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 ……まさしくここは『地獄』というべき場所だった。

 こうしている間にもリムルガンドのクリスタルでセーブしたプレイヤーが、依り代を失ってデミクリスタルへ呼び寄せられ、養殖場に投げ込まれる餌のように追加されていった。そしてそれを察知した子蜘蛛が次のご馳走を求めて迫り、あっという間に召喚者の体を覆い隠し、また悲鳴が上がる。ここはずっとそれの繰り返しだった。そしてそれは、俺も例外ではない。気づけば何千という蜘蛛が足元まで迫り、かつかつと牙を突き立てて試食を開始しているのが、靴から伝わった。


「貴方はアモンデルトを倒した実績があるから、今回だけ特別に私が出向いたの。でも貴方程度なら、アラクネに任せても十分ね」


 メフィアスは蠱惑的ですらある微笑みを浮かべながら言った。しかしこちらのことなど、一切気に掛けるつもりはないといった様子だけは、痛いほど伝わった。


「リ……」


 ついに足を捕食され始めるなか、不意にあの人の名前を呼びそうになり、咄嗟に堪えた。


「リ……? いま、何を言おうとしたのかしら?」


 メフィアスがそれに反応すると、鎖に繋がれた俺の顎をつい、と指で持ち上げた。


「召喚者が特定のネイティブとペアを組むのはもう知っているわ。だから、勿論貴方にもお相手がいるのよね。いま、その名前を呼ぼうとしたのかしら?」

「……お前には関係ない」

「それは貴方が判断する事じゃないわ。ネイティブは召喚者を疎ましく思う者もいる一方で、希望にしている者も多いの。それはそうよね、敗戦濃厚な戦争で、何度も蘇る兵士が現れたんだから。……だからね、教えてあげないといけないのよ。召喚者に肩入れしたネイティブの末路というものを」


 深沈として告げるが、心の底がありありとわかるほど、ひどく冷たく、残忍な声音だった。俺はそれを跳ね返すように怒声を上げる。


「お前たちがなにをしようと、勝つのはネイティブだ!」

「……へえ、この状況でまだ彼らを守ろうとするのね。でも、そう焦らないで。時間はたっぷりあるもの。何度も、いつでもここに来ていいわ。そのたびに蜘蛛に体も心も食われて、最後には必ず言いたくなる」


 メフィアスは次第に息を荒げていき、


「うふふ……それでも吐かないときは、私が食べてあげる。男は趣味じゃないけど、貴方はちょっと美味しそうだもの」


 そう告げて俺の頬に軽く口付けをすると、薄く高揚した顔を離し、アラクネに命令を出した。


「それじゃあ私は本職に戻るわ。定期連絡は怠らないようにね」

「はい、メフィアス様」


 彼女が取り出した巻物を宙に放った。締め紐がひとりでに解かれ、書が大きく広がると、次の瞬間にはメフィアスが光に包まれて、消えた。

 帰還スクロール……そんなものまで持っているのか。


「それでは子供たち、沢山お食べなさい。大丈夫、食べても食べてもなくなりはしません。沢山栄養を摂って、早く大きく、そして強くおなりなさい」


 アラクネはそう言うと、再び闇のなかへと消えていった。何度声をかけても、振り向きもしなかった。奴にとって俺は完全に家畜だった。食料がなにを喚いてもうるさいだけというように、なるべく耳に入れないようにしているようだった。


 松明の火は茫々と燃え続け、じりじりと寄せる子蜘蛛の群れを鮮明に映した。

 必死に抵抗を試みるが、チェーン・オブジェクトの拘束力は凄まじく、指一本動かすことができなかった。動くのは思考と声帯だけで、それはこの悪夢の状況を打開する手段にはなんらならなかった。


 そしてついに、アラクネの幼体たちが俺の肌へと牙を立てる。レベル20を超えるこの体が、いまさっき生まれたばかりの魔物に致命傷を負わされることはない。だがそれでも奴らは、確実にラビの肉体を噛み切っていった。


 ブチブチと嫌な感覚が足から伝わる。痛みと判定されない衝撃ならば、現実と同じ程度に脳へ伝えるALAの技術力が、最悪のエッセンスとなって俺にふりかかった。


「あ……ぐ……」


 赤く光るエフェクトが散り散りになって消えて行く。破片が全て小指ほどの大きさの蜘蛛の腹のなかに収まっていく。

 痛みもなく、ログアウトもできない状況でそれを傍観し続けるのは、まさしく拷問と言って良かった。

 早速、眼前にイエローウィンドウが一つ表示された。適度な休憩を取りつつ、楽しくゲームをプレイするように……と喚起する文字盤が、いまの光景とあまりにも似つかわしくなく、ひどい冗談を受けている気になった。


 だがここで、さらに二つのイエローウィンドウを表示させるわけにはいかなかった。三つの警告を受けると、ペナルティであるレッドウィンドウが現れてしまう。そうなるとプレイヤーは、一週間のログイン不可を課せられるのだ。

 そんなものは耐えられなかった。リズレッドはいま、クリスタルが破壊されて死んだ俺と、もう永遠に会えないのではないかという恐怖に狩られているはずだ。そんな彼女を置いて、自分だけのうのうと現実で生きるなど、絶対にしたくはない。


「俺は、ここにいるぞ……!」


 石壁で囲まれた収容所のなかで、下半身を食われながら、俺は天井を見ながら低く呟いた。

 だが見上げる先には、周りと同じく冷たく重い、石の天井しかなかった。


 しばらくして俺のHPはゼロとなり、ゲームオーバーの文字と共に、再びラビは死んだ。

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