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 クールタイムが必要という以上に、リズレッドには二発目の発動を起こすだけの余裕がなかった。

 唯一、尊敬する兄とも言える存在と並び立てるスキルは、彼女のキャパシティを大幅に超えていた。

 使用中絶えず、大食らいの馬車馬のようにMPを食いつぶしていく『紅蓮灼炎剣』は、この短時間で彼女の内臓魔力をほぼ空にしてしまっていた。


 目に余る失態だ。

 本来ならば鏡花程度ならば、一戦と見なされる程の時間すら使わない。ミノタウロスと対峙するための移動線の上で、簡単に斬って捨てる程度の相手だった。

『紅蓮灼炎剣』も、この黒髪の剣士の後ろに控える牛頭人体の化物を打ち倒すために発動させた。

 だというのに、実際は彼女ひとりに大きく時間を取られて、すっかり己の魔力を枯渇させてしまった。


 こんなものでは、団長に顔向けできない。

 もっと正義を。神よ。私に悪を断ずる力を。


 暗示めいた呪文が頭の中で響き、動揺によってさざなみだった心の波を収めようとする。……だというのに、


「私はこんな体になってしまったから……他人を食い物にして育ってしまった呪いの体だから、もうそちらへは行けない。だからせめて、こちら側で強く生きれるようにこの儀式の間へ来て……あなたと剣を交えた。なのに何故、にいるはずのあなたが、他人を見殺しにして剣を振るうのです!」


 だというのに、頭の中で響く安らぎの呪文をかき消すほどに、相対する黒髪の剣士の叫びが妙に耳障りだった。


 私は、強く在らなくてはいけないんだ。


 暗闇の中でぽつんと一人で座り込んで泣きじゃくる、かつての幼い自分を、力なく後ろから眺める自分を幻視した。

 あの日も確か、私は子連れのゴブリンを相手に最後の一刀を振るうことができずに、他の騎士見習いから侮蔑の目を向けられていた。

 エルフを大勢殺した大人の、体のできあがったゴブリンならまだ殺せる。けれど自分よりも体の小さい、稚気が伝わる赤子のゴブリンを手に掛けることだけは、どうしてもできなかった。

 他のみんなはそんな私に、あからさまに失望したというように大きく溜め息をつくか、侮辱をあらわに笑うかのどちらかだった。


 いま迷えば、またあの頃に逆戻ってしまう。


 誰からも期待されず。誰からも相手にされず。自分自身ですら自分に失望を繰り返すあの頃に。

 暗い世界で泣き続ける子供の自分と、それを平静に見つめる自分。

 見上げれば外の世界で起こっていることが、水底から上を見上げるようにぼやけて観察できた。


 突然現れて戦いを挑んできた黒髪の剣士。

 腕が利くのは承知しているし、頭が切れるのもその通りだろう。けれど悲しいことに、経験とレベルが全く見合わず、正直相手にすらならなかった未成熟の剣士だ。


 その剣士の声が、ぼやけて映る像以上に、この暗い世界に大きく響く。


 ……誰の側だって?


 自らの行いを正義と判付けて自動戦闘機械のように動いていた彼女には、それが誰のことを言っているのか咄嗟にはわからなかった。

 全ては尽くすべき国のために。崇高なるエルフの剣となり楯となるために。そして……憧れの兄のようになるために。


 そのためだけに生きてきたはずだ。

 そのために研いだ一振りの剣のはずだ。


 ここまで来るのに、随分多くの命を奪ってきた。奪う必要があるのか疑問に思うものも数多くあったが、その都度こうして自分の領域に閉じこもることで、どうにかそれを実行してきた。

 だから今回もそうするんだ。

 あの牛頭人体の化物が人質にしている少女には悪いが、ここで進む足を止めてしまえば、私は再び弱い私に戻ってしまう。

 そうなれば国も、王も、民も――そしてあの兄も、私に失望して去っていってしまう。それだけは阻止しなければならない。


 拳を握り、闇の濃さを故意的に深める。

 先ほどまで届いていた剣士の声がくぐもって聞こえなくなるほどの、むせ返るほど濃い闇の霧が自身を包んだ。


 そうだ、いつもこうしてきた。

 奪うのが悲しいのなら、相手の顔も認識できなくなるほど視界を塞いでしまえばいい。

 私が行うべきは剣を振るうこと。この目も耳も口も、本当ならいらなかったのだ。こんなものがあるから迷う。ならばこの世界で全てを遮断して生きていけば、それで――。


「それじゃ、だめだよ」


 そのとき、ふいに誰かの言葉が耳に届いた。

 外の世界で叫び続けるあの剣士の声ではない。もっと近くで、自分に語りかける声だった。


「そんなことしたら、あの人がかなしむよ」


 今度は手を握られる感覚が湧いた。

 自分でも振り払えないほどに粘度の高い霧を貫いて、誰かの手が自分の手を握ってきたのだ。

 それはとても小さく、けれど冷え切った自分のそれとは違い、まるで春の陽光のように暖かかった。


「先ほどから、一体誰のことを言っているんだ……」


 無意識のうちに放り出ていた疑問を受け取った手の主が、それを頼りにひときわ自分に寄ってくるのがわかった。

 闇が霧散し、現れたのは――


「わすれちゃったの?」


 殺したくないと泣いていた、かつての自分だった。


「わたしたちの、大好きなひとのこと」


 続けざまにそう告げられたとき、彼女の胸中になにかが蘇った。

 弱い自分は認められない。強く在らなくては存在する意味はなく、気高きエルフとして生きるに値しない。

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