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「ゴブ、ッ……!?」
気づけば攻撃を受けていたのは俺のほうで、後ろへ跳ね飛ばされていた。
腕の力で跳躍し、空いた脚でカウンターを放ってきたのだ。
「どうした英雄、その程度かよ」
「……ッ!」
なんとか後方で着地し、間髪入れずに再度全身した。
口いっぱいに血の味がしたが、不思議と痛みは感じなかった。
これが戦いの愉しさか。たしかにこれは、病みつきになりそうだ。
「殺してやる。殺してやる――殺してヤる――……!」
頭に湧くのはただその言葉のみ。
もはやリズレッドたちのことなど頭になかった。
眼前の敵に敗北を味合わせることだけが、俺の行動原理の全てになっていた。
それを見たレオナスは、ひどくがっかりした様子で、
「チッ。慣れねえ感情で動きやがるから、動きが丸わかりだ。さっきまでのほうが強かったくらいだぜ」
そう告げた。
――殺す。殺してやる。
俺のなかにあるなにかが決壊した。
お前を倒すために選んだ捨て身の行動が、逆に弱くなっただって?
いいだろう。だったら教えてやる。全ての理性を捨てて――本当に、ただの獣となって。
お前をずたずたに引き裂いてやる。
……そこから先は、断片的な記憶が続いた。
もはや剣さえ用いず、野生動物のように自分の手足を武器として戦う光景が、他人事のように遠くに投影されていた。
そしてかすかに残った俺の精神が、それをぼんやりと見つめている。
――ああ、消える。
俺と外界とを繋ぐものが、もう手を伸ばして届かない、あのスクリーンなのだと理解した。
ずたぼろだった。どんなに食い下がってもレオナスは容易にそれを避けて、手痛いカウンターとして返していた。
そのたびにスクリーンの映像が赤く滲んで歪んだ。
いま俺の体はどうなっているんだろうか。
きっとひどいことになっているだろう。ときおり移る腕はもう肉が削げ、血が付着していない箇所が見当たらないほどだった。
指の何本かはあらぬ方向に折れ曲がっている。
これが腕だけでなく全身に及んでいることは想像に難くなく、その状態でまだ動いていることが不思議なくらいだった。
だがそれも、もう終わりを迎えそうだ。
こうしている間にも、暗闇の中に投影される映像は遠くに離れていき、そしてその光自体も急速に弱くなっていた。
俺はミスを犯したんだ。
たとえ『トリガー』を制御できなくても、あの膂力さえ備われば勝てない相手なんていないと。
心のなかに巣食っていた慢心が、この結果を招いた。
考えてもみれば当たり前のことだった。
こちらが『トリガー』を使っているのと同じように、相手も同じ力を行使しているんだ。
力が拮抗した両者を分かつのは、あとは知性のみ。
だというのに俺は、自分から獣へと落ちた。
あいつは悪魔だが、それゆえ精神は健在。――結果は、ご覧のありさまだった。
――みんな、ごめん。
誰にも届かない虚無の空間で、俯きながら言った。
白爺、ミノタウロスの無念を晴らしてやれなくてごめん。
アミュレ、一度は俺を救ってくれたのに、結局こんなことになってごめん。
そして……
「リズレッド、ごめん。もう君と……一緒に旅をできそうにない」
俺という存在は、じきに消える。
あとに残るのは死に体の獣だけだ。
この戦いで生き残ろうと死のうと、それはもう俺じゃない。
そうなったとき、ラビは――稲葉翔は、どうなるんだろうか。
ミノタウロスのようにログアウトができなくなり、一介の魔物としてこの世界の生物となるのか。
……それもいいかもしれない。
リズレッドが生まれ育ったこの世界の住人になれるなら。
投影の光はもはやかすかな粒程度の大きさとなっていた。
いよいよ最後だ。
そう覚悟して、目を閉じた。
最後に、ひとつだけ願った。
守れなかった最愛の人へ。
「リズレッド、俺がもしただの魔物へと落ちたら――そのときは、俺を斬ってくれ。君に殺されて経験値になれるなら、それがいまの俺が望める、最良の未来だ」
都合の良い望みだった。
自分でも最後の最後に出る言葉がこれかと、自嘲してしまう。
そして世界が暗闇に満ちた。
意識が薄れて、精神が闇と溶け合っていくのがわかった。
――みんな……あ……。
意識が消えかけた瞬間、なにかがこの世界に入り込んできた。
それをもう見えなくなってしまった外界への扉がある彼方から広がると、瞬く間に俺を取り囲んだ。
――ぇ……い……。
俺の声ではない。暗闇しか存在しないはずのこの場所で、なにかの音が微かに響いた。
――――帰……い……。
それは次第に輪郭を明確にしていき、たしかな言葉として耳に届いた。
耳……?
俺はもう、消えたはずなのに。この無限の闇に希釈して、その一部になったはずなのに。
不思議に思い、目蓋を開いた。
そう、目蓋だ。視覚を司る瞳もいつのまにか復元されていて……そして、真っ暗な世界が一変していることに、そこで初めて気づいた。
周囲はぐるりと炎で覆われていた。
荒々しく人の飲み込むような類ではなく、見ているとほっと息を落ち着かせてくれる、夜闇のなかのかがり火のような炎だ。
だがそのかがり火は周囲の闇を払い、俺の意識が溶けるのを防いでくれていた。
そこでもう一度、あの声が響いた。
――帰ってこい、ショウ。
もうその声の主が誰なのかは、言われずともわかっていた。
やがて周りだけでなく世界すべてがかがり火の炎で照らされて、闇はどこかへと消えた。
すぐ眼前にはあの投影スクリーンがあった。
明るくなればこんなにも近い場所にあったのかと驚くほどに、それは手を伸ばせば届くくらいの距離で。
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