10

「成功させる意思?」

「はい。人はどうしても困難に挑戦するとき、それが失敗する未来を想像してしまいます。『今まで誰もやったことがないから無理だ』、『情報が足りないから危険だ』、『自分の技術力ではどう考えても不足だ』。……様々な『できない理由』が、瞬時に湧き出てきます。まるで底なしの沼の汚泥のように。ですが、それに足を取られて身を沈ませる者に、決して成功の女神は微笑みません」

「…………」

「ラビ殿は恐れながら、その鏡花という女性に負ける未来を、無意識のうちにでも想像してしまっているのではないでしょうか? それは人としては当然のことです。外敵を回避して少しでも生存確率を上げようとする本能が、生物には備わっておりますから。……ですが絶対に戦わなければいけないという状況において、その本能は枷になります。……だからそれを無理やり抑え込むためにも……」

「……それ以上のイメージをもって、逃げそうになる自分に釘を打つ」

「その通りです。戦いが始まる前だけじゃなく、戦闘中の一手一手にも、実は攻撃と逃走のふたつの選択肢が存在するんです。そして弱い心のままでは、つい後者ばかり選びがちになってしまう。逃げる選択ばかりを取りつづけた戦士に、望んだ未来など訪れません」

「…………」


 真に迫る彼の言葉に、ただ黙って聞き入ることしかできない。

 たったの五年。アステリオスが十四歳の頃に入隊して今日に至るまでのたったの五年という兵歴が、そこまでの境地にひとりの男を導いたのか。


 言葉を聞くだけではよく耳にする精神論法だ。一流のアスリートも試合前は、暗示のように勝利する自分を強くイメージするのだと、なにかの動画で観た記憶がある。――だけど、それを実践している人間から直にそれを聞くのは、モニタを眺めながらスピーカーごしに聞く以上にこちらの胸を打つものがあった。


 これが常に死と隣り合わせの世界で生きる人間と、俺たちの違い。

 近づいたと思ったリズレッドとの距離が、またほんの少し離れてしまったような気がして、アステリオスに気付かれない程度に唇を噛んだ。


「――そうだな。ここで勝たなかったら、迷宮探索も相当手こずることになる。探索の遅れはそれだけ、他の召喚者がエデンへの情報を握る猶予を与えることになる。だから俺は今日、なんとしても鏡花に勝って、彼女を仲間に引き入れないといけないんだ」

「……どうやら、勝つビジョンが見えたようですね」

「正直、まだぼんやりとだけどな。それでも弱腰だったさっきまでと比べたら雲泥の差だ。ありがとう、アステリオスさん」

「そんな、止してください。城塞都市の英雄にかしこまられると、逆に萎縮してしまう」


 そう言って頭を掻きながら柔和に微笑む彼は、年齢以上に大人びて見えた。

 さっきの真に迫った言葉といい、本当に彼は十九歳なのだろうかと疑いたくなるほどだ。


「――よし、それじゃあ俺はそろそろ行くよ。心は決まったから、あとの残った時間で技術をギリギリまで磨く。そっちに関しては信頼できるスパルタの師匠がついてるしな」

「それは心強いですね。是非とも一度ご教授願いたいものです」

「……はは、それはちょっと、止めたほうがいいかも」

「?」

「いや、こっちの話だ。――それじゃあお茶ごちそうさま。また会おう、アステリオス!」

「ええ、あなたと話せて光栄でした。あなたの勝利を祈っております、ラビ殿」


 彼と別れの挨拶を済ませると、俺はカフェを出てまっすぐにリズレッドとアミュレが待つ宿へと走る。

 向かいが空席となったテラス席のテーブルで、アステリオスは消えゆく召喚者の背中をいつまでも眺めつつ、


「――今度会うときは、是非とも古代図書館の中で」


 そう、独り言ちた。


 ――アステリオスとの茶会を終えて宿に戻った俺は、そのまま戦いの舞台であるリムルガンドへと足を向けた。


「帰りが遅いと思ったら、そんなことがあったのか」


 支度を済ませて出発し、リムルガンドへの道中でさっきの出来事を話すと、リズレッドは興味深げな様子でそう言った。――だが、


「しかし、言ってくれれば心構えだって私が教えてやれたんだぞ? 他人を頼るなとは言わないが、そういうことは先に師匠である私に相談して欲しいものだ」


 腕を組みながら、少し拗ねたように目を細めて抗議するリズレッド。

 どうやらアステリオスに対人戦においての助言を乞いたのが、彼女のプライドを傷付けてしまったらしい。


「あれ? リズレッドさんひょっとしてやきもち焼いてますか? ぷぷ、相手は男性なのに」

「っ! ちっ違うぞアミュレ! これは純粋に弟子に信用されていないという師匠として私の至らなさを反省してだな……っ!?」


 もはや定番となった我がパーティの名物、十二歳の少女に手玉にとられるエルフの光景も、一騎打ち前の緊張を上手くほぐしてくれた。


「はは、悪い悪い。でも勝利のビジョンを浮かべるっていうのは、中々難しいもんだな。ただの想像なのに、いざ思い浮かべようとしたら中々上手くいかない」

「……む……そういうものか?」

「間近で鏡花の剣技を見てるからなあ。地下監獄でのアラクネの子供を一瞬で斬り伏せていく剣戟は、ちょっとやそっとじゃ忘れられないよ」

「…………」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る