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「な、なんだよいきなり!? 俺はただ、正しいと思ったことをやってるだけで……」

「――でしたら」


 そして、鏡花が再び振り返る。

 俯いた表情で迫ってくる彼女の表情は読めず、けれど身動ぐこともできず、俺は棒立ちになってそれを迎え入れる。

 やがて体が触れ合うほどの距離まで詰め寄った鏡花が、おもむろに顔を上げて、告げた。


「――でしたら、私のことも助けてくれまして? リーダー」


 それはまるで挑戦してくるような不敵な笑みだった。けれど――そこには少しばかりの安堵感も含まれていた。言うなれば、縋りつく物がなにもなかった少女が、やっと宿木となるなにかを見つけたような。


 ここで逃げるのは、パーティのリーダーとして失格か。


 俺は身を乗り出して瞳をまっすぐに見据えてくる彼女の両肩を掴むと、一気に言い放った。


「当たり前だ。お前が危険なときはいつだって助ける。信じきれないだろうが、それでも信じてくれ。俺は絶対に――約束は果たす」


 ――果たして鏡花は、


「ええ。その言葉、素直に受け取らせていただきますわ」


 ただそう言って、俺の横へと並ぶ。

 迷宮調査前に小会議で決めた前衛後衛の隊列を、正確に守って。

 そこにはもうひとりで独断専行しそうな危うい雰囲気はなく、むしろ穏やかな空気さえ纏っているようで。そのとき俺は、改めて強化がお嬢様なのだということを認識した。立ち振る舞いや表情の作り方などが、意識せずに生きてきた俺とはまるで違う。幼少のころから叩き込まれたのだろう動作のひとつひとつが、いまはやけに優美に見えた。


 するとふと、後ろにいたリズレッドから含んだ笑いを零す。


「全く、ラビはいつもそうだな。相手の懐に強引に入って、身の危険も顧みずそのまま懐柔してしまう。これほど恐ろしい男を私は知らないよ」

「エルフのリズレッドさんがラビさんに気を許すのも、いわずもがな、というやつですね。――これから苦労しますよ、おふたりとも」


 リズレッドの声に対してアミュレの声音には少しばかりの呆れた様子も混ざっていたのだが、まあそれは仕方ないだろう。いきなりナイフを渡して俺を斬れなんて言う人間がいたら、俺だって同じ反応をする。


 ともあれ、これでパーティの統率は取れた。

 ミノタウロスがいまどこにいるのかはわからないが、これから進む深部の先で待ち構えていることは間違いない。

 俺は毅然とした振る舞いで先頭に立つと、そのままゆっくりと前進した。


 かつかつと、靴が石床を叩く音が小広間に広がり――やがて、ミノタウロスの消えた先に、下へと降る階段が姿を表す。


「これは――」

「どうやら、一層はクリアですわね」

「いや、ここのマップを完全に書き記せたわけじゃない。俺たちの依頼内容を考えれば、クリアとはまだ言えないだろう。それでも……」

「出発地点と到着地点の点と点が結ばれた。それは迷宮攻略の大きな一歩だ。……だな、アミュレ?」

「ええ、リズレッドさん。ですが……どうしますか? このままこの層に留まってマッピングを続けるか、それともこの階段を――」


 言いかけたアミュレの言葉に覆いかぶさるように、後ろから唐突に音が鳴り響く。


「っ、通路が!」


 全員が一斉に振り返り、その音の正体を目視する。

 俺たちがいまさっきまで隠れていた通路と小広間の出入り口が、分厚い石壁によって塞がれていく。おそらくは迷宮の構造が組み換わる時間なのだろう。各層の昇降階段があるエリアは部屋を動かせない手前、このように出入り口を小刻みに時間を区切って塞ぐという仕様のようだ。


 もとが小さな出入り口だったため、急いで引き返す余裕もないままに、目の前で退路は轟音とともに消えた。


「……どうやら、俺たちはこの迷宮によっぽど好かれているらしいな。アミュレ、こういうとき迷宮学ではどう対処すればいいんだ?」

「そうですね……構造の組み替えが起こるタイミングがわからない以上、無闇に動き回るのは危険だと思います。ここで一旦待機して、扉が開くのを待つのが良いかと」

「なるほど……」


 それはおそらく正しい。

 だけど、アミュレの方程式からは決定的な問題が欠けていた。

 俺は顎に手をやって、いま抱いている憶測が正しいのかをよく吟味してから、ひとつ小さく頷いてから彼女へと向く。



「だけどそれは、平時の迷宮内での話……だよな? たとえばいまみたいに、深部から魔物がどんどん溢れてきて――しかもミノタウロスがいつ戻ってくるかわからない状況でここに留まり続けるのは、危険だと思う」

「……っ!」


 アミュレの瞳がはっと見開かれる。そして次に、小広間と通路を繋ぐ入り口――生命線である退路を塞ぐ分厚い石壁を見やり、察する。

 俺たちはいま、袋の鼠だということを。

 いま二層目から大量の敵が押し寄せてきたら、この小広間なんてあっという間に埋め尽くされる。そして逃げ道もなく、有効な戦闘距離も取ることができなくなったパーティが、果たしてどんな末路を辿るか……。アミュレはおそらくその光景を想像したのだろう、顔がみるみる青くなっていくのがわかった。

 俺はそんな少女に頭に手をのせて、緊張をほぐすようにくしゃくしゃと撫でる。

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