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 その証拠が、このねじれて歪んだ、男の有様だ。

 品性奉公の使者たるナノマシンによって自分の持つ性質をどこにも発露することができず、膿を内に貯め続けた結果、相手を支配することに極度の快楽を見出す存在へと変質している。


 現実世界で生きてきたというのに、まるでここに居た方が自己を表現できるとでも言いたげに。


 ――だが、同情心などもはや彼方に捨て去った己には、もう差し伸べる手など持たず。


『面白いな』


 思わずそう口ずさんでいた。


「ああ?」

『ワシをこんなところに閉じ込めて、そのまま計画を進めた開発チームの奴らに一泡吹かせるには……貴様は適任かもしれん。人の悪意の申し子たるお前なら……』


 とうに諦めていた復讐の火が、再び燃え始めるのを感じた。

 自分をこんなところに置き去りにして助けにこないばかりか、そのままサービスを開始したかつての同僚たちに――絶望を叩きつけてやる。

 育ち始めた芽を、希望の萌芽を、ぐしゃぐしゃに踏み潰してやる。


 自分の上司に当たるチームリーダーの言葉が、二千年ぶりに蘇る。

『このゲームが、人の罪への赦しになることを願う』……そう、あいつは言っていたか。


 ――ハ、ハハ、ハハハ。


 心の底から愉快な思いが湧き、嗤いがこみ上げる。

 お前の希望は、ワシが摘む。

 高尚な願いを、ただの恨みで塗り汚すこの快楽。


 なるほど、ワシとこの男は似ている。

 案外ここで会ったのも、なにかの運命か。


 愉悦に浸る瞳で宙を見やり、人だった頃の記憶を反芻する。

 ずっと忌々しかった班長の顔が、掠れた像となって蘇る。

 ……たしかファーストネームは、『ホウジョウ』……と言ったか。


「てめえ……オレをダシにして、なにを企んでやがる。言っとくがオレは人を利用するのは好きだが、利用されるのは大嫌いなんだよ。ぶち殺したくなるほどにな」

『フッ、ならばどうする? ワシを殺すか? ……貴様には無理だな。そのように脆弱で、人の領域に留まったままの存在では』

「……ああ?」

『生き返ることなど、なんのアドバンテージにもならんぞ。その気になれば殺さずに拘束し続けることもできるし、リスポーンしたところで小バエが何度も体にたかりにくるようなもの。不快ではあっても、脅威になどなりはせん』

「ハッ、言ってくれるじゃねえか……! だったらやってみろよ! オレはこう見えても召喚者のなかじゃあ上位の――」


 啖呵を切る目下の男へ、言葉が終わる前に足を振り抜く。

 弱者の威勢ほど聞いていて虚しくなることはない。


 結果、男はまるで反応することもできずに腹に攻撃を受けた。

 煩わしかった声が消え、代わりに吹き飛んだ先で壁に衝突して苦渋に喘ぐ。


「がっ……くそ、反応……できねえだと……!?」

『ワシがいま本気で攻撃を加えれば、貴様の体は真っ二つになり即死していただろう。痛みがないことに感謝するんだな。もっとも、ダメージによってしばらくは動くこともできんだろうが』

「……クソッ、クソクソクソ、クソがァ!!」


 腹部が真っ赤に光り、傍目に見ても重症な男が、声と意識だけは正常なまま恨み言を吐く。

 傍目に見れば、これではどちらが化物かわからない。


 プライドを踏みにじられて憎悪に塗れた姿を見て、内心にやりと笑う。


『――『力』が、欲しくないか?』


 告げる自分が、まるで人間をかどわかす悪魔のようだと思い、いよいよ笑いを堪えきれなくなり口端を歪める。

 こんな気分は、一体いつぶりだろうか。


「ああ!? 人を蹴り飛ばしておきながら、なに言ってやがる!」

『お前は周囲の全てを、自分の思うように支配して生きたいのだろう? だがどうだ、いまの哀れな姿は。力がなければ理想は叶えられんぞ』

「……っ」

『ワシがかつて受けた呪い……選ばれた者でなければ悪魔へと身を堕とす儀式を、試してみる気はないか?』

「…………てめえ……なに考えてやがる」

『……ワシはここから出ることができん。ここまで来たならわかると思うが、浅層はワシらの脱出を拒むために通路が極端に狭い。その上、神の権限により強制的に存在がここに縛り付けられておる。どらだけ人や神を憎んでも、なにもできぬ』

「オレにてめえの無念でも晴らせってか? お断りだなァ、オレは誰の命令も受ける気はねえ」

『では、このまま朽ちて消えゆくか? お前の生き方は、力なしでは成し得ぬ覇道……ここでワシの申し出を断り、あとの余生は無力感のなかで、ただの一介の小悪党として、凡庸な人生を終えると?』

「……」


 それきり男は黙った。

 長く生きていれば、相手がどういう人間なのか。どういう挑発に反応するかは自然とわかるようになる。

 間違いなくこいつは、いま、特定の何者かを特別に敵視している。

 そしてその相手は、ワシのただの蹴りで地に転がった脆弱なこいつとは違う、上位の力を持っている。


 こいつはそれが我慢ならない。


 ――ならば、それを存分に活かそう。

 そして、そのあとに……、


『ク、ククク……』


 想像して、数千年ぶりかの嗤い声が溢れる。

 そのあとに……、


 ワシがこいつを殺す。

 惨めに、惨たらしく、凄惨に。

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