふたりの男のささやかな祝杯だった。



  ◇



 空気の澄んだ朝。差し込む陽光と風に乗って運ばれる潮の匂いがこの街を包んでいた。

 遠くからは海鳥のクークーという鳴き声が聞こえて、それは初めてこの世界へ訪れたときと何ら変わりのない光景だった。


「この街に来ると、君と出会ったころのことを思い出すな」


 横に立つリズレッドが、ふいにそう言った。


「あのときは他の召喚者にリズレッドが取り囲まれて大変だったなあ」

「エルフが珍しいというだけの話だろう。それに、いまでは君のほうが有名人じゃないか」


 それはひょっとして、さっきまで散々、初心者の召喚者にもみくちゃにされた事を言ってるんだろうか?


「……ははは、悪い。巻き込んで。俺もあんな質問攻めにされるとは思わなかった」

「気にするな、もう慣れた。それに君がああやって他者から羨望の眼差しを向けられるというのも、中々誇らしい気持ちだ」

「俺としては、ただの冒険者として扱ってもらいたいんんだけどなあ。ああいうのは慣れてないし」


 とは言っても、彼らの気持ちも理解できてしまう。

 特にここ、ALAの門をくぐった召喚者が最初に訪れる街――シューノでは、俺の評判はあらぬ拍車がかかってしまう。


 そう、俺たちはいま、あの始まりの街シューノに足を運んでいた。

 昨日はシャナやミーナ、リーナと久々に再開して、改めて街の観光や美味しい夕飯がご馳走になった。


 シャナの右腕に気後れしている俺を、本人からフォローを受けたときは何とも情けない気持ちになった。

 どこかで部位蘇生系のアイテムがあるなら、いの一番に取りにいきたいところなんだけど、あいにくそんな都合の良い情報は滅多に出回らず、あるとしても非常に高価か、そもそも個人使用が禁じられていたりするらしい。

 ……だけど、無論そんなことで諦めるつもりはない。

 彼女は気にすることないと諌めてくれたけど、いつか、絶対にもとに戻してみせると心の中で誓った。


 そして今日、取っていた宿から出て目的地へ向かおうとしたときに、あの人山に飲み込まれたというわけだ。


「有名税というやつだな。確かに煩わしいときもあるが、それが以外に有効に働く場面もある」

「そんなもんか?」


 質問責めされて呆然となった頭を掻きながら、そう応えた。

 とは言え、彼らの気持ちがわからないわけでもなかった。

『ザ・ワン』という名前は、思った以上にネット上で一人歩きをしてしまっていた。

 誇大な人物像を鵜呑みにした初心者が、ここに足を踏み入れて早々に本人に出くわしたら、誰だってああいう反応をしてしまうだろう。

 それにしても、


「リズレッドのおかげで得た称号で、俺だけ有名になるのもなあ。なんであいつら、リズレッドには声をかけないんだ?」

「あ、それなら私わかりますよ」


 疑問に応えたのはリズレッドではなく、もう片方の隣を歩くアミュレだ。

 白いローブを羽織り、幼い容貌ながら利発さを伺わせる顔立ちの彼女が、小さく手を挙げて俺へと視線を向けていた。


「“『ザ・ワン』の嫁に手を出したら、殺されるだけじゃ済まない”と皆さん仰ってました」


 ……ええ。なにそれ。

 まるで気性の荒い危険人物みたいな言い草に、思わず苦い笑いが漏れた。

 いったいネット上での『ザ・ワン』は、どういう一人歩きをしてしまっているのか。

 自分のことだから恥ずかしくてあまり調べていないんだけど、今度、気を引き締めて調査する必要があるかもしれない。


 そんなあらぬ誤解に巻き込まれたリズレッドもたまったものじゃないだろうと振り返ると、彼女は顔を伏せながら、小刻みに肩を震わせながら訊いてきた。


「つまり……こういうことかアミュレ? 傍目には、私とラビは……そういう間柄に見えると?」

「はあ……まあ、半分冗談みたいな言い方だったので真意はわかりませんが、そういう風潮があるのは確かなのでは」

「っ」

「というか、別に恥ずかしがることでもないでしょう。これだけお互いを尊重しあって、キスまでした仲なんですから」

「ひっ、ひひひ、人前でそんなことを言うな! あれは『トリガー』を制御するために、仕方なくだな……!」

「へえ、『仕方なく』だったんですね」


 リズレッドに向けるアミュレの瞳が、まるで極寒を思わせるような冷たさを帯びた。

 いよいよ押し黙ってしまったリズレッドに、そろそろ助け舟を出す頃合いだろう。というよりも、俺自身もそろそろ耐えられそうにない。


「アミュレ、そのくらいにしてくれ。俺もこう、結構ダメージが入ってるというか……正直、この空気は辛い」

「あ、別にそういうつもりじゃ……」


 言い差されて、改めて自分がえげつない質問を浴びせていたのに気づいたのか、彼女ははっとなって一歩後退した。

 そして後ろに下がったことにより雑踏に紛れた彼女の声が、かすかに聞こえた気がした。


「……くっつくのかくっつかないのか、ずっと見せられ続けるこっちの身にもなってほしいです」

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