130
――否。
向こうの世界で同じように生まれて、同じように生活していたこの男に、俺は――。
「この距離で呆けてやがるとは、ナメてんのかよ」
レオナスが舌打ちをしつつ吐き捨てた。
次の瞬間、腹部に強烈な衝撃感が伝わる。
「……っ」
吹き飛ぶ最中で見やれば、奴が片脚を持ち上げて蹴りの態勢を取っていた。
戦闘の最中で怯んだ俺へ、奴は間髪いれずに攻撃を加えてきたのだ。
無論、痛みはない。
『トリガー』を使用していないいまの俺は、一定の値を超える痛みは遮断される。
脳が痛みを認識しなければ、ラビが受けたダメージは翔へと伝達されない。
けれど、奴は違う。
常時『トリガー』を発動するという呪いにも似た力を授かった、奴は……ここで死ねば、向こうの世界でも……。
「まだやる気が出ねえみたいだな。まあそれなら、オレはオレで好きにやらせてもらう」
躊躇する間も無く、奴はそう言うと、くるりとターンしてこちらに背中を向けた。
殺気が外れる気配がした。自分に危害を加えることを恐れる俺を、本能的に察知したんだ。
「さっきの『ファイア』は効いたぜ。こいつの剣よりもよっぽど痛かった。だが鏡花の一戦で、だいぶ弱ってるらしいな。いつもの本調子じゃねえらしい」
「私のレベルは親しい者たちにしか教えていない。実力のほどを推し量るには、少々情報が足りないんじゃないか」
「ハッ! 情報なんてもう十分あるさ。お前はこの甘ちゃんを相棒になっただけで黄金級の評価に押し上げた実力者だ。そういう奴は、大抵レベルは40後半。前までのオレなら手も足も出なかった相手だが……今はどうかな」
「……」
両者の間に緊張が走るのが見えた。
リズレッドのレベルは56、レオナスのレベルは33。
その実力差をどれだけ『トリガー』が埋めているのか。
普段のリズレッドなら、単純なレベル差だけでは測れない。長年の戦闘経験や勘は、圧倒的に彼女に分があるからだ。
けれどいまの状態では、それを満足に発揮することなんてできはしない。
――迷っていたら、彼女が死ぬぞ。
心の底の暗い部分から、そんな呟きが聞こえた気がした。
選べ、ラビ。彼女を守って殺人者になるか。彼女を見殺しにして潔白を貫くか。俺はその、どちらを選んでもいい。
「――」
目の前にある道は二つ。
そのどちらを選んでも、きっと何かを失うことになる。
だったら俺は、失いたくない人を失わない道を選ぶ。
「リズレッドッ!」
大声で彼女の名を叫んだ。
彼女は一瞬びくりとなったあと、視線だけをこちらに向けた。
いままさに襲いかかろうとする狂人を前に、完全に意識を外すことはできないようだった。
それで構わない。
こちらの意思が伝われば、それで、
「足止めを頼む。俺が、決着をつける」
もう迷っている時間はない。迷った分だけ、受け入れがたい未来の扉を開くことになってしまう。
光刃を握る手に力を込めて、感触を確かめた。
必殺は、当たらなければ意味がない。
一かゼロか。両極に置かれた対照の可能性のうち、ひとつを確実に掴む。
それには、俺ひとりの力だけじゃ足りない。
これまでの戦いから、奴の戦闘技術がこの一年で飛躍的に伸びているのは明らかだ。
もうシューノの街で出会った頃の、平和な世界で弱者だけをいたぶって生きていたレオナスはいない。ここに存在するのは数多のネイティブを手にかけて、己の手を返り血に染め上げて育ったひとりの召喚者。
褒められたものじゃ決してないけど、奴はこの一年で自分よりも格上の相手に、何度も挑んで来たんだろう。
そうでなければ備わらないような胆力と迫力を、この戦いで嫌というほど思い知らされた。
いま対峙しているのは、人であり、召喚者であり――そして、怪物だ。
唯一残っていたかもしれない人間性のかけらさえ、儀式の生贄として自分自身で食い尽くしてしまった。
やると決めたなら、一切の油断は許されない。
六典原罪を相手取るか、それ以上の緊迫感を持って臨まなければいけなかった。
「わかった」
リズレッドから返ってきたのは、短いその一言だけだった。
だが声音には若干の緊張を含ませていた。自身が奴を食い止めきれるかという疑問からくる緊張ではなく、俺がこれからしようとしていることを察して、気持ちを強張らせているような感じだった。
「おいおい、動きを止めたくらいでオレの命に届く力があるのかよ、いまのお前が」
大仰な調子でそう口にしたレオナスの言葉を、宙に閃く火炎の剣筋が遮った。
「あまり私の弟子を、甘く見ないでもらおうか」
リズレッドの『灼炎剣』が奴へと迫り、奴は後ろに仰け反って回避し、その勢いのまま後転して距離を取った。
「あぶねえ……お前、鏡花のことは殺すのを躊躇してやがったくせに、オレにはお構いなしかよ」
「罪もない人を殺めたくないとは思うが、幸い、お前にその配慮はいらないようだからな」
「クハ、ハハ……! あいつに罪はねえと? 人の不幸を食い物にしてきたのは、あいつも一緒だぜ」
「鏡花の境遇は承知している。だからこそ言える。彼女とお前は違うと。境遇に甘えてその道に堕ちたお前と、それに抗い続けている鏡花を、同一視する理由はない」
「人の身の上を上から目線で評価か……やっぱり気に食わねえな。そういう奴が一番……」
言葉の途中で、レオナスが体がだらりと垂れた。
無駄な力を抜き、肩や腕を床に垂直に下げて――そして次の瞬間に、一気に襲いかかった。
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