20

「……一度、リズレッドとアミュレをシューノに撤退させたほうがいいのかもしれない」


 口に手を当てながら、最悪の事態を避けるために頭を捻った。魔王軍の進軍を止めて、リズレッドやアミュレ、そして街の人たちを救う一手が欲しかった。だがいまの俺には、その一手を指す自由すらなかった。


 そんなとき再びボードから電子音が鳴り、おもむろに開くと、そこにはこう書かれたメッセージが、スレッドの最後に追加されていた。


《はじめまして、鏡花というキャラネームでプレイしている者よ。巣からの脱出に協力してあげてもいいわ》


 思わず飛び上がりそうになった。

 ずっと待っていた一言が、ついに現れた瞬間だった。

 早速コメント欄にメッセージを書き込んだが、焦りのあまり支離滅裂になってしまい、何度も書き直した。落ち着いて添削したあと、震える指で送信ボタンを押す。


《初めまして鏡花さん。書き込みありがとうございます。では1レス目で書いた内容の通り、監獄で時間を合わせて落ちあい、お互いの確認をしましょう》


『鏡花』という名前を打つとき、妙な引っ掛かりを覚えた。どこかで聞いたような気がするのだが、どこで聞いたのかを思い出せなかった。

 きっと気のせいなのだろうと思い直し、俺はついに現れた仲間との会話を続けた。


《よろしくてよ。それでは今日の二十時に待ち合わせで構いませんこと?》

《問題ありません。じゃあ今晩、ログインと同時に俺がパーティ申請を出すので、承認を宜しくお願いします》


 会話はそこで終わった。

 なるべく丁寧に話したつもりだったが、向こうに悪い印象を抱かせていないかと不安になり、心臓が鼓動を早めた。なにせこのあとに続いて欲しい、囚人仲間が集まるかどうかの端緒である。タップする指にも気合いが入るというものだ。


 それにしてもこの鏡花というプレイヤー、ずいぶんと芝居がかった話し方をしているが、これはALAでのロールプレイをそのまま応用しているのだろうか。会話を読みかえすと、まるでお嬢様とそれに付き従う執事のようで、妙におかしかった。これなら俺ももう少し砕けた口調でもいいかもしれないな。まさかいきなり『無礼者!』のような怒り方はしないだろう。


 スレッドは俺たちの会話を契機に、新たな書き込みが止んでいた。

 おそらく住人たちも、この異様な雰囲気をまとう新たな来訪者に面食らっているのだろう。


 スレッドが一旦落ち着いたことを確認し、一旦BBSを閉じる。実は鏡花が提案してきた二十時は、麻奈との索敵の打ち合わせ時間でもあったのだ。

 SNSアプリを開き、あらかじめ交換していた連絡先へメッセージを送る。電話でも良かったが、おそらく彼女なら今頃、ALAにダイブしている真っ最中だろう。


 一年前に初めてギルドで会ったときは気づかなかったが、どうやらあいつは生粋のゲーマーらしい。とにかく時間があればギルドに通いつめるという始末で、この前など真剣な顔で『もうギルドに住みたい』とまで言い放ったときは、さすがに言葉を失った。冗談だと笑っていたが、どうにも彼女の言う冗談は冗談に聞こえないときがあり、どう対応して良いかわからない。

 しかも、あれで学業の成績も優秀で、大学の教授からの受けが良いというのだから、ひと昔前の万能系主人公のような奴である。全く、人というのは不平等だ。


 愚痴をそこで切り上げて、時計をちらりと見た。待ち合わせの時間まで余裕があるのを確認すると、空いた時間で大学の講義に顔を出すことにした。


 講義中、連日の疲労により、壇上で弁達する教授が、まるで睡眠魔法でも詠唱しているのでは疑うほどの睡魔に襲われたが、なんとか耐えた。思い返せばALAにのめり込んでからは、いつもこんな感じのような気もする。


 現実世界とALA、どちらが大切かを問われたとき、今の俺はどちらを指差すのだろうか。第三者に知れたら奇異の目で見られること必然のその疑問に、頬杖をつきながらも大真面目で考えた。無論、留年や追試などの心配はいまのところないのだが、その選択を、なんとなくいつか迫られるような気がしたのだ。


 大学にいる中で、ずっとその天秤の乗った両端の重さを測っていたが、ついに答えは出なかった。


 その後、日が暮れてから再びギルドへ戻った俺は、受付嬢にクレジットを払って手続きを行い、ログインルームへ入った。


 そこで、しまったと後悔した。

 打ち合わせ時間がポッドに入る時間を指すのか、監獄に転移したタイミングを指すのかを決めていなかったのだ。

 ここで行き違いが起こるのは避けたかった。なにせラビがあそこで生きられる時間は四十秒しかなく、鏡花ならもっと少ないかもしれない。掲示板で知り合っただけの相手を信用するなど、一度が限度だ。もしログインして相手がおらず、無駄に殺されて終わる結果になどなれば、もう二度とこちらを信じてはくれないだろう。


 それどころか、あの鏡花というプレイヤーなら、スレッドに二、三、文句を書き込みかねない。そうなれば他の仲間の探すことにも、大きな支障が出るだろう。

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