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「……そこもお見通しだったか」

『普通はあそこまで即断できぬさ。勇者なら大丈夫と言われても、そう語るのは先ほどまで敵だったトロールで、しかも成功の前例などないのだからな。お主は魔王に対抗するために力が必要だと言っていたし、それも本心のひとつなのだろうが――』

「――ああ、その通りだ。恥ずかしい話、私はラビに負けたくないんだ。彼が好いてくれたのは、『強い私』だから。どんなに立場が変わっても気持ちは変わらないと言ってくれても、それが本当だとしても。私自身が嫌なんだ。……ふふ、笑ってしまうだろう? こんなただの我儘で、世界の運命を握るかもしれない儀式を受けると決めるだなんて」

『どんな英雄とて、人の心がなくては英雄足りえん。いままで歴史を作ってきた人物も、その行動に我儘を含まなかった奴などおらんと思うぞ』

「……ありがとう。儀式は必ず成功させる。それが白爺たちを解放させることができる唯一の方法なんだからな。――例えそれが、命の終わりを意味していようとも」

『……気づいておったか』

「私とて長寿のエルフ。彼よりは相手の心を察する力はると自負しているよ」

『ハッハッハ! というよりも……あやつよりも疎い人間など、この世にはおらんだろう?』

「そ、それは……」


 問うというより断言の意味を込めて放たれた言葉に、リズレッドは苦笑で返す。

 自分を弱者だと自覺している故か、追われる者の心情など察するに及ばない、いまはまだ若い戦士に。


 ――あの人も、同じ気持ちだったのだろうか。


 不意にそんな疑問が胸の底に湧き、リズレッドはしばし過去を振り返る。

 エルダーで騎士団を率いていた頃、唯一自分が敵わなかった敬服する騎士団長――エドゥアルドヴィチ・ベルトール――実の兄のように慕い、目標とした神国最強の騎士の姿を。



  ◇



「いや、そんな奴ァ知らねえな」


 レオナスはぶっきらぼうに応えた。

 問いたミノタウロスも最初からあてにはしていなかったのだろう、特に落胆する風もなく無言でそれに返す。


 自分やラビたちが古代図書館を探索する少し前に、忽然と最下層に現れたひとりの騎士。

 ミノタウロスは最初それに対峙したとき、彼が『白剣の勇者』なのだと思った。自分が封印されてここ二千年、最下層はおろか深層にすらたどり着く冒険者はおらず、浅層を這い回るのは浅ましい気配を漂わせた、冒険者ですらないただの貴族どもだけ。

 古代図書館の知恵を日銭に変えるだけしかできない低脳どもとは明らかに違うその風貌の妖精族の男と邂逅したミノタウロスが感じたのは、最大限の敵意だった。


 儀式が正式に執り行われれば、最後に守り手たる自分たちはどうなるのか……そこに気づかないほど彼は愚かではなかった。

 いまここで勇者が儀式を終えれば、この二千年の忿怒はなんだったのか。

 いくら人形に興味がない彼でも、自分の命を脅かす相手なら話は別だ。


 二千年、溜めに溜めた呪いにも見た恨みは、必ず果たす。

 たとえ現実世界に戻れなくとも、同じく自分をこのような身に貶めた神には復讐できよう。


 そして神に対する最大の復讐とは――人間側の希望たる勇者を、志半ばで堕とすことだ。

『儀式の守り手』などという役割を強制的に与えられた彼には、勇者を直接攻撃することはできない。自らの存在に結び付けられたその規定を破るとき、それは自死を意味する。


 だがそんなものなど、二千年という時があれば、回避する術を講じることなど容易い。


 要するに、勇者だと認識しなければ良いのだ。

 いくら存在に枷が括り付けられようとも、自覚しなければ強制力は発揮されない。


 そして長い時の流れの中で、ミノタウロスは己自身の心を、どのようにも捻じ曲げることも、偽ることもできるようになっていた。いや、実のところ魔物に転生してからというもの、本当の自分などという物はとうにどこかへ抜け落ちていた。ここに在るのはただの抜け殻。かつて人間だった者の成れの果ての皮袋にに、どす黒い忿怒を詰め込んで動く迷宮の王だ。


『二千年ぶりの来客だが……とっとと捻り潰させてもらうぞ、妖精族』


 我こそは古代図書館の最下層を住処とする迷宮の主。

 挨拶もなく踏み入ってきた無礼者に、ただ鉄槌を下すのみ。


 殺意を込めて放たれた言葉は、並みの冒険者であれば威圧だけで立ちすくみ、その場でかしずいてしまうほどのものだった。

 果たして向かい合う騎士は、どのような反応を返すのか。

 傑物らしく威風堂々と立ち振る舞うか、それとも気取り気質の妖精族らしく、鼻でも鳴らしながら平静を貫くのか。


 だが対面する妖精族の――陶器のように白い肌の口元が大きく開かれると、


「ハッハッハ! その豪胆さ! 聞きしに勝る化物だな!」


 唐突に馬鹿笑いを始めた。

 まるで強敵に出会えたことが、本当に愉快だと言わんばかりの馬鹿笑いだ。


 自分が封印される前に出会ったどのエルフとも違うその様子に、ミノタウロスは一瞬呆気に取られる。


『貴様……本当に妖精族か?』

「おいおい、この耳を見ろよ。こんな耳してるのなんて他にはドワーフ族くらいな物だが、俺がそんな低身に見えるか?」

『……ふん、ドワーフ族であったらなら、まだ見逃してやらんこともなかったかもな』

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