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 儀式を終えたあとの体は、それまでとは異なり痛みを脳に伝える。

 なんの調整もされないありのままの痛覚が、現実と変わらない苦痛として意識に叩き込まれるのだ。

 当然、文字通り死ぬほどの目にあったこいつが現実世界でどうなるかは、想像するに容易い。


 もとより魔物へと落ちればログアウトは不可能になるだろうが、それだけでは生緩い。

 プレイヤーが突然発狂し、原因不明のショック死などすれば、このゲームの末路は決まったも同じ。


 かつての研究所の同僚たちの顔が久方ぶりに蘇り、ざまあみろ、とほくそ笑む。

 お前らの大事に作り上げたものを、破壊してやる。


 あのホウジョウとかいう男は、このゲームに大層な希望を抱いていたようだが、たったひとりの男のただの復讐で、それは終わりを迎えるのだ。

 夢半ばにして暗闇に叩き落される気持ちを、かつてのワシの絶望を、お前も味わえ。


『どうした。答えぬのならワシはこのまま、貴様を踏み潰すだけだぞ?』

「……」


 横たわる男は黙り込み、苛立たしげにこちらに視線を投げている。

 他人の手のひらで踊らされている自覚はあるのだろう。だが、力がなくては自分の生き方を貫けないのも、こいつはよくわかっている。


 存分に悩むがいい。答えなどひとつしかないのだ。

 せいぜいワシの恨みを晴らす、良き養分となってくれ。

 なに、他人を使うことを快楽として生きてきたのだ。他人に使われることも、当然覚悟の上だろう?


「…………ぶっ殺してやりてえ奴がいる」

『うむ?』

「そいつは、誰も食い物にしねえのにどんどん力と名声を上げていくチート野郎だ。この世のルールに反した奴だ。オレはそいつが気に入らねえ。誰も傷つけねえし、支配しねえ。そんな奴が上位に立たれたら、オレたちが馬鹿みてえじゃねぇか」

『……』

「魂胆は読めねえが、てめえがオレのことを利用としてるのはわかるぜ。お前もオレと同じ、屍肉喰いスカベンジャーみたいだからな。誰かのためになにかをしようとなんて、絶対考えない人種だ」

『……随分と確信を持って言うのだな。まだそれほど、長い時を生きた訳でもないだろうに』

「他人のために生きようと方向転換する奴は、途端に弱くなりやがる。当たり前だな。いままで肉を食って栄養を摂ってたのに、急に霞を食っていきようとしても、体がぶっ壊れる。……最近、そういう奴をひとり見た。……改めて思ったぜ。オレはああはならねえ。奪って奪って、奪い尽くして嗤ってやるってな。……そこんところお前は、ここに閉じ込められて何年経つ? どれだけこんな薄暗いクソみてえなとこ彷徨ってた? ……まあ、俺の知ったことじゃねえが、纏ってる空気でわかる。お前はここに封印された時からなにも変わってねえ。『誰かのために』なんて一ミリも考えてねえ。そこんところは正直、羨ましいぜ」


 自分に蹴り飛ばされて瀕死の重症者が、地に伏せながら流暢に語る様はどこかおかしく――だが、鬼気迫る言葉に、思わず沈黙する。

 ただの血気盛んな狂人というわけでもない、か。


 いまの言葉で、この男の意思は伝わった。

 支配を本懐として生きる。それが叶わぬ相手が現れたときは、叶うまで力をつけるのみ。

 たとえ、悪魔と契約するとしても。


『……貴様、名をなんという』

「……レオナスだ。そのうち、この世界の奴ら全員に知れ渡る名前になるぜ。……んで、お前の名前はなんだんだよ、牛人」

『……』


 ……名前。

 そういえば、そんなものもあった。


 記憶から完全に消え失せたその情報。

 現実世界とゲーム内の名前、そのどちらも、もう呼ばれることがなくなって久しいのだから当然だ。


 それをお前は、問いてくるか。

 本日何度目かの笑みが浮かぶ。


『名前はもうない。見た目通り、ミノタウロスと呼べば良い。』


 実の名さえ忘れたことにも気づかなかった己は、もうとっくに人ではなくなっていたのだ。

 ――そうだ。自分はもう……完全に化物ミノタウロスに成り果てていたんじゃないか。


『……儀式の場所だが、ここから少し進んだ先にある大回廊を使う。貴様の回復を待ち、それから出発だ。回復薬の類くらいは持っているだろう』

「なんだ、急に親切じゃねえか」

『……死んだ肉より活け造りのほうが美味い。それだけの話だ』


 化物に成り果てたのなら、その役割を果たそう。

 人を甘言で誘い、人ならざる者へと変質させるその役目を。


「じゃあ、それまであいつでも殺して暇をつぶしてろよ。気は失ってるがまだ生きてる」


 どこからか取り出したポーションを口に含みながら、横目で人形の子供に視線を向けながら言った。


『……何度も言わせるな。ワシは生きた相手を殺すのが好きなのだ。あいつらには、もとから命など備わってはいないだろう』


 自分と同じ人種だと男――レオナスは言うが、あの機械仕掛けの人形たちに対する評価だけは、どうも相容れないものがあるようだ。

 まあ同意が欲しいわけでもなし。深く追求することもないが。


『上での騒動から見るに、鼠が数匹紛れ込んだらしいな。昔からドルイドの子孫どもが盗掘まがいの行為をしに浅層を彷徨いていたことはあったようだが……ここまで来る奴は初めてだ』

「ああ、そいつがさっき話したチート野郎だ。なにかを犠牲にする覚悟もないくせに、都合よく力を得やがるいけすかねえ奴だ」

『ならば、出発を急いだほうが良いだろうな。この領域まで足を踏み入れるといことは、『白剣の勇者』が同行している可能性が高い。儀式に制限はないが、一度行えば再び行えるようになるまで時間が必要になる』

「そういや、あいつのバディが白い剣を持ってたような気がするな……。チッ、あの野郎。どこまでチートなんだよ。……じゃあ、」


 レオナスは空になったポーションの瓶を無造作に壁に投げつけながら、ぎり、と歯噛みしたあと言った。


「じゃあ、急いで儀式の間へ行かねえとな」

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