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「いや、悪かった! そんなつもりじゃ……!」

「人の初めてを奪っておいて謝るなぁ!」


 どう弁護しようが即座に巻き返してくる彼女。

 一体どうすれば良いのかと考えあぐねいていると、リズレッドは拗ねるように視線を横にやりながら、


「と、とにかく! 私の意識がないときにそっちだけ一方的に……く……口付け……をするなんてずるいぞ! ……だっだから、その……もう一度だ! 今度はちゃんと意識があるから、だからもう一度!」


 その言葉を聞いたとき、初めはなにを意味しているのかを咄嗟に判断できなかった。

 だが冷静に飲み下したとき、途端にどきりと心臓が跳ねた。

 彼女の言わんとしていることを想像し、思考がトリガーを使ったときとは違う方向に暴走しそうになる。


「な――リズレッド――っ」


 さすがにこの状況でそれは……。

 そう答えようとしたが、その言葉を寸前で飲み込んだ。何故ならば、目の前のリズレッドが肩を小刻みに震わせて耳まで真っ赤にしながら、自分の発言に対しての羞恥に耐えていたからだ。ここで二の足を踏んでは、彼女の気持ちに対してあまりに不誠実だと思った。


 俺は静かにベッドから体を動かし、両足を床につけると、おもむろに立ち上がった。

 まだ体が万全ではないのか、心なしか重心がぐらつく。この大事な場面で転ばないように十分注意を払いながら、隣で寝るリズレッドへと歩み寄る。

 すると彼女もそれに応えるようにベッドを下り、ふらふらと壁に手を突きながらも床の上に立った。

 俺と違い痛みを感じる体で、病み上がりで懸命に立つリズレッド。そこで俺は、とあることに気付いた。


 ――痛みを感じない状態で昨夜の再現を行うのは、それもまた彼女に対して不誠実だろう。


『初めて』と表現してくれたからには、俺もこの世界にきちんと存在する人間として、改めて応えなければならない。

 そう思い、心のなかで再びトリガーのスキルを発動させた。


「――ぐッ!?」


 途端、体中に巣食う痛みが一挙に脳へ押し寄せる。さっきまで無痛で、ぐらつく体に違和感を覚えながら立ち歩いていたが……確かにこれは、足取りがふらついても仕方がない。この街の僧侶たちがヒールをかけてくれたおかげで昨晩ほどの痛みはないのだろうが、なにせ痛覚がない状態から未だ残るダメージの全てを一度に感覚したのだ。その違和感と痛みで、思わず顔を歪めてしまった。


「ラビ、大丈夫か!?」


 唐突に苦しみだした俺に驚き、リズレッドが不安げな声を上げた。


「だ、大丈夫。ちょっといきなりトリガーを発動させたから、落差で驚いただけで――」

「な――その状態でいきなりそんなことをしては!」


 こちらを気遣ってくれるのはありがたいが、時間はそうなさそうだった。

 再び暴走しかける意識の手綱をなんとか握れているうちに、早く彼女に応えなければならない。


「いや、大丈夫だ。リズレッドに思いに対して、俺はこうするのが当然の礼儀だ。痛みを感じない状態で口付けをしたって、そんなものは口付けじゃない。だろ?」

「そ、それは……」


 口付けという言葉に反応し、再び顔を真っ赤に染めるリズレッド。

 走る痛覚になんとか慣れると、また一歩一歩彼女へと近づき――そして、至近まで距離を縮めると、おもむろに両手をリズレッドの肩へ乗せた。

 吐息のかかるような距離でお互いの瞳がからんだ。

 ……そして、あの日の夜に誓った約束を口にする。


「――リズレッド、あの夜に誓った約束を、聞いてくれるか? 俺の向こうの世界での名前を伝えるっていう、あの約束だ」

「……ああ。教えてくれ。君のもうひとつの名を」


 真っ直ぐな声音でそう告げるリズレッド。小さくうなずいたあと、


「――翔。それが向こうの世界での俺の名前だ」


 そう口にして、彼女の唇に自分の唇を重ねた。

 

 暴走が病んで鮮明になっていくはずの思考が、それとは裏腹に交わした口付けによりさらに熱くなった。


 ――いつの間にか夜は終わりを告げていた。

 癒術院の患者室に備え付けられた窓は東の空から昇る太陽によって、厳かに地平の果てから届けられる朝日を俺たちに届けている。

 それはまるで、昨晩の悪夢を切り裂くが如き光の横一閃だった。

 その瞬間に俺は彼女と口付けを交わしながら、ようやく城塞都市の一連の事件が終わりを迎えたことを実感した。


 そうして体を休めること一週間。

 その時間は瞬く間に過ぎていった。


 むろん、俺や他の召喚者は向こうの世界での生活もあるためずっとログインはできなかったが、極力バディと防衛戦の傷を共に癒した。その間に活躍したのは優れた癒術を行使する癒術院の僧侶の人たちと、なによりヒールライトを使用できるアミュレだった。MPの総量が少ないという弱点を持つ彼女だが、安全な街中ならば尽きた魔力を回復しつつ補助に当たれる。魔法を使うというのは精神的な疲労も発生するため、長時間の行使持続は熟年の経験が必要らしいが、それでも彼女は自らの気力が持つまでヒールライトによる重傷者の看護に当たっていた。そして気づけば、


「うおーー! アミュレちゃんマジ天使!」

「おお神よ、この城塞都市に神子を遣わされたこと、深く感謝いたします」


 ……アミュレはウィスフェンドのアイドルのような存在になっていた。


 ようやく回復し、俺とリズレッドは久々にウィスフェンドの街をふたりで歩いていた。

 そこで出くわしたのが、この異様な熱気を放つ患者の群だ。


 入院患者が看護師にそういった感情を抱くのはよくあることだと聞いたことがあるが、まさしくこれはその効果を最大限に発揮した結果と言えるだろう。掛け値なしに死にかけていた男たちにとって、少ない魔力を懸命に運用しながら連日ずっと自分に癒術をかけ続けてくれる少女なんて、並々ならない感情を抱いても仕方がない。だが――


「はーい、皆さん押さないでくださいねー! ちゃんと全員にヒールをかけますからー!」


 アミュレはそう掛け声を上げながら、ピースサインを作りつつウィンクをする。

 途端、列を成していた患者たちから歓声が上がる。

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