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しかしノートンは、そんな彼の意思をもあざ笑うかのように言った。
「くくく……召喚者程度の言葉を街の奴らが信じられるかな? 僕は城塞都市に戻る頃には、五十年前の悪夢を終わらせた英雄だ。人は英雄譚の前には、些細な事実を抹消するものだ」
「……」
「どうした、早く行け。ぐずぐずしてると、この子供の命はないぞ?」
急かすノートンに押され、俺とホークは再び踵を返してロックイーターがいる戦地へと足を向けた。
……だが、そのとき。
「――いや、その必要はない」
後ろから、銀鈴の声が響いた。
俺は急いで振り返った。
その夜闇に閃く月光のような声には聞き覚えがあった。
視線の先に捉えたのは、女神と見間違うほどの美しい女性だった。宙を駆け、少女を手にかけようとする男へ飛びすさる。重さなどまるで感じさせない、軽やかな跳躍だった。
彼女は黄金の髪を月夜に照らし、手にした白剣を鞘に納めたまま、ひゅんと音を立ててそれを振るった。
直撃し、「ぐげ」という短い喘ぎ声を発し、アミュレを残して吹き飛ぶノートン。
目を白黒させて、状況を見守るのが精一杯の俺たち三人。それに対して跳躍から着地した女――リズレッドは、涼しい顔を浮かべなながら言った。
「ラビ、君に謝らなければいけないな。このような低俗な男、確かに目の前にしたら激昂してしまうのも無理はない」
そう言いながら彼女が横目でちらりと俺を見て、笑った。その笑みはたった一日見なかっただけだというのに、とても懐かしく、そして愛おしく感じた。
「リズレッド、どうしてここが」
「君が今日辿ったルートを、そのまま追ってきただけだ。付術師の工房に行き、その後に宿屋に戻ると置き手紙を見つけてな。あとはここで何かが起こっている気配を感じたので、全力で走ってきたという訳だ。……そして」
ノートンに近づくと、相手に対して今度は鞘から引き抜いた白剣を向けた。剣と同じく、恐ろしく鋭利な切っ先を思わせる冷静な口調で言を発する。
「初めまして、貴方がノートン殿だな。どうやら私のパーティメンバーが、ずいぶんと世話になったようだ」
「ヒッ」
口調も瞳も至って冷静……いや、熱というものを感じさせなかった。エルダー攻略戦時に何度も見たスカーレッド・ルナーとしての彼女の瞳が、ノートンへと向けられていた。ああなったときのリズレッドは誰にも止められない。自らの目的を果たすまでは、決して行動を止めることはないのだ。不本意ながら俺は彼に、ほんの少しだけ同情してしまった。
「さてノートン殿、取引をしよう。なに簡単だ、金輪際私たちに関わらなければそれでいい。見た所、君はウィスフェンドに特別な感情を抱いているようだが、それはこの街の住民たちだけの問題だからな。私たちには関係ない。ラビと……アミュレにさえ手を出さなければ、この場を収めよう」
「そ、その二人以外なら……お前は何をしても見過ごすというんだな? 奴の隣にいる兵士はお前の管轄ではないと……」
「ああ。だがそこの兵士に危害を加えようとすれば、おそらくラビは全力でお前に抵抗するだろうな。その場合、私も加勢させてもらう。それを覚悟するなら、好きにすれば良い」
「ぐっ……」
苦虫を噛み潰したような面持ちでノートンが呻いた。対するリズレッドは切っ先を向けたまま、冷静に選択を迫った。たまらず彼は生唾をごくりと飲みながら首を縦に振った。そのまま両手を天に掲げると、こちらを向いたまま後ずさる。
それは間違いなく降伏の合図だった。腕に覚えのある彼とて、リズレッドの前では抵抗することなく降参する道を選ばざる得なかった。他のネイティブと対峙するほど、彼女の抜きん出た実力を再確認させられる思いだった。
事態が終結へと向かおうとしていたとき、大地が揺れた。
地面の中を大きな何かが這いずるような、不気味な揺れだった。
「リズレッド! 奴が来る!」
俺はその正体を察すると、急いで彼女に呼びかけた。リズレッドは白剣を握ったまま、俺の目を見て言った。
「ラビ、君がバッハルード殿と交わした約束があるのは承知している。だがロックイーターは君たち召喚者にとって天敵の可能性が高い。ここは私も加勢させてもらうぞ」
「なに? それはどういう……?」
疑問を口にする前に、衝撃が先に来た。硬い岩を砕きながら赤黒い体を天に昇るほど突き上げながら、目なしの化け物が再び俺たちの前に姿を現した。
「ひ、ひぃぃぃいいいいいいいっ」
ノートンは腰から砕け落ちて尻をつくと、奴に畏怖しながらばたばたと後ろへ下がった。
「たっ助けてくれ! リズレッド、君は強いんだろう!? エルフの国で数々の武勲を上げた騎士だと聞く! 金ならいくらでも出すぞ、貴族の身を追われたとは言え、隠し財産はまだたんまり残っている!! 僕がウィスフェンドの上役に復帰した暁には、お前に地位を与えることも約束しよう! だからそのカスどもではなく、僕を守れ!!」
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