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 白剣を神より託された妖精族でなければ、勇者である可能性は低い。

 そう考慮した上での言葉だったが、口には出さなかった。不用意なことを言って自覚してしまえば、途端に神の強制力が発揮される。


『目的は何だ』


 これ以上の会話は危険と判断したミノタウロスは、手短にそう告げる。返ってきた答えは、


「ああ、ここに神の恩寵を授けてくれる祭壇があると聞いてたものでな。俺はそいつに――」


 相対する牛人の殺気が鋭くなったのに、果たして彼は気づいたのか否か。


「大事な用があるって訳だ」


 あっけらかんと放たれた言葉。

 だがしかし、それが戦闘の合図となった。


 告げた口が閉じられるよりも早く、牛人の狂腕が妖精族の騎士を押し潰すために振り抜かれる。

 しかしそれをひらりと躱すと、男はそのまま数歩後ろへステップを踏みながら後退する。

 どこかの国章らしき紋章が入ったフルプレートを纏っていながら、なんという身のこなしか。


「その殺気――いいね! やはり化物はそうでないといけない! 殺すことになんの厭いも感じず、目的のために道徳を押しのけて動く存在。だけど知っているか? ――そんな化物をいとも簡単に仕留める者が、この世には存在する」

『なにをごちゃごちゃと――!』


 一撃目が空振りに終わり、強烈な打撃が迷宮の床を叩き割る。

 しかし騎士はそんなこともおかまいなしに語り続けて、それが酷く癇に障る。


 間髪入れずに追撃を加えようと上体を起こす。対象の騎士を目視しようと視線を上げると、そこには既に誰もおらず、


「――それが、『白剣の勇者』という存在だ」


 すぐ後ろで、声が響いた。

 全身が総毛立つのがわかった。


 とても穏やかで、優しい声音。

 まるで子供にお伽話でも読み聞かせているような、そんな声が、先ほどまで誰もいなかったはずの背後から聞こえた。


 振り返る動作などしている余裕はない。

 今度はミノタウロスの方が巨体を刎ね飛ばせて距離を取った。


 宙を舞いながら視認して、今度こそ、背後の声の主の姿を確認した。

 それはやはり、つい一瞬前まで自分の前方にいたはずの騎士の姿で、混乱する頭を必死に整理する。


 幻視が転移系の魔法か。もしくは超スピードによってただ単に後ろ回り込んだだけか。

 いずれにせよとてつもない力量の持ち主に代わりはない。

 どうする、どうやって奴を儀式の間から遠ざける。


 答えの出ないまま着地。

 未だ選択肢を選びあぐねいている牛人に対し、騎士は笑みを絶やさず標的を見据えている。

 嫌味のない、晴れ渡る陽光のような笑み。彼が勇者であるのなら――なるほど、確かにこれほどの逸材もいないだろう。

 その彼が、あごに手をやってしばし考える。


「ふむ……だが、お前にはどこか化物として不足している部分もあるな……? まるで魔物と人間を同時に相手しているような、不思議な感覚だ。それが原因なのかはわからないが……レベルもそこまで高くないようだな。――果たして、あの子の相手として相応しいかどうか」


 ふむ、と、あくまで笑みは崩さずに思案する。

 その様がミノタウロスの怒りにさらなる熱を加えるなどとは考えつきもしないように。


『ふざ……けるなッツ!!』


 彼には彼の矜持があった。

 たとえこの身が現実世界に二度と戻れない、0と1の集合体になろうとも。たとえその電子の世界でもさらに忌み嫌われる魔物へと姿を変貌させようとも。それが自分の行動の結果であることに変わりはなく、得られた力だけなら上々の物という自負があった。なにせ手練れの冒険者と評される水域を超えたレベル30を逸する魔物がここには大挙しており、己はその中で最も恐れられる存在であり王。ドルイド族の知識という兵器を格納した武器庫である古代図書館を統べる者で、その最下層を根城とする迷宮の主ミノタウロス。


 その自分を前にして――だと?


 ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな、ふざけるなよ小僧が。


 激情に任せて手にした戦斧を横薙ぎに振るう。

 先ほど加えた拳の攻撃よりも疾く、重く。


 妖精族の騎士はそれを払い手を避ける木の葉のようにひらりと避けると、よし、となにかを決定したように頷く。


「あの子が儀式を受ける前に、どんなものか俺自身で試そうと思っていたが……その結果生まれた産物が、この程度だったら危険はなさそうだ。可愛い子には旅をさせろと言うが、やれやれ、これじゃあ散歩程度にしかならないかもな」

『貴様……先ほどからなにをぶつぶつと……!』

「ミノタウロスよ、迷宮に巣食う化物の主よ。化物は勇者に退治されるものだ。そして勇者はじきにここを訪れる。俺が手塩にかけて育てた、化物を超える残虐スカーレッドを内に秘めた勇者が、な」


 それだけを告げると騎士はくるりと踵を返して、いまだ殺気を放ち続けるミノタウロスに完全に背を向ける。

 もはや戦意はないと言外で語るように。いや、そもそもこの男に、最初から『戦意』と呼ぶだけの闘争の意思があったのかも定かではない。


 対象が完全に無防備になり、本来ならば即座に攻撃をしかける場面であるにもかかわらず、ミノタウロスは動けない。

 いままでのネイティブたちとは明らかに違う異質さに、そう行動すべきかを咄嗟に判断できない。

 そうこうしているうちに、背を向けたままの騎士がぴくりとなにかに反応する。


「お、来たか」

『何……?』

「気づかないのか迷宮の主? お前の寝ぐらに、新たな客人が足を踏み入れたのさ。まだまだ遥か上にいるが……ま、あの子のことだ。すぐにここまで辿り着くだろう。――という訳で、」


 た、と騎士は足早に駆ける。自分のほうにではなく逆方向、元来た迷宮の出口に向かって。

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