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余裕を失い、喚き散らすノートン。そこには先ほど、俺たちにご高閲を垂れていたふてぶてしい男の面影は一切なかった。そんな彼を見て、アミュレが冷えた瞳で、うっかり漏れてしまったというように呟いた。


「……クズ……ですね……」


 アミュレの瞳は、相手に無償の施しを行なっていた先ほどまでとは打って変わり、とても蔑んだ瞳をしていた。


「なに……?」


 ノートンが抗議の声を上げるが、アミュレはそれを遮った。


「あなたはこの状況で、まだ自分だけ助かりたいと仰るんですか? ウィスフェンドの守り人は、とても誇り高い方たちだと教わりました。ドルイドの智慧とバーバリアンの武力を両方修めた、素晴らしい方たちだと。でしたら戦ってください。英雄として。見れば、あなたは立派な職を神託されているじゃありませんか。そんな職を授かっておきながら、どうして逃げようとするんですか」


 俺はそれを聞いて、ああそうか、と納得した。彼女がこの様に蔑んだ目をノートンに向けるのは、戦う力を神から得ておきながら醜態を晒す姿に、檄を飛ばすためだったのだ。『あなたはその程度ではないでしょう』という心からの叱咤が、小さな少女の体からほとばしっているように見えた。


「だ、黙れ! お前のような小娘になにがわかる! 魔法剣士である僕は今この場において、誰よりも生き延びる価値のある者なんだ! 僕が死ぬことは大きな損失になるんだぞ!!」


 アミュレの想いなど計ることができないノートンは、激昂して自らの価値とやらを声高に宣言し始めた。完全に状況を把握する視野を失い、もはや錯乱状態と言って良かった。そしてそんな彼を、竜蟲が見下ろす。そして一目散に口を大きく開けると、その臼歯ですり潰さんと迫った。


「っ危ない!」


 完全に我を失っていたノートンはそれをまともに受けた。体の全ては岩食いの魔物に飲み込まれ、その頑強な歯でミンチにされた。……誰もがそう思った。だが、そうはならなかった。


「……ぁ……ぐ……」


 巻き上がった土煙の中で、少女の呻きが聞こえた。視界が晴れると、そこにはノートンをかばい、寸前のところで攻撃を避けたアミュレがいた。盗賊の感知能力と素早さが、間一髪で彼の窮地を救ったのだ。だが、


「え、えへへ……これは、ヘマしちゃいましたね……」


 彼女の右足は襲い来るロックイーターの攻撃を完全には避けきれず、巨体と岩に潰され、おかしな方向へねじ曲がってしまっていた。


「すぐにヒールライトをかけるんだ!」


 たまらず叫んだ。ヒールではとても癒しきれない傷なのはすぐにわかった。彼女がヒールライトを使用できるのは不幸中の幸いだ。ホークの重傷でさえ回復させられたあの魔法なら、折れた彼女の足首も、きっと元に戻るだろう。だがアミュレはかぶりを振ってそれに答える。


「いいえラビさん。ヒールを欲してる人は、ここにもう一人います」


 そう言って目の前に横たわる……竜蟲の攻撃によって頭から血を流すノートンを、彼女は見つめた。彼の怪我も彼女と同様か、それ異常に深かった。失血死すら考えられる量の血がとめどなく流れ、苦しげな声を上げる。アミュレが助けなければ今頃は肉片と化していたであろう男に、少女の小さな手が触れた。


「大丈夫、いま助けますよ。絶対に死なせません」


 そう呟くと、彼女はヒールライトを唱えた。ノートンの体が翠の光に包まれ、血の広がりが止まるのがわかった。


「これで良し、と。流れてしまった血は元には戻せないので安静にしなくちゃいけませんが、ひとまず命に別状はないはずです」


 ほっとした声で彼女は言った。今しがた自分を殺そうとした相手を救い、心の底から安堵した声だった。しかしその間もアミュレの右足の腫れは大きくなり、もはや歩くことすら困難なのが見て取れた。


「……どうやら私はここまでみたいです。ラビさん、どうかこの人だけでも担いで逃げてください。きっとこの人も、まだやり直す道が残されているはずなんです」


 取り繕った笑顔でそう言うアミュレ。やり直す道が残されている。その言葉は、彼女自身がずっと信じてきた言葉だった。許されない罪を背負いながら、それでも人のために尽くす道を選んだ、彼女の心の拠り所となる言葉だった。しかしそのために自らの傷よりも他人を癒すことを優先した結果、逃れがたい死が迫っていた。俺は拳を強く握り、呟いた。


「――ざけるな」

「え?」

「ふざけるな! お前はもう俺のパーティのメンバーだ! 勝手に死ぬ覚悟なんてするな! 絶対に生きてウィスフェンドに戻るぞ、わかったな!」

「け、けどこの傷じゃもう逃げることは……」

「俺が囮になる。その間にアミュレはMPを自然回復させて、ヒールを使って回復。そして戦線を離脱しろ。ヒールライトを使えるまで回復する時間は稼げないだろうけど、ヒール程度の時間なら稼いでみせる」

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