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 それきり声は聞こえなくなった。

 姿は見せないが、無断で自分の意識に介入していた何者かが遠くに去っていく感覚をレオナスは覚えた。


 しかしいまはそれどころではなかった。

 脳が崩れるのではないかというほどの激しい頭痛が耐えず襲いかかり、視界がちかちかと光っては消えた。


 ついにレオナスは倒れこみ、頭を抱えてうずくまった。

 心のなかで誰もない全てを呪う自分の声が響く。


 殺せ、奪え、支配しろ。

 

 いつも自分の行動理念にあった言葉の群が、いまは自分自身を殺すために牙を剥く魔物と化して襲いかかってきていた。

 自分自身をも支配の対象とした果てのない暴虐性、それが神の力によって増倍され、完全に制御を外れて暴れまわっていた。


 彼は悟る。

 きっとミノタウロスどもはこれに『負けた』のだと。


 自らの内に潜んだ魔物に理性を食い殺されたとき、そこに住んでいた人間としての自分が終わるのだと。

 その結果があの毛むくじゃらの牛の化物や、ここに来るまでに何体も見た大型の肥えた巨人というわけだ。


「――ふは」


 思わず、


「――ははは、は、ははははは、はははっ」


 笑ってしまった。

 誰かを犠牲にして対価を得てきた人生だったが、まさかこんな所でもう一人の自分と、自分自身の存在を支配しあう争いを起こすことになるとは思いもしなかった。 


 だがこれも、腐肉食いには必要な儀式のようにも思えた。

 昔、父親に言われたことがある。誰かを食い物にして富を得る生き方をしていると、ふいに自分自身の欲に負けて、なにもかも大負けしそうになる瞬間があると。


 その欲を正しくコントロールして、他人に全ての不幸を押し付けて、自分に幸運だけを運ぶことができる奴だけが真の勝利者なのだと。


 いま、彼はそれを実感していた。

 この『欲』をコントロールできなければ、どのみち行き着く先は破滅なのだ。


 遅いか早いかの違いでしかない決断の時が、いま来ただけに過ぎない。


 ――だったら。


「食ってやるよ……このバカみてえな頭痛も吐き気も全部。それを起こす『欲』もひっくるめて……全部オレが、いまここで食いきってやる」



  ◇



「――私はこれから、正義をおこなう」


 祭壇の登頂で眩い光が発せらたのを確認したリズレッドは、焦燥をおくびにも出さず魔力を白剣へと大量に注ぎ込んだ。

 悪と断じたかつての仲間を斬るために。そして自分のために用意された神の奇跡を奪い取ろうとする蛮行を速やかに防ぐために。


 瞬間、リズレッドが『灼炎剣』を発動。

 炎が燃え上がるときの熱と光を至近距離で浴びた鏡花が一瞬たじろぐ。ただの炎属性と攻撃力を上げるだけの『灼炎剣』ではない。斬られずとも分かる、この激情を具現化したような煉獄さは――。


 焔が彼女の全身を包むかのごとく燃え広がった。

 まるで炎の化身にでもなったかのような凄まじい熱のエネルギーが周囲に放出される。


 月のように黄金の彼女の神の先が、ほのかに炎と融合してちりちりと燃える。


「『紅蓮灼炎剣』――『灼炎剣』の熟練度を究極まで上げた末に辿り着く、炎剣の最高剣技だ。私が唯一、あの人に追いつけたスキル。この剣で――お前の罪を焼き斬るとしよう」


 グレーターファイアを凝縮したかのような威力を内臓した業火を纏った剣が、告げた言葉とともに一閃される。

 最上級魔法を剣技に落とし込んだかのようなそのスキルは、人がたどり着くことのできる神の極意の境地だった。人族の寿命では人生全てを賭しても決して手の届かない、膨大な修練の果てと、才能と環境が合わさることで継承することができる神技。大量の魔力を消費するとともに己の体が随時精霊化していき、加減を間違えればただの灰となって消える。本来ならば人が使ってはならない御技。


 鏡花が後ろに飛びながら刀を前に構えて防御の姿勢を取るが、もろとも飲み込むような凄まじい剣戟が彼女を襲う。


「――――ッツ!」


 動きは先ほどのように鋭どくなく、高速戦闘に慣れた鏡花は目で追うことになんの不都合もなかった。

 だが凄まじい業火が、彼女の動きを減退させていた。

 生物として本能的に怖れる対象の火は、どんなに文明の利器として手軽に扱えるようになった現在であっても健在で、鏡花にはリズレッドが握る剣が地獄の炎を宿した死の象徴に見えた。


 結果、縦に構えた彼女の刀は呆気なく紅蓮の前に屈した。

 接触した瞬間に鋳造中の製品のように赤く発光し、溶断されるように二分される。

 後ろに飛んだのが功を奏し、リズレッドの攻撃は寸前のところで鏡花自身を分断することはなかったが――愛用の武器を容易く消失させられたことに変わりはなかった。


 それどころか、振るわれた剣閃は彼女の後ろの祭壇に直撃すると、苛烈な融解音と衝撃音と共に石造りのそれを破壊した。

 昔なにかの番組で見たガラス工房の風景を思わせる、飴細工のように赫々に燃え溶けた祭壇の残骸。


 仮想の世界だというのに、鏡花は心の底から死の恐怖を感じた。

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