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「……ラビ、大丈夫か?」

「っ!」


 横を歩くリズレッドに呼びかけられて、ハッと我に返る。


「気負うのは仕方ないが、度を超えては状況に飲まれるだけだぞ」


 これから最深層へと向かうことによる緊張から、俺が息を詰まらせていると思ったのだろう。

 リズレッドは優しい声音でそう言ってくれた。


 これから大変な思いをするのは、自分なのに。


「……そうだな、悪い。いらない緊張をしてる場合じゃないよな」


 そうだ、これから本当に過酷な試練を迎えるのが彼女であって、俺じゃない。

『もし』を想定した未来に気を寄せている場合なんかじゃなかった。


 頭を振り、気持ちを整える。頭に残る最悪の想定を払い落とす。

 いま考えるべきはアミュレと鏡花の救出と、リズレッドの儀式を無事に終わらせることだ。

 それ以外のことには目もくれず、それだけに集中するんだ。


「それにしても、さっきまでの騒動が嘘みたいに静かだな」

『総出で粗探しをして見つからなかったんだ。奴らめ、上へ逃げたと判断して上層へ向かったか』

「上層? 下層じゃなくてか?」


 言い切られた言葉に疑問を感じて、問いかける。

 侵入者が敵に見つかり、安全ルートも確保されていないとき、取る選択肢はふたつある。

 前へ進むか、後ろへ戻るか。

 だというのに白爺は、明らかに『前へ進む』という選択肢を除外していた。


『……我輩が壁の亀裂の先に、ささやかな巣を構えていたように……あやつもまた、巣を持っておる。やはり人間だった頃の名残か、己だけの空間というものを我々は欲するのだろう。もっとも、力ある者じゃなければその希望も叶えられんがの』


 彼がなにを言わんとしているのかを察して、息を飲む。


「……じゃあ」

『ああ。最下層は……その全域がミノタウロスの巣じゃ』


 ごくりと、喉を鳴らす。

 俺の足元に広がるであろう古代図書館の最深部……そこが、すべてあの、半人半牛の化物の領域……?


『言うておくが……我輩たちが人間だった頃に、あやつがリーダーだったから、特例として認められているという訳ではない。純粋にあやつは強すぎるのじゃ』

「……白爺も、ラビたちと戦ったときの力から推測するに、優にレベル50近くはあるだろう? それに、この層にいた他の魔物だって相応の実力があったはずだ」

『我輩のレベルは47だ。他のやつらも、まあ大体は40前後といったところか』

「それだけの群勢を前にして……それでも、たった一体がひとつの層を支配していたというのか」


 リズレッドが重い声音で、信じられないというように語った。


「たしか、この世界はレベル30もあれば相当の実力者なんだよな? それを超える40付近のやつらがあんなにいて……それでも、誰も最下層を手に入れようとは思わなかったのか」

『この二千年で何度かはそういうこともあったようだが……結果は、見るも無残なものじゃった』

「……」

『あやつは失敗したとはいえ……神の力を、その身に宿しておるのかもしれん。ここに閉じ込められてから何度か会ったこともあるが……もはや人だった頃の記憶が曖昧だった我輩とは違い、奴は……その根幹は変わってはおらなんだ』

「根幹?」

『我輩たちを使役する物としてしか見れぬ、あやつの心の底じゃ』

「……だから、儀式に負けたんだ」

『なに?』

「この世界の神がくれる力を行使するための儀式で、そこに住む人たちを蔑んでいて、成功するはずがない。……なんでそいつは、そんなことにも気づかなかったんだ」

『蔑む……か。フッ』

「な、なんだよ」


 唐突に笑われて、意図がわからずに訊く俺を無視して白爺はリズレッドへと言葉を投げる。


『勇者よ、良きパートナーを見つけたな』


 その声音には、ただ純粋に言葉通りの意思しか込められておらず。

 当惑する俺を他所に、リズレッドも何故か自慢げに口を開く。


「ようやく理解したか、御仁」

「な、なんなんだよ!? ふたりだけで納得してないで、わかるように説明してくれよ!」


 いつの間にか最下層へ続く階段の入り口まで来ていて、まるで地獄への入り口のように暗く口を開けるそこへ入る俺たちの空気は、裏腹に明るい。

 先行した階段を降りる白爺が、感慨深げに語る。


『お前はいま、『蔑む』と言ったな。……それすら、相手を人と認識していなければ生まれぬ感情だ。……あやつには、理解できんことだろうな』

「……どういうことだ?」

『異世界からの使者は、神に近い存在であるが故か――我輩たちを、そもそも命ある生物だと認識しておらん』

「……あ、」


 真っ先に思い浮かべたのは、いまは姿のない鏡花の姿だった。

 彼女もまた、ネイティブをそういう目で見ていた人間のひとりだった。


「君は気づかないかもしれないが、召喚者が私たちに向ける瞳は、時折ひどく空虚なときがある。まるでそこいらの石ころを見るような、そんな目で見られることがな」

「それは、流石に……」

『同じ異界の使者同士、疎くなる部分もあるのじゃろう。しかし小娘の感じる視線こそが、おそらく真実だ』

「……」

「そう落ち込むな。私とて最初は心外だったが、もう慣れた。……というよりも、人のことを言えた立場ではないと気づかせてくれたのだから、いまでは感謝しているくらいだ」

「それは……昔のリズレッドが、人に対して向けてた視線のことか?」

「……気づかれていたか。自分では上手く隠していたつもりだったのだがな」

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