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「俺も消える頃合いだ。お前のおかげで神の儀式がどの程度のものかも察せられた。礼を言うぞ迷宮主」
『逃すと思うか若造が……! 大体、お前はここに儀式を受けにきたのではなかったのか!』
「おいおい、受けにきたなんて一言も言ったつもりはないぞ。俺はただ手塩にかけて育てた大事な愛弟子が受ける儀式が、危険なものでないかどうか確かめに来ただけだ」
『何だと……何を言っている、貴様』
まるで鬼ごっこでもするかのようにミノタウロスに追われつつ楽しそうに語る彼に、追う側のミノタウロスは憤りを募らせる。自分の家である最下層だというのに、駆ける速度は圧倒的に相手の方が上。しかも遥か上層に足を踏み入れた侵入者の気配に、この位置から気づく? あり得ない。そんなことができる者など、もはや人間の内に在らず。――だとすれば、彼は。
「――俺はただのネイティブだミノタウロス。死ねばそれで終わりの、か弱い妖精族だ。……だけど彼女は違う」
それは彼が迷宮の主と対峙して初めて見せる、感慨に拭けるような口調だった。もっとも後ろの牛人は追うのに精一杯で、独り言のように語るその言葉が耳に入る余裕はないだろうが。
『彼女は神オーゼンから特別な役割が与えられたネイティブだ。いずれ彼女がお前たちすべてを滅ぼす。魔物も――そして、人も』
後ろ姿しか見えないミノタウロスからは目視できないが、語る騎士の表情が微笑へと変わる。
『化物を斃す者は、同様に心を修羅に変えなといけない。優しいあの子にはそれことが最大の試練だろう。――だからそのために、俺は一国を魔王供にくれてやったんだ。彼女の心を、恨みと呪いで満たすために。だからいまはまだ、再開のときではないよ――リズレッド』
それは兄のようであり、父のようでもあり、師のようであり。
――だが、ただひとつ言えるのは、温かみのある表情とは裏腹に……語る口調は恐ろしく冷淡だった。
それが古代図書館の主が、二千年ぶりの来訪者を見た最後の姿だった。
瞬く間に距離を離されるも、そのまま追随したミノタウロスはついに己の巨体が通れない通路幅で構成された浅層にまで到達する。
神が禁忌を犯して巨大化した元人間の魔物を封じ込めておくために、人のサイズでようやく通れる程度の幅しかないそこを通過するのは不可能。
行き止まりの広間で牛人は、自身の矜持を踏みにじり、あまつさえ微笑を浮かべたまま撤退した騎士に哮った。
……その通路の陰で、白髪の青年と白剣を携えた妖精族の女性が、息を殺して己を視しているとは知らずに。
「――それでお前は、ここに『白剣の勇者』が来るのを察したって訳か」
物思いに耽っていたミノタウロスは、、後ろを歩く金髪の男の声で我に返る。
『そういうことだ』
「でもいいのかよ? 勇者だって認識したら、お前はそいつと戦えないんだろ?」
『儂が戦う必要はもうない。どうせお前が殺すのだろう』
「ははは! 確かになァ。あいつはあの女と相当仲が良いみたいだし、目の前で殺してやったらどんな反応するだろうなあ」
無邪気に悪意を振りまく男に、ふん、と鼻をひとつ鳴らす。
『だからその人形も、殺さずに保存しているということか』
儀式の間までの道中、ずっとレオナスが少女を肩に担いでいる理由が、そこでようやくわかった。
殺す殺すと喚いてたのに、何故だか気を変えて同行させたときは理解に苦しんだが、そういうことだったのか。
「人はな、自分の物を目の前で他人にぶっ壊されるのが一番堪えるんだ。あの正義ぶったクソ野郎に、こいつを殺される様を無様に傍観させる。……どうだ、最高に愉しそうだろ?」
ミノタウロスはそれに無言の返答をもって返した。
人を拐かしたつもりが、実はこいつこそ悪魔なのではないかと内心思う牛人を無視して、レオナスはけたけたと笑う。
「楽しみだぜ。俺もやっとあいつと同じ能力を持てる。『痛み』と『能力の限界突破』だったか? あの野郎、自分ひとりだけそんな美味しい物手に入れやがって――!」
『……別に、その者が得た力が儀式の恩恵と同じとは限らんだろう』
「いいや、オレにはわかる。あのときあいつが発揮した力は尋常じゃなかった。――メフィアスだとかいう魔物を倒したとき、オレもあの街にいた。ウィスフェンドの天空で決着を見せられらときの気持ちが、お前にわかるか?」
『皆目検討もつかんな』
そもそも、ミノタウロスはレオナスが執着している白髪の男など見たこともない。
他人の口から語られるだけでは、感情を動かす道理にはならないし、そもそも何故そこまで執念を燃やすのかも理解できない。
別になにかを奪われたわけでもないというのに。
儀式の間へ向かうまでの退屈な道中で、与太話程度に耳を傾けていた男の語りが、急に止まる。
雑音が消えていつもの静寂が戻り、迷宮の主は振り返ることもなく前を進む。
儀式を終えて『痛み』を得たあとは、自分に殺される運命の、ただの生贄のさえずりだ。鳴こうが黙ろうが知ったことではない。
そして、やや時間を置いて、言葉にするのも忌々しいという声音で、彼は口を開く。
「……『かっけェ』だ。」
恨み節を放っていたかと思えば、今度は羨望か。
つくづく意味のわからない男に、ミノタウロスは与太ごとついでに想像する。
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