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 しかし、そらは今さら気に病んでも仕方のないことだった。

 俺は気持ちを切り替えて、時計を確認して二十時一分前にポッドに入った。


 次に目覚めるときには、きっと近くに鏡花というプレイヤーがいるはずだ。そう願いながら、ゆっくりと目蓋を閉じる。

 やがて体内を漂うナノマシンにより、現実の体から仮想体へ、神経のリダイレクトが起こる感覚が湧きあがり、ほどなくして俺は意識を転移させた。



  ◇



 ログインして目に飛び込んできたのは、眼前を埋め尽くす子蜘蛛の集団だった。

 ごそごそと這いずる音とともに、暗闇ではっきりとしない視界の中を、小さな輪郭が無数に動き回っていた。

 何度も見てもおぞましく、慣れない光景だった。


 奴らは待ちわびた餌を喰らうために俺へ一斉に群がると、次々と身体中に噛りついてきた。途端にステータスに毒と麻痺を示すアイコンが表示される。


「――ッ」


 一瞬で声が出せなくなるが、そんなものは関係なかった。なにもできずに奴らの腹の足しと経験値になっていた頃に比べたら、いまは何倍もマシである。

 意識下でウィンドウを表示するよう指示すると、暗闇のなかに白く発光する四角形の窓が現れた。眼前は蜘蛛で覆われているというのに、不思議とそれだけは視認できた。

 画面の文字に意識を集中させれば、指でタップするのと同じようにウィンドウを操作できる。これは麻奈とパーティを組んだ際に、何度も確認済みだった。俺は急いでパーティ申請画面を選択すると、申請検索欄に『鏡花』と入力し、申請ボタンを押下する。


(頼む、居てくれ……!)


 願うように待つこと数秒後、すぐに承諾メッセージが表示された。

 この瞬間、俺と鏡花はパーティメンバーとなり、お互いの位置を把握できるようになる。行き違いにならなかったことに安堵するが、残されたHPがすでに半分を切っている。時間がないのを再確認し、急いでマップを表示させた。


 長方形の部屋が一つ、マップにぽつりと表示される。これがいまの俺に提示される、位置情報のすべてだった。


 そして、そのごく小さな領域のなかに、仲間を表す青いピンが、希望の旗印のように立っていた。


 体が麻痺していなければ、大声を上げて拳を突き掲げていたところだろう。しかもそのピンは、なんとここから真正面の位置に表示されていたのだ。思わず正面を見据えたが、視界のほとんどは蜘蛛に覆われしまっていた。もうすぐ目玉も奴らに喰われるだろう。視界が暗転する前に、なんとか一度だけでも肉眼で確認できないか凝視していると、針の穴ほどの隙間が生じて、そこから向こうが微かに覗けた。


「……っ!」


 薄暗い闇の向こうに彼女はいた。黒髪の女性で、華の意匠が施された袴を着た召喚者だった。あちらからは蜘蛛に遮られて、俺の姿はほとんど見えないだろうに、彼女からは仲間が現れたことによる安堵か、それとも別の思惑を抱えた感情なのか、判然としない微笑が浮かべられていた。


《9536101》


 ふいにウインドウに新たなメッセージが届いた。宛名は鏡花からだった。

 その直後、視界一杯に蜘蛛の口が映ったかと思うと、そのまま暗転した。眼球に嚙りつかれ、食われたのだ。それでも最低限の処置として、ウィンドウだけは視認することができた。といっても、絶命するまでにもう五秒もないだろう。その短い時間で、彼女から届いた謎の七桁の数字を頭に叩き込むと、ほどなくして『GAME OVER』の文字がラビに見える全てとなった。



  ◇



 ログアウト後、ロビーの共有スペースに戻った俺は、彼女が残した数字の意味について考えた。といっても、それほど難しい問題でもなかった。あの状況で伝えてくる数字の意味など、一つしかなかった。


 ボードを取り出し、ALAの専用アプリを起動させる。

 キャラクターを作れば自動的にアカウントが作成され、好きなときにアバターの状況を知ることができる。ステータスや装備確認ができるほか、運営が用意した各種要件にチャンネル分けされたBBSも設置されている。もっとも、こちらのBBSはあまり人がおらず、俺も含めて、大半のプレイヤーは外部の巨大匿名掲示板を利用している。俺が仲間を集った掲示板も、アプリBBSではなくそちらだった。

 そしてこのアプリには、もう一つ大きな機能がある。それがもっぱらの、このアプリを利用する最大の理由であった。


「9536101、と」


 先ほど鏡花から伝えられた番号を、プレイヤーナンバーの検索欄に打ち込んでいく。これはアカウント一つ一つに割り当てられた個別識別番号である。検索ボタンを押すと、ロードを示す円形状のアイコンが画面の中央でくるくると回り、ほどなくして一人のプレイヤーがヒットした。やはり、それは鏡花だった。


 この段階で俺に用意された選択肢は二つしかない。フレンド申請を行うか、黙って画面を閉じるかだ。

 フレンド同士になれば相手の設定にもよるが、向こうがオンラインかオフラインかの確認ができるほか、個別のチャットルームを開くことができる。これこそがALAアプリ最大の有用性だった。一般人が利用している、もっとユーザー数の多いSNSアプリもあるのだが、ALAの友人にそれを教えるのは憚られるというプレイヤーの要望に答えて、サービス開始直後にバルロン・アーシュマが用意した特注品である。金に物を言わせたのか、外国製であるにもかかわらず日本語に完全対応しており、表示速度やレスポンスの良さ、UIの優秀さなどから、むしろ実生活でもこちらのアプリを使いたいという声が上がるほどだ。



 ◇◆◇



用語集


『ボード』

二〇四六年におけるスマートフォンに代替されるもの。

法律で義務付けられた体内ナノマシンと連携し、ユーザーのあらゆる体内変化、精神状態を取得し、バイオグラフを作成する機能を持つ。

本体はプラシートほどの厚さで、デバイス自体には処理能力はほとんど内臓されておらず、出力と通信機能が備わっているのみである。

新通信規格であるXXGによりユーザーが行なった操作に基づき、瞬時に契約しているキャリアサーバーにより処理が行われたあと、出力のみが表示される。

現在、キャリアの価格プランは通信速度や通信量に準拠しておらず、処理能力の高低により設定されている。翔はauの『トクトクスゴ早プラン(月額7980円)』と契約している。

サーバーでデータや処理を一元管理しているため、同一ユーザーであれば、スマホサイズからタブレットサイズ、テレビサイズなどあらゆるサイズのボードと瞬時にスイッチすることが可能。

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