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◇
それからはギルドに戻り、再度ポッドに乗り込んでログインを繰り返した。だがそのたびに何も活路を見出せず、ただ養分となるだけだった。
どんなに足掻いても、何千という子蜘蛛の毒にやられて行動不能となり、意識を保ったまま食われ続けた。
五度目のゲームオーバーのあと、自殺に等しい行為の連続に耐えられなくなり、トイレの個室に篭り、胃のなかの物を戻した。
ほとんどなにも食べていなかったので、内容物の変わりに黄色い胃酸が白い陶器の上に流れ出た。
嘔吐で涙が滲み、悔しさがそれを溢した。ロックイーターに勝って必ず戻ると言った約束が、どんどん遠い彼方へ消えていく感覚がした。あのときは無我夢中で、彼女を生き延びらせるためについた、その場しのぎの嘘でも良いと思った。だがこうして離れ離れになりわかった。約束が嘘になるかどうかは、まだ決まっていない。何故なら俺はまだ生きており、それを果たせる可能性をまだ持っているはずだからだ。だが現状は恐ろしく絶望的だった。二つの分かれ道の片方の先でリズレッドが待っているのに、大きな壁に阻まれて、どんなに砕き割ろうと尽力しても、それはびくともしないのだ。
なにがゴールドランクだ。なにがザ・ワンだ。それらは全て、俺の隣にいてくれた人のおかげで得た称号だった。
対面に見える真っ白な陶器の上で吐き出した自らの物が、
「リズレッド……俺は……どうしたら……っ」
この世界にいない人の名を呼びながら嗚咽した。
気づけばトイレだけではない、見える景色全てがモノクロに変わっていた。
あの謎の声で呼びかけられたときと同じように、世界から急速に色が失われていたのだ。だが決定的に違うのは、あのときは与えられたが、今回は奪われたということだった。彼女を奪われたという絶望が、視界に映る色を全て剥ぎ取っていた。
ふらつく足に力を込めてなんとか立ち上がると、レバーをひねって水を流し、個室を出た。まだ気分は最悪と言って良かったが、これ以上膝を折って床に伏せていたら、一生立ち上がれなくなりそうだった。
何度失敗してもいい。何度死んだっていい。とにかく足掻いて、絶対に諦めないという意思を、自分自身に知らしめる必要があった。……だがその思いは、呆気なく打ち砕かれた。
六度目のログインは、あの地獄の牢獄すら俺に見せてはくれなかった。
《プレイヤーに過度の疲労、ストレスが検出されました。申し訳ございませんが、本日のログインは停止させていただきます》
現実とALAの境にある意識のなかで、そう告げる警告文が眼前に広がった。これ以上ここから進むのを拒むような、壁のように大きなウィンドウだった。
ついに俺は、分かれ道にすらたどり着けなくなった。
「嘘だ……」
俺はその壁に対して、落胆しながら、それでも力を振り絞って叫んだ。
「俺はまだやれる! こんなところで諦めるわけにはいかないんだ! 立ち止まるわけにはいかないんだ! 頼む! あと一度でいい、もう一度俺を――」
言い終える前に唐突にウィンドウが消えた。
お前の言い分など知ったことではないという無慈悲さで、再び暗闇にひとりぼっちになり、次には横たわる感触が背中に戻った。
目蓋を開くと、ゆっくりと開くポッドの蓋が見えた。
強制的に切断されたのだ。
茫然としてそれを眺めた。まるでとっとと出て行けと開かれる門のように蓋は口を開けると、ギルドの――現実――の景色を俺に見せた。
ついに俺はシステムから強制退去を食らってしまったのだ。一週間のストップでなかっただけマシなのかもしれないが、この状況で待つ一日は途方もなく長い。なんの抵抗もできずに、ただ虚無に時間を費やすことになるのかと思うと、今までに誤魔化していた疲労がついに抑えなくなり、痺れるような疲れが全身を支配していった。
だが、いつまでもポッドで横になっている訳にもいかず、どこへ行くでもなくロビーまで戻ると、適当に見繕った壁際のソファに腰掛けた。体が重く、ひどく眠かった。手も足も出ないという現実を叩きつけられ、次いで強制的に思考を停止させるような、本能からくる睡眠司令が噴き出してきた。俺はそれに負けて、ついに意識を失った。
……気づけば暗闇のなかにいた。
寒くもなく暖かくもなく、寝ているのか立っているのかもわからない。
『……行きたい』
小さく呟いた声が、気泡となって上へと上がっていった。
ここがどこなのかは疑問に思わなかった。壁を壊す手段を見つけるために、深い海の底へ沈んでいくような感覚だった。
『……どうすれば、もう一度会えるんだ』
底へと近くたびに、それだけが頭のなかを満たしていった。いままで感じてきた悩みなど些細な物だったと思えるような、強烈な不安が、この先に待ち受けているのだと何故か理解できた。
やがて沈みきった先で、俺は見知った場所に出た。あの拷問室だった。だが子蜘蛛は姿が見えず、アラクネもメフィアスもいなかった。無人の一室となった石の部屋に、俺はぽつんと立っていた。
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