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 そう言ってバッハルードへ宛てた一筆をフランキスカが用意すると、リズレッドは来賓の間を後にした。マナもそれに続こうとしたとき、ふいに目の前に光る窓が現れた。黄色の警告色で行く手を阻むように出現したそれは、ポッドで眠る召喚者の体に一定の負荷がかかったときに出現する警告メッセージだった。

 彼女はそれで、昨晩からなにも食事を摂っておらず、その食事もかなり簡素なもので済ませていたことを思い出した。なんといっても自動販売機で売っていたカロリースナックを一包み口に入れただけなのだ。それからすでに十二時間以上経過している。あちら側の世界では寝ているだけとはいえ、よく今まで警告が出なかったものだと自分のことながら関心した。


 黄色の警告文に強制力はない。もっとも、三連続で無視すれば強制ログアウトとなるが、彼女はまだ一回目だ。このままプレイを続行することも可能だったが、少し考えたあと、マナは、


「ごめんリズさん。私、ちょっと向こうに帰るわ。警告イエロー出ちゃてさ」


 一旦、あちら側の世界に帰ることを選択した。今日はリズレッドの読みが正しければ、かなり慌しい一日になるだろう。ならば少しでも余裕があるうちに次のメッセージの予防を行なったほうが良いと判断したのだ。


「警告? ……そういえば、マナは昨日も適当な食事で済ませていたな。わかった。だが今回はよく食べて、しっかりと鋭気を養うんだぞ。野菜と肉をバランス良くだ。決してさなる簡易な食事で済ませないように」

「はーい」


 自分に人差し指を向けながら、十分に子供へ言い伝えるような調子で告げるリズレッドを見て、思わず苦笑いをした。まるで本当に母親のようだった。念の為、フランキスカにも目配せすると、彼は首肯でそれに応えた。


「ほいじゃ、またあとでねー。すぐ戻って、ギルドへ向かうから!」

「いや、だからしっかり食べろと――」


 小言を言う騎士の姿が光の幕で遮られ、視界が白一色へと変わった。ログアウトしたのだ。次いで視界が一転して真っ黒な暗闇へと変わる。昔に流行ったバーチャルリアリティを題材とした作品群と違い、ALAのシステムはナノマシンの働きによって脊髄神経をリズレッドたちの世界へリダイレクトしているため、ログイン、ログアウト時の意識の断絶というものがない。それゆえにこの目蓋を開いた状態から、いきなり閉じた状態へと変わる感覚には、一年プレイし続けている彼女であっても、いまだに違和感があった。



  ◇



 ポッドから出たあとは、施設に併設された飲食店を適当に身つくろい、遅めの朝食を摂った。といってもそこは、ラビ――稲葉翔と初めてギルドで会った際に立ち寄った終末亭である。


 リズレッドはああ言うが、ワンプレイ三千円を要求するこのゲームで、合間に挟む食事に肉や野菜などがふんだんに入った外食などしていては、あっという間に懐が空になってしまう。ラビのようにそれなりにランクの高いプレーヤーならばRMTを利用して補填もできるのだろうが、パートナーさえ連れていない彼女にはそこまで高額で取引できるアイテムの入手は難しく、かつ最近は値打ちのあるアイテムをドロップする敵がいないリムルガンドにばかり入り浸っていたため、いよいよ切り詰める必要があった。


 そう考えたときにこの週末亭はそれなりにリーズナブルな値段で食事を提供しており、品目さえ豪華なものを選ばなければ、千円以内で一食を済ませることができるのだ。


 麻奈はテーブルに置かれたメニュー表のなかからボローニャ風ミートソーススパゲティーニを注文し、ようやく一息つくとソファの背にどかっと体重を乗せた。次いで、おもむろに自分の袖を嗅ぐ。ずぼらな彼女といえど、さすがに一日中同じ服を着ていることには多少なりとも抵抗がある。結果は、自分の鼻なので正確にはわからないが、ポッドとナノマシンの連携による完璧な体温、空調管理のおかげか、鼻に通るのは使用している柔軟剤のケミカルは花の香りだけだった。


「こんなのが翔クンにバレたら、まーたどやされるんだろうなあ」


 己の乙女としての恥じらいの低さを自覚しつつも、それが性分なのだから仕方ないと納得してひとりでこくこくと頷く。


 やがて配膳されたスパゲティーをフォークでぐるぐる巻きにして、そのまま口へと運んだ。舌の上に粗挽きされたひき肉とトマトの酸味が乗り、長い間ろくなものを入れられなかった胃が、急き立てるようにそれを渡せと指示を出した。


 食事にずぼらな彼女でも、美味しいものは美味しい。ひき肉が混ざったトマトソースに乗せられたバジルの葉が、視覚的にも食欲をそそらせて、麻奈は不足していた栄養を補給するように黙々と食べた。


 彼女はこうして一人で食事をするのが好きだった。正確には、煩わしい縛りを与えてくる相手となにかをするのが苦手だった。

 ときおりスプーンを使用して食べる友達を見ては、なぜそのような所作を行うのかわからなかった。いや、わからないまでは良い。厄介なのは、自分がそれに従わずにフォークのみを使って食事をしていると、親切心からか注意してくる人が一定数いることだった。

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