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  ◇



「急ごう。アミュレと鏡花を、早く助けないと」


 外に蠢いていたドルイド族の成れの果て――彼の元仲間たちの気配がようやく収まったことを確認して、俺はふたりに声をかけた。

 視線を向けると、ふたりは首肯で同意を示した。

 意見するとエルフの騎士と老いたトロールが肩を並べる姿は異様に映るが、その瞳には同様に緊張の色が見えた。

 リズレッドにとっては、これが最後の時となるかもしれない緊張。もし儀式が失敗すれば、自分も隣にいる彼のように魔物へと変貌する。……それどころか、自我すら保てるのか怪しい。それは魔を斃すために剣を古い続けてきた騎士である彼女には、なによりも恐ろしいことだ。

 そして老トロールの緊張は――結局、なにも語ってはくれなかった。名前がわからなかったら不便だと言っても、『そんなものはとうに忘れた』と面倒そうに会話を放り投げられるものだから、


「じゃあ、最下層への案内を頼むよ、白爺」

『……むう』


 半ば無理矢理、そう呼ぶことにした。気に入らないのか、それとも名前で呼ばれることが久しぶりでしっくりこないのか、白爺は複雑な表情を作りながら唸る。


「観念しろ白爺。これから先は、必ず戦闘が発生する。そのとき名前がなければ統率が取れないだろう?」

『しかしだな小娘……』

「……お前が私をそう呼ぶ限り、私もお前への呼称を変える気はないぞ」


 冷ややかな視線が白爺へと向けられる。正直、かなり怖い。昔よりは鳴りを潜めたけど、『スカーレッド・ルナー』は未だ健在だ。


「俺は別に、気に入らないなら他の名前で呼んでもいいんだけど……なにも希望がないんだろ?」

『普通に、トロールと種族名で呼べば良いだろう』

「それだと同じトロールと戦ったときにややこしいし、そもそも白爺を種族名で呼ぶのは反対だ」

『何故だ?』

「何故って……一緒に戦う相手を、種族名で呼ぶ奴があるか。命をかけて俺たちをここまで避難させてくれた恩人だ。本当なら、本来の名前で呼びたいところなんだぞ」

『……むう』


 本日何度目かの唸りが聞こえてそのまま沈黙する。どうやら観念して、呼び名を受け入れたらしい。


『あの子供が落下した地点は、儀式の間へ向かう途中で通る。うかうかしているとミノタウロスに見つかる可能性がある。無駄口を叩いていないで、とっとと出発するぞ』


 苦し紛れのように悪態付きながら白爺が先頭を切って隠れ処を出る。

 それに続いて俺とリズレッドが、割れた壁の隙間から身を乗り出す。自分がいままでどこに隠れていたのかも定かではなかったが、まさか壁の向こう側の、どこにも繋がっていない部屋にいたとは。


「……不思議な場所だよな、ここ。図書館って言うのに構造が一定間隔で組み変わったり、壁を隔てて隠し部屋があったり。どう考えても利便性がない」

『当たり前だ。ここは、誰でも使うように想定された施設ではない。――言うなれば、古代の軍事貯蔵庫、といったところだ』

「軍事貯蔵庫?」

『魔法すらエルフとドルイドにしか伝わっていなかった時代は、それだけ知識に価値があった。いまの地上がどうだかは知らんが、日常生活における効率的な生活様式の確立や、性能の良い武器防具の製造法などが種族ごとに秘中として、軽はずみな口伝すら禁じられていた』

「生活方法まで秘密って……それは、いくらなんでもやりすぎじゃないのか」

『他者になにかを与えるのは、己にそれだけ生存の余裕がある者だけの特権だ。まだ文明というものが、ようやく各所から芽を出し始めた黎明の時代。そんなものはどの種族にもなかった。ならば当然、己が発見した知恵や技術は隠される』

「……」


 前を歩く白爺から、昔を思い出して懐かしむような、けれど畏れも含んだ声音が響く。


 ……確かに、そうかもしれない。

 俺は知識が公然と、大きな障害もなく手に入る時代に生まれたから、それが当たり前と思って生きてきた。

 知識や技術はみんなで平等に共有したほうが、巡り巡って自分の生活を向上させると教わってきたからだ。


 けれどそれは、曲がりなりにも世界中の人たちが、手を取り合って生きるという意識を備えているからに他ならない。

 もし手にした技術で他人を襲い、自分の利益とすることになんの臆面もなく、抵抗感もない人間が身近にいたとしたら……きっと俺も、他人と共有しようとなんて思わない。


 白爺たちの時代は、そんな世界が『当たり前』だったんだ。

 種族単位、部族単位、一族単位で。いつでも誰かを食い物にしようと目を光らせている。


 そう考えると、向こうの世界はまだ争いも、戦争も絶えないものの……それでも確実に人類が築いてきた『共存の意識』は、なによりも価値のあるものに思えた。

 数千年をかけて、信頼や裏切りを繰り返して育ててきたその根本がなければ、俺たちはいまごろどんな生き方をしていたか。


 ――そして、同時に背筋に悪寒のようなものが走る。

 それはひとつの懸念。

 もし人からなにもかも奪い、殺し、それをなんとも思わない人間が現れたら、一体、世界はどうなるのか。


 もちろん、世界はそんなに脆くできてはいない。

 数千年かけて強固に紡いできた意思が、そう簡単に崩れるとは思えない。


 だけどもし、それを超える『力』を――想像しうる最悪の人間が持ったとしたら。

 世界は再び、バラバラに分裂してしまうんじゃないか。

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