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「大丈夫だ、俺がそんな状況にはさせない。アミュレもリズレッドも鏡花も、全員でまた地上に戻るんだ。だから安心しろって」


 撫でられ続ける当の本人は、最悪の想像を霧散させて安心したのか、俺の手に意識を集中させるように瞳を閉じて、安心したように頷いた。


「では――やはりここは、前に進むしかないということですの?」

「そうなるな。怖いか?」

「……もし私が危機に陥っても、あなたが助けてくれるのでしょう?」

「ああ、当然だ」

「じゃあ恐怖はありませんわ。なにせあなたは、私を組み伏せた唯一の男性ですもの」


 そう言ってぴたりと事前の作戦通り、ぴたりと隣に陣取る彼女。心なしか距離が近い気もするが、この狭い空間なら仕方ないか。

 同じように陣形を保ってアミュレの隣に立つリズレッドが、どこか誇らしげに笑みを浮かべる。


「ラビもなかなかリーダーらしくなってきたな。初めて会ったときはまだまだ辿々しい所も多かったが、ここまで成長してくれて私も嬉しく思う」

「なっ、やめろよリズレッド! お前に褒められると舞い上がっちゃうだろ!」


 思わず赤面しかける顔面を隠すために、くるりと踵を返して背を向けた。

 その言葉は、いつかリズレッドと肩を並べる男になりたいという夢想に、一歩近いた証だ。まだまだ未熟者なのは承知している。だけど、だからといって任されたリーダーの責務をないがしろにするつもりはない。


「――よし、じゃあ行くか」


 照れ隠しと威勢の両方を含んだ声でそう呟く。隣の鏡花と、後ろのリズレッドとアミュレがそれに応えるように首肯し、前へと進む足に追随する。

 長く行く手を阻んできた一層が終わり、次の戦場へと続く長い下り階段を一歩一歩踏みしめて進む。

 だけど不思議と、恐怖はなかった。これからたどり着く迷宮がどんなに深く昏くても、俺にはようやくここまで集め、そして結束した仲間たちがいる。謎の多いグールやミノタウロスが相手でも、きっと打ち勝つことができる。

 その思いを胸に、俺は地の底まで続いているかのような階段を、確実に一段ずつ降っていった。


 二層目に降り立った俺たちが見たものは、一層目よりも遥かに巨大な通路と、それに比例するように面積を広げた広間の数々だった。

 その光景を見て、良からぬ憶測が頭をかすめる。

 ここはまるで、巨大な生物を想定して設計された迷宮のようだった。

 一層目が『人』の出入りを考えて造られたものなら、二層目はその数倍は大きい個体が、群となって生活するのに適したサイズのような――。


 辺りを見回しながら、リズレッドが呟く。


「――やはりこの古代図書館は、ただの古の書蔵庫というわけではなさそうだな」

「ああ。どう考えてもドルイド族が使い回すには持て余す大きさだ。――多分ここは、もっと大きな生物を囚らえておくためのものだ」

「憶測が飛躍しているとは思うが、その可能性も捨てきれないな。先ほどラビが目撃したミノタウロスとやらの魔物も、その中の一体なのかもしれない」

「その中の一体というよりも、あいつがその本命のような気もするけどな」

「? それはどういう意味だ?」


 眉根を寄せて訊き返してくるリズレッド。そこでようやく俺は、彼女たちにとって『ミノタウロス』という存在が馴染みのないものだということを察した。

 確かにギリシャ神話に登場する人と牛の化物なんて、この世界の人にとっては初見であるに違いない。


 俺は探索をしつつも、リズレッドとアミュレに知りうるミノタウロスの神話を聞かせた。

 ふたりは異国の文化を聞くような様子で、ときおり興味深そうに相槌を打つ。が、そのとき、


「っ! ラビさん、来ます!」


 アミュレが弾かれたように警戒を放った。

 面積が広くなったとはいえ曲がり角はやはり見通しが悪い。光源が味方をしないかぎり、影で確認をすることもできない。このまま進んでいれば出会い頭の戦闘になるところだったが、その危険は後ろの少女が見事に払ってくれた。


 右手を水平に持ち上げて、止まれの合図を送る。

 こちらが気づかなかったようにあちらも気づいていないのなら、これはチャンスだ。奇襲が成功すれば、それだけこちらの損害を減らして勝利することができる。


 俺を含めた四人が息を潜めて曲がり角の先に意識を集中させる。

 少しばかりの間断ののち、ぬ、と姿を現したのは――ミノタウロスほどではないが、ずんぐりした体型をした巨大な体躯の二足歩行生物。


 トロールだ。

 長年陽の当たらぬ地下で生息していたためか、その肌は不気味に白く、ひときわ目を引く太鼓腹と手にした大木槌が、その呼称を余儀なくした。


 肥沃な肉を揺らしながら怠慢に歩く足がぴたりと止まり、鼻腔をかき鳴らしながら奴らはこちらへと顔を向けた。まだ曲がり角を抜けたばかりだというのに、直線距離で二十メートルはあろうかという大通路の先で、あいつはこちらに気づいた。


「……!」


 目が合った、と本能が告げる。

 にたりと吊り上がった口角と、持ち上がった頬によって歪に歪んだ黒一色の瞳が――どこかとても人間臭くて、思わず冷たい汗が吹き出る。


 こいつも同じだ。あのミノタウロスと。

 なぜかはわからないが――俺はこいつら巨人の魔物に言いようのない嫌悪感を感じる。

 だけどそんな感情で押しつぶされるほど、いまの俺は弱くなく、そして軽い立場でもなかった。

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