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 何十年も磨き上げてきた矢を、残さず一斉射撃するような迫力だった。目は血走り、つばを飛ばしながらがなり立てる彼に、場にいる全員が圧倒された。

 男はそれに気を良くしたのか、肩で息をしながらフランキスカを見上げて、勝ち誇ったような顔をした。


「だが一つだけ良いことを教えてやるよ。こ、今回の暴動にグラヒエロは無関係だ」

「なに?」

「北の迷宮に囚われてから、僕たちがあいつと定期的に連絡を取り合っていたのは本当だ。だがいつの頃からか、グラヒエロは魔物と取引をするようになった。本当だ、嘘じゃない。密会に送った内通者が、ま、禍々しい羽の生えた人影を窓から見たと何人も証言している。そしてその頃から、グラヒエロの僕たちへの態度が露骨に変わった。まるで新たな生命線ができたから、こちらとの関係など切り捨ててもいいといったようにな」


 フランキスカは横目でリズレッドを見た。彼女はそれに対して首肯を返す。

 禍々しい羽が生えた人影というのが誰を指すのか、お互い目線で確認し合ったのだ。確証はないが、それは六典原罪の一人であり、真祖吸血鬼メフィアスと仮定して問題ないだろう。楽観的な推測を加える余裕など、いまはないのだから。考えうる最悪を想定しなければ、対応が後手に回る。


 リズレッドは蔑む目で拘束された男を見ると、下卑を込めた声音で言い放った。


「それでお前たちは独断で、混乱に乗じて騒ぎを起こしたというわけだ。全く、なんとも粗末な作戦だな」

「な、なんだと!?」

「あわよくばそのまま政権転覆か、叶わずとも暴動を抑えられなかったフランキスカ殿の顔に泥を塗るつもりだったのだろうが、こうしてお前が自白してくれたおかげで、騒動の張本人が誰かがわかった。それを公にすれば、守旧派への目が厳しくなることもわからないのか」


 彼女はグラヒエロという人物を知らないが、それでも目の前にいる彼よりは我慢強く、周到な男なのだろうと思った。なにせ革命が終わったあとの何十年もの間、目立った反旗を悟らせることなく、計画を練り続けていたのだ。

 彼と仲違いになったこの男が、すぐにこのような粗末な行動を起こしたのが、なによりもそれを証明していた。


 拘束された男は、「女が調子に乗りやがって」など、耳を塞ぎたくなるような罵倒を小声で呟き続けたあと、にやりと口の端を歪ませた。


「……お、お前こそわかっていないな。僕たちは、この街でずっとゴミのような目で見られて生きてきたんだ。その屈辱が、どど、どれ程のものだったか……! 成功する確率なんてどうでもいいのさ。ただ、いままで、ぼぼ、僕に冷ややかな目を向けてきた下級市民たちに、鉄槌をくだせればそれで良かったんだ。ふ、ふふふ、政権の奪還は、そのおまけみたいなものさ」


 人の笑い顔というものを、こうまで歪なものにできるのかと彼女はそのとき初めて思った。

 思わず顔をしかめてしまいそうなほど、底のない穴を見るような笑顔だった。


「……もう良い、連れて行け。事が済んだらこいつも、城塞迷宮に幽閉する」


 フランキスカの命令が下ると、両脇をかかえた兵士が勇ましい返事をして、男をずるずると引きずって来賓の間をあとにした。だが去り際、ねっとりと粘りつく視線がリズレッドを捉えたかと思うと、


「あ、ああ、そうそう。そこの女、気をつけたほうが良いぞ。グラヒエロはいま、エルフを探している。昨日、最後に奴と密会した際に、えらく執心だったと報告を受けたばかりだ。あ、あいつは綺麗な女に目がないからな。ふふ、せいぜい、捕まらないよう気をつけるんだな」


 まるで呪いでもかけるかのような調子だった。力もなく、器もない。およそ恐れるものをなにも感じさせない男だというのに、それでもリズレッドはぞくりと体が総毛立った。背を冷たく粘着質なものが這うような、嫌な悪寒が走る。


 扉の向こうに消えた男をいつまでも睨んでいると、


「気にするな」


 フランキスカが気遣うような言葉を放った。

 そこで彼女はやっと自分が、男の笑顔に出来た真っ暗な穴に足を取られ、身を落としかけていることに気づいた。


 彼女はかぶりを振って気持ちを切り替えると、肩をすくめた。全く問題にしていないという様子を示すために。


 その後は昨夜、指示していたウィスフェンドに残った戦力を目録した紙をテーブルに並べ、航空部隊が攻めてきた際の対応策を練った。

 幸い、エルダー陥落の報を聞いていたフランキスカは、弓兵を多く登用しており、その内の半分は都市に残っていた。防衛線へ持っていける物資には限りがあるので、弓矢などの武器の貯蔵を十分だ。


 そしてその防衛線の状況はというと、劣勢が続いてたが、第一、第二兵団の到着で戦況は好転の兆しを見せているとのことだった。フランキスカはあえて彼らを呼び戻すことはしなかった。ここから戦線までは馬の脚で二日はかかる距離にあり、いま帰還命令を出しても、戻る頃には都市決戦は終わっている。しかも戦線を離れれば、再び劣勢となった戦場で、多くの血が流れることは必至だった。

 ならば都市と戦線、どちらの配駒もいまのまま動かさず、そのなかで戦略を練るのが最適と判断したのである。

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