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『……リズレッドと話がしたい』
「おや、いいんですかな? リズさんとはちゃんと再開するまで、会話はしないって言ってたじゃん」
『それはそうだけど……なんだか、凄く嫌な予感がする』
「ま、私はどっちでもいいよ。といってもボイスを直接伝えることはできないし、言付け程度しかできないけどね。ほら、なんでも話しなよ。私が覚えれて、口から出すのが恥ずかしくない範囲なら、なんでも伝えてあげるよ」
相手からは見えないというのに、ボードを持っていない手を大きく広げて、全てを受けいれますといった風に待つ彼女に。それに対して彼は沈黙で返した。
なにかに悩んでいるのがすぐにわかった。そしてそれは、当たり前のことだと麻奈は思った。
意中の人に、もしかしたら最後に伝えることになるかもしれない言葉なのだ。時間がかかるのも無理はない。
マナは電話越しに辛抱強く待つ気でいたが、予想に反して沈黙はすぐに終わった。そして彼から放たれた言葉は、全く予想していないものだった。
『ごめん。電話越しじゃ伝えられない』
「ほへ?」
演技ではなく、本当に素っ頓狂な声が出た。
翔は意を決したように告げた。
『……翔としての言葉じゃなくて、ラビとしての言葉で、リズレッドに渡して欲しいんだ。その……彼女は、翔のことを知らないから』
「うーん、どっちも変わらないと思うけどなあ」
いまいち腑に落ちないという様子で応える彼女に、電話の向こう側にいる相手は、真剣な顔がありありと浮かぶような真意な声で、絞り出すように言った。
『頼む、麻奈』
あまりに熱の込もった声に、ついに彼女が折れた。
聞くだけでこちらが赤面しそうなほど、真っ直ぐな感情を突きつけられた気分だった。純粋な心で作った刃を、己の心に深々と突き刺されたに等しかった。
「ほいほい、純情な少年の悩みを、お姉さんが解決してあげましょうじゃないの」
しかしそこは麻奈としてもプライドがある。要求は飲むが、少しくらいは反撃もさせて欲しいと言わんばかりに冗談めいた軽口を放つが、
『ありがとう』
返されたのは、ただその一言だけだった。
麻奈は自分の顔が上気するのを感じた。
同い年だろ、というツッコミを期待していたというのに、こんなことを言われては、まるで自分のほうが雰囲気についていけずに、場を茶化そうとする子供のようだと思ったのだ。
片手をあおいで熱を払いながら、彼女は呆れるのと感心するのが同時に出たような調子で告げた。
「なんというか、リズさんが翔に心を許したのもわかる気がするよ。どっちも『一直線』って感じだもんね。そりゃ進む方向が同じになったら強いわ」
『え? どういうことだ?』
「なんでもなーい。んじゃ、さっさとギルドに来なよ。私、いま終末亭で朝ゴハン食べてるんだ。さっき話した通りあまり時間はないから、来るなら早くね」
そう告げると、向こう側でばたばたと支度をはじめる音が鳴り響いた。続いて、けっつまずいて転ぶ音も。
「くすっ、怪我するんじゃないよー」
思わず吹き出しながら、麻奈は通話を切った。彼の家がどこにあるのかは知らないが、あの様子ならあまり時間もかからずに来るだろう。慌ただしく玄関を飛び出して、全力疾走でこちらに向かう彼の姿が、脳裏で簡単に想像できた。
「ネイティブのこと、本気で好きなんだねえ。あはは、こりゃ作戦は大成功かもしれないよ、パパ」
頬杖をつきながら窓から差す光を浴びて、麻奈はそう独りごちた。
――三十分後、周囲の注目が一つに集まるほど肩で大きく息をしながら、翔がギルドへ弾丸のごとく飛び込んできた。
その様相たるや、他人の目を気にしない彼女でさえ、いささか気恥ずかしくなる程である。
こうなるだろうと思ってあらかじめ用意していたミネラルウォーターを差し出すと、翔は礼を言いつつキャップを開けて、一息で飲み干した。そして続けざまに、急き立てられるように言い放った。
「さあ、早く行こう」
いまだに荒い息を吐きながらそう告げる彼に、麻奈は半目になりながら、事前に買っておいたある物を手渡した。
「その前に、はい、これ」
彼は差し出されたビニール袋を訝しみながら受け取った。袋にはギルドの近くに立地するコンビニのロゴが入っている。麻奈の意図が読めず、疑問符を浮かべたまま中身を確認して、翔はとうとう素っ頓狂な声を上げた。
なかに入っていたのは、男性用の上下の下着だった。
「お前、これっ!?」
「サイズはわからないから全部Lを買っといたからね。そんな汗だくでポッドに入ったら、あとから掃除する職員さんに怒られるよ」
そう言われて初めて、自分が慣れない全力疾走によって全身発汗しているのを確認したのだろう。彼は恥ずかしむように顔をひきつらせた。
麻奈が呆れたように溜め息をつく。普段は自分のほうがこういったことにずぼらなのだが、相手のことになると途端に視野が狭くなるのは、リズレッドと同様だった。一年間も一緒に旅をしたら、性格まで似てくるのだろうか。
彼女は着替えるためにトイレへ駆け込んでいく彼の後ろ姿を、そんな疑問を抱きながら目で追った。
その後はすぐにログイン手続きを済ませてルームへ入る。二人は同時にポッドへ入ると、意識をアバターの体へと転送した。
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