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「ハッ! お笑いだな。お前が何者か知らねえが……体だけでかくなった、ただの癇癪起こしたガキじゃねえか!」


 自らの運命を察したのか、男はもう逃げる足を止めている。

 だがその瞳には、先ほどかすかに混じっていた恐怖心はなく――ただ、くだらない相手を見下げるような眼で、こちらを見上げていた。


『……なんだと』

「あそこに転がってるガキを『人形』とか言いやがったな? ……俺はそうは思わねえ」


 男はちらりと人形を見遣ってから、歪な笑みを浮かべて告げる。


「あいつらは生きてる。この世界に存在している、れっきとした人間だぜ」


 その倒錯加減に、目眩を覚える。


『……愚か愚かとは思っていたが、それほどか若造。現実と仮想の区別も付かんとは哀れな者だ。こんな機械仕掛けのからくり人形に、情でも湧いたか』


 傍にゴミのように横たわる、子供の模造品を摘み上げる。

 まだ機能はしているようだが、滑落の衝撃でダメージを負っているらしいそれは、苦しげに呻くをした。


 この場で力を込めて握り潰せば、0と1から構成された血が溢れ出し、見せかけの死を演出するのだろう。

 まあ見せかけといっても、死後一定の時間内に蘇生薬か魔法をかけなければデータは抹消される仕様だ。こいつらの価値観で言えば、本物の死と定義されるのか。


『こんな虚像に愛などかけても、なにも返ってきはせんぞ。精巧に作られた人形が、人間ごっこをしているだけだ。それでもお前はこいつらを人と言うか』


 侮蔑を込めた言葉だったが、


「……ああ。なんたってオレは。この世界の奴らが大好きだからなァ!」


 予想とは裏腹に、男は大仰に手を広げて笑いながら言い放った。


「ただし、殺したいほどにだ。……現実と仮想の区別? ハハッ! 随分、古くせえこと言うじゃねえか牛の化物が!」


 ――その言葉には嘘偽りは感じない。

 こいつは心の底から、このデータの集合体であるネイティブを人と認識しているらしい。


 ただの馬鹿か、それとも命乞いの交渉をするための布石か。

 どちらにしても戯言だが、ひとつだけ気になることもあった。


『……殺したいほど、か。貴様……こいつらになにか恨みでもあるのか』

「人が人を殺したいと思うのに恨みなんていらねえ。自分の力を示すため、地位を守るため、金のため――自分のプラスになるから相手を殺す。上に立つ人間なら当然やってることを、オレもやるってだけの話だ」

『この人形を壊して、それでお前になんのプラスがある』

「まずスカっとするなァ。そいつの探知スキルには散々手間取ったし、せっかく契約したバディに変な良心を吹き込んだのも、どうやらそいつが原因らしいからな。あとはなによりも――」


 軽口のように殺人の利点を列挙していた男が、そこで一旦言葉を止めると、


「そいつは、オレが一番気に入らねえ野郎の大切なお仲間だ。……ハハッ……だから殺して……ずたずたに引き裂いて、精肉店に並んだブロック肉みてえになったところを、そいつの眼前にぶち撒けてやりてえなァ」


 ハハハ、と、楽しみを堪えきれないというように笑った。

 まるで檻から解き放たれ猛獣のように。鳥かごから解き放たれた鳥のように。


 ……なるほど。

 どうやら、お前も囚われていたようだな。


 己のなかで、この男を見る目が微細に変化するのを感じた。

 さっさと殺して憂さを晴らそうと思っていたが、興味が湧いた。


 きっと、こいつにとって現実世界はさぞ息苦しいだろう。

 人が人に危害を加えないように規則付けられるのは、群社会を作ることでしか外敵に対応できない人間のさがだ。

 どんなに技術を発展させようが、宇宙の構造を理解しようが、人はひとりでは、己の環境を保つことはできない。

 服を、電気を、食料を。家を、燃料を、娯楽を。そのすべてをひとりで調達できる人間など存在しない。


 己の環境を潤沢に潤すために、他人は存在するのだ。そしてそれを耳障りの良い言葉で表したのが『信頼』や『絆』といった単語だ。


 ――こいつは、その『他人に潤してもらう要素』が、群社会の構築という観点に真っ向から叛逆する。

 こいつにとって他人に求めるのは、自分に支配されること。奪って、嬲って、泣かせて。そこから発生する快楽や利益を、自分に提供することだ。

 その様子が楽しくて仕方ないし、そこから生まれる徳に心の底から満足感を得るタイプの人間だ。

 当然、正常な社会の歯車には、忌み嫌われる存在だろう。


 自分がまだ現実にいた頃は、まだそういう人間にも生きる道があった。

 外法には外法の道というのがあるものだ。……だが、


『時代が生んだ……歪みの産物、か』


 意識をここに閉じ込められる直前に、とあるニュースを見た。

 ナノマシンの義務化。


 世界中のあらゆる人間が、その法が決まると同時に、体のなかに一生の監視者を飼うことになるのだという。

 職業柄、自分はすでに先行してナノマシンを注入していたからわかる。


 あれは鎖だ。


 未知のウィルスの経路を正確に把握や、貧富の差によって激化する犯罪への抑止など、綺麗事を報道司会者は語っていたが――詰まるところあれが自分たちにもたらすのは、永続的な監視だ。

 個人情報は保護する? 笑わせる。

 人は手元にある技術や情報を、いつかは使わずにいられない。何万人もの命を一瞬で殺せる核兵器を、開発してすぐに実戦投入した種族が、どの口でそれをほざくのか。

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