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 そう告げるリズレッドの声音に違和感を感じて、ちらりと横を向く。

 光石にぼう、と照らされた彼女の顔は昏く、そして恨みにも見た瞳の色をありありと浮かび上がらせていた。


 表向きの歴史。

 彼女の言葉は、明らかな敵意を持っていた。

 この世界の魔法に関する歴史に、なにか裏があるのはそれで察しがついた。

 けれど。


「リズレッド、大丈夫か」


 そんな刺々しい顔をしている彼女を見てはおけず、そろそろと声をかける。

 自分がどんな表情をしていたか、それでようやく気づいたのだろう。

 ふ、と自重気味の笑いを溢したあと、リズレッドは口を開いた。


「すまなかった。エルフと魔法の歴史は、少し複雑でな。時期を見たらかならず話す。ただ、いまはそれよりも、彼の話を聞こう」

『魔法などという神の御技を最初に授かった種族だ。そこから生まれる確執も、相応に大きいだろうて。……かく言う我輩たちは、その力に溺れて神オーゼンの座を奪い取ろうと画策し、天罰を受けたドルイド族だ。人を超えし力を手に入れるために闇の呪法を用いて――まあそれは、こんな魔物の姿へと変わるだけの失敗に終わったわけだが』

「神を侮辱しようとしたのか……!? なんという罰当たりな……」

『フフフ、いま思えばその通りだ。だが人というのは、日常的に意思疎通できる相手には、どうしても畏怖の念を薄れさせてしまうものらしい。そう考えれば、大神樹が燃えたのは後の世のためには良かったのかもしれんの』

「……それで、魔物の姿のまま、悠久の刻を生きる時間を与えられながらも、ここに二千年以上も幽閉され続けていたということか」

『左様だ。……さて、つまらん老人の昔話も聞いてもらえたところで、話を戻すか」


 そう言って巨人は、少しばかりの間断を置いたあと、ゆっくりと告げた。


『魔王がお前達を生かし続けて理由――それは、来たるべき人間とのエデン到達戦を、待っていたからだ』


 大きな瞳を真っ直ぐにこちらに向けたまあ、うつむき加減で語る巨人の声は重かった。


「――な、」


 俺は声にならない声を上げる。

 魔王が……待っていた? この召喚者によるエデン到達戦を?


「冗談……というわけではないようだな」


 隣のリズレッドは、ただ静かに受け入れる。


『無論だ。……魔王にとってこの世界は、エデンへ達するための足がかりにすぎない』

「お前は……エデンがどこにあるのか、知っているのか?」

『ふん、それを知っていれば苦労などせんわ。だが、そこへ至るために勇者へ力を渡すことならできる』

「力?」

『お前が先ほど言っていた、人と上級の魔物の間にある、埋めがたい溝を埋めるための力だ。それがなければ魔王どころか――六典原罪にすら勝てはしない』

「……一体、魔王はなにを考えているんだ。エデンへの路を探すのに、なぜ人を生かし続ける必要があった。絶対的な力量差を持っているにもかかわらず、何千年も茶番劇を演じていた理由は、なんなんだ」

『我輩たちが昔、神オーゼンから告げられたのは――遥か未来で、来るべき時が訪れた時代に、人と魔物によるエデン到達戦が始まるということだけだ。エデンへの路はそのときしか開かれず、ゆえに魔王は待つしかなかった。競争は、相手がいないと成立しないからの』

「私たちは……そんなことのために、何万もの犠牲を出し続けたのか」

『奴からしてみれば創世の時代からずっとおあずけを食らっていたようなものだからな。人との茶番を、せいぜい楽しんでいたのだろうよ』

「……っ」


 ぎり、とリズレッドが拳を握る。

 顔には苦悶が浮かび、最大の侮辱を受けたという態度を露わにする。


 ……それもそうだろう。

 彼女たちはこれまで、必死に国を――いや、世界を守ってきたつもりだった。

 襲い来る魔物を、連綿と受け継がれてきた技術やスキルで防ぎ、魔王軍の侵攻を食い止めてきたのだ。

 無論、そこで落とされた命は、数えることすら難しい数になるだろう。


 だというのに、魔王にとってはすべて遊びに過ぎなかったのだ。

 絶滅させようと思えばいつでもできる。だが目的のためには到達戦が始まるまで生かしておく必要があった。


「……そんな……暇つぶしのような道楽で、魔王はこの世界を……」


 俺はこの世界で生まれたわけでもなければ、肉親や親しい友人を魔物に殺されたというわけでもない。

 だけどリズレッドがいま感じている憤りを、少しは理解しているつもりだ。


「そもそも、なんで神はそんなことをするんだ。なんで――」


 そこでふと、思い至る。

 その仮説が浮かんだとき、背筋に凍りつくような冷気が走った。


 もしかして――これは、全部俺のせいなのか?


 俺はこの世界を現実の延長線上にある世界だと認識しているし、リズレッドたちは本当に生きている人間だと思っている。


 だけど製作者も――バルロンも、そうであるという確証はない。

 もしここをただのゲームの舞台だと考えているのなら、不可解に人類が自分の玉座に来るまで座して待つ魔王というのは、確かにありきたりな設定だ。

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