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「すげェもんだな。こっちの世界に痛みをフィードバックさせるってのは。さっきまで見てた世界とは、まるで別世界だ」

「お前……やっぱり」

「こんなイイもんを独り占めは駄目だぜ、なァ英雄さんよ」

「さっきからなにを言ってるのかわからないけど、俺は英雄なんかじゃない。俺はただの召喚者だ」

「おいおい、それはないぜ。お前と同じ場所に立つためにこんなことまでしたってのに。追いかけきた身にもなって欲しいもんだ」

「……」

「だがまあ、たしかにこの力はそこら辺の召喚者の手には余るだろうなァ。ステータスが跳ね上がる代わりに、感情のコントロールも効かなくなるなんて、大抵の奴が持て余すぜ」


 そうだ。『トリガー』はひとりでは使いこなすことのできない技だ。

 俺はリズレッドがいてくれたから、辛うじてあのとき正気を失わずに済んだ。

 じゃあこいつは、なんで正気を保っていられるんだ?

 それとも正気に見えるだけで、とっくの間に狂っているのか。


 様々な疑念が頭に浮かんでは消えた。

 そんな様子を楽しげに眺めていたレオナスが、人差し指を上へ突き立てた。

 教師が問題の正解を告げるときに生徒の注意を引く動作のように。


「オレひとりじゃとても制御なんてできなかった。だから必要だったんだ」


 その言葉の意味するところ……それがもし、俺の予想通りだとしたら。


「お前……お前は……まさか……」


 ――いやだ。その先を言うな。


「ああ、そうだ」


 レオナスは人指し指をおもむろに下ろすと、それを自分の腹に指して、言った。


「獅堂京也はいま、オレとひとつになってる。まあ元々ひとつだったんだけどな。ただ獅堂京也のなかにオレがいるか、オレのなかに獅堂京也がいるかの違いだけだ」


 舌なめずりをした奴の舌が、真っ赤ななにかの液体で濡れているのを見て、胃がひっくり返るような悪寒が走った。


「……ッ!」

「あの儀式っつーのはな、あっちの世界とこっちの世界の自分。どっちが主体かの意識を切り替えるためのトリガーなんだよ。そしてオレが手に入れた、新たな力でもある」


 大仰な手振りで腕を左右に大きく広げながら、レオナスは淡々とそう語った。

 俺は目の前の男が、いままで出会ってきたどの魔物よりも化物に見えた。


「さァ待たせたなオッサン、いま楽にしてやるよ。死にはしねえって言ったろ? オレが手に入れた力――『腐肉食い』で、あんたもオレとひとつになろうぜ」

『ヒッ……』


 ミノタウロスが短く悲鳴を上げた。

 腕をばたつかせてなんとかその場から逃れようとするが、ほぼ寸断された下半身が重りとなり、死に際の虫のように地ではいずるだけだった。


『いやだ! 死にたくない、助けてくれ! 儂はお前を助けたじゃないか! 今度はお前が儂を助けてくれ! 頼む、同じ同士で――仲間ではないか……!』

「ハッハハ! 食うわ食われるかの世界で生きてるんだ。こうなることだって、想定の内だろ」


 もはや見境いもなくミノタウロスは涙を流して懇願していた。

 やめろレオナス。

 心のなかで叫んだ。そいつは、人を食い物して生きてきたかもしれないけど、自分が食い物になるなんて考えもしなかった人間だ。

 自分の都合の良い材料だけで作り上げた、ハリボテの城で現実から目を背け続けてきた虚しい王だ。

 もういいだろう。そいつにはもうなにもすることなんてできない。

 この暗い地下の世界で、いつ尽きるかもわからない余生を過ごす。それで罪を償うには、十分だ。


「やめろ……レオ――」


 だが俺が言い終わる前に、彼の剣が無慈悲に振るわれた。


『ゴゲ、ッ』


 奇妙な呻きが響き、それが奴の最後の言葉となった。


 上から下への、垂直の刺突。

 その先にあったのは、かつて王だった牛頭人体の男の首。

 ゴリ、という鈍い音が響いた。剣が表面の皮や内の肉だけでなく、骨すら砕く音だった。


「仲間の想いを受け継いで心をひとつにする――ハハッ、確かにこれは、勇者の力だな」


 レオナスが楽しげにそう告げるのと、ミノタウロスのがむしゃらに持ち上げていた手が、力なく床へ落ちるのは同時だった。

 次の瞬間、王の体が真っ白に変色した。あの鎧のようだった筋肉も、並の剣戟なら弾き返したであろう強靭な体毛も、すべてが瞬きすら許さぬほどの速さで灰色へと変わった。


 命が抜き取られたあとに残る、抜け殻の灰だ。


 奴だった物体が、ぼろぼろと崩れて粉塵が舞った。

 死ねば神の元に還る。それが掟であるはずのこの世界で、とどめを刺されたミノタウロスは、どこに逝く事もなく全身を虚無へと変質させていた。


 やがて迷宮の王だったもの全てが粉塵のような煙になると、レオナスが、ひゅ、と息を吸った。

 それが合図となり、煙が奴の口に吸い込まれていく。


「ま、レベル上げの効率を上げるスキルみたいなもんだ」


 唖然として立ち尽くす俺に、煙をすっかり吸い込み切ったレオナスが言った。


「お前だって魔物を殺して経験値や金、ドロップアイテムを入手するだろ? これはその経験値特化版だ。金もドロップアイテムも手に入らねえが、そのかわり通常の何倍もの経験値を得られる。俺のレベルはいま30から33に上がった。このレベル帯で一気に3つも上がるなんて、シケたオッサンが素材にしては良い線いってるだろ?」

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