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 そのたびに彼女は笑みを作って自分のずぼろさをアピールするのだが、内心では距離を取りたくて堪らなかった。自分は自分であり、他人は他人だ。相手の動作一つ一つにいちいち指摘を行うのは、彼女には最も理解できないことだった。むろん、犯罪にさえ手を染めないのならば、という最低条件の元にではあるが。


 そこへいくとALAのなんと自由なことか。向こうの住人たちは『今日を生き抜く』という一点のみを重視しており、それを除けば、相手に望むハードルはそこまで高くない。上級階級ともなれば話は違うのだろうが、彼女含む、いわゆる現実の女子大学生に相当する身分の者が基準にしている食事マナーやその他の行儀は、こちらの世界に比べたらずいぶんと楽なものだった。そしてその点も、彼女がALAを好む理由だったのだ。


 だからこちらの世界では、もっぱら彼女は一人で食事を摂ることを好んだ。だがそれはあくまでも、自分にルールを課してくる相手との食事に限る。


「そういえば、翔クンは私の食べ方に何も言わなかったなあ」


 一年前に偶然出会った彼と、こういった関係になるとは思いもしなかった。翔とは大学でも同じ講義を受けたときに顔を合わせる程度で、会話もほとんどしたことがなかった。だというのにいま、こうして彼を助けるために奔走する自分を思うと、少しだけ意外な気持ちが今更ながら湧いた。


 最初は同じゲーマー仲間だからなのだと思っていた。ナノマシンが将来のあらゆる場面で基準となる自分の過去の行動を、秒単位で取得して履歴書に書き付けている昨今、ゲームに熱中していたなどという情報がインプットされてしまえば、就職のさいに、かならず面接官に顔をしかめられる。だから彼女の友人は、みなゲーム趣味を表面上は認めつつも、控えるようなことを含んだ言い方を何度もしてきた。


 なのに彼はこのギルドで出会った際に、ほぼ初めて会話を交わした女の子を前に、己のALA感を熱弁して見せた。まさしくゲーマーかくあるべきという感じだった。それに対して彼女は、まるで同じ同郷の者を思わせる親しみを覚えたのだ。


 だから自分は彼に助けたのだと思っていたが、違った。こうして一年前のあのときのようにスパゲティーを食べていると、唐突に悟ったのだ。自分はゲーマーとして彼に好意を抱いている以上に、他人にとやかく言わない彼だからこそ助けたいのだと。


「ふふ、また一緒にご飯食べてもいいかもね」


 そこまで考えて、思い出した。今日も彼を捜索する予定を入れていたことに。時刻を見ればもう十時を周っている。麻奈はボードを取り出すと、彼へメッセージを送った。内容はもちろん、今日の捜索を中止するということだ。


 ウィスフェンドがあのような状況になっていたら、合間を縫って位置を探るなどどうやっても不可能だ。しかしそこで単純にキャンセルする旨だけを伝えても、当然彼は納得しないだろう。どう切り出せば良いかと思案し、彼女は最初の一文を送りつけた。


《ちょっとマズいことになったかも》


 会話を通して少しずつ状況を説明しようとしたのだ。だがそこで、ボードがけたたましく振動した。通話を受信したときのバイブ機能だ。相手はもちろん、翔。

 麻奈はあまりの速さに少々面食らいながらも、最後の麺を口に放り込んで、画面に表示された緑の通話許可ボタンを押した。


『なにがあった!?』

「声でっか。ちょっと落ち着いてよ。そんなに怒鳴らなくても聞こえるって」

『いや、お前がそう言ってくるってことは、かなり危ない状況なんだろ?』

「おやおや、まだ共同戦線を張って一週間も経ってないのに、ずいぶん訳知り顔ですな」

『茶化すなよ。麻奈は良い加減なことも言うし、本気なのか冗談なのかわからないことも言うけど、こういうテンションで話すときは大体マジだろ』


 それは褒められているのか貶されているのかどちらなのだろうかと、グラスに注いだレモン水を飲みながら考えた。

 電話の向こうで翔が、おそるおそるといった調子で訊いた。


『……リズレッドに、なにかあったのか』

「うんにゃ、リズさんはぴんぴんしてるよ。ウィスフェンドのオジさんとも打ち解けたみたいだしね」

「オジさん……?」

「まあ色々あったのさ。んで本題なんだけど、ウィスフェンドがピンチなんだよね。魔王軍が本腰入れてきちゃってさ」


 あくまで気軽な声音で告げたが、むろん、電話の向こう側にいる彼にとっては、いきなり降って湧いた事態だ。ごくりと息を飲む音さえ聞こえてきそうな緊張感が、スピーカー越しから伝わった。


 麻奈はそれから、昨日、最後に翔と連絡を取ってから起こった出来事を話した。エレファンティネと出会い、ウィスフェンドに帰還し、それから起こった暴動事件と、その経過を。彼女が話しているとき、翔はずっと押し黙ったままだった。次々と悪化する事態の重さに、本当に押しつぶされてしまっているのではないかと思えるほどだった。やがて全てを話し終えると、しぼり出すように、ぽつりと呟いた。

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