29
それを聞くとリズレッドは少しだけ押し黙り、過去を眺めるように遠くを見ながら、言葉を発した。
「ああ、なにを隠そうエルダー騎士団は、その全員がこの城に個室を用意された、精鋭中の精鋭だった。王と同じ住まいで、エルダーのために仕事ができるなど、これ以上に誉れ高いことはなかったよ」
「全員が、ここに……」
「……皆、将来を約束された騎士たちだった。国へ絶対の忠誠を近い、共に研鑽に励んだ。死線をくぐり抜けた数も、一回や二回ではなかった。だが……」
「……」
そこまで言い終えると、また沈黙が流れた。気丈に振る舞ってはいるが、思い出深いこの城に戻ってきたことで、彼女の中で堪えきれない思いが、溢れ出しそうになっているのが伝わる。
「……すまない。湿っぽい話は、今はしないほうが良いな」
目を閉じながらかぶりを振り、謝罪の言葉を述べる。その姿がとても痛ましかった。
「……あとで、ちゃんと聞かせてくれよ」
「え?」
「リズレッドの仲間たちのことをさ。知りたいんだ、どういう人たちだったのか」
「……ああ、聞いてくれ。話すことなら、いくらでもあるからな」
そう言ってリズレッドは薄く笑った。だが彼女の胸の底に敷き積もった哀憐が、表層に次々と浮かび上がるのがわかった。
エルフの寿命は長い。膨大な年月を、その仲間たちと過ごしてきたのだろう。王のために剣の腕を磨き、国の明日を切り拓いてきた団員たち。それが今では、記憶の中にしか存在しない。その辛さを俺は、想像することすらできない。
だからせめて、思い出を共有して欲しかった。彼らの勇姿を知る者が一人でも多くいることが、心の救いになると思った。
リズレッドは階段の方向に首を振ると、俺に視線を促した。
「王は四階に構える玉座の間にいらっしゃるはずだ。ここのゾンビはおそらく手強いだろう。襲撃の際に騎士団を半分に分けて、城の警備に当たらせたからな」
「……ということは」
「ああ、彼らほどの遺体を、奴らが手駒にしないはずがない。愚者となって、この城を彷徨っていると考えるのが妥当だ」
「……なんとか救ってやりたいな」
「……気持ちは嬉しいが、彼らを相手取るのは戦力的に厳しい。もし複数人で挑まれたら、戦況をコントロールできる自信がない」
その言葉に思わず唇を噛んだ。彼女なりに精一杯、気を使った言い回しをしてくれていたが、要するに俺は、まだまだ未熟者なのだ。
ここまで辿り着くことができたのは、ひとえにリズレッドのおかげだ。ゾンビを二撃で倒せるとはいえ、それは彼女のバックアップがあってのことだった。戦闘経験が圧倒的に不足している俺は、小対多の立ち回りが全くわからない。事実、危うくこの国に来てすぐに、油断で死にかけたほどだ。前に出て立ち回ってくれる彼女がいなければ、道中で殺されていたのは間違いない。
「……そう、だな」
「言っておくが、普通のゾンビだって、初心者には決して侮れない敵だ。それをたった二日で相手取れるまでに成長したんだ。誇っていい」
リズレッドはフォローしてくれたが、その心遣いが余計に辛かった。
だが次に彼女が発した言葉は、そんな俺の心を、さらに困惑させた。
「――だが、それもここまでかもな」
「え?」
気のせいか、俺を見るリズレッドの双眸が、急速に冷えていく気がした。まるで冷夜の月のように、暗く、鋭く。
彼女はそれが何にも増して重要なことであると示すように、一拍置いたあと、十分に注意を引いてから言った。
「君はこのまま、シューノに戻れ」
「……は?」
一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。
脳がやっとその言葉を処理したとき、咄嗟に湧いたのは怒りだった。
ここまで来て、それはないだろう。彼女は俺のことを『支え』だと言ってくれた。俺はそれに応えたかったし、たとえ腕は未熟でも、最低限それだけは果たせていると考えていた。だが違うのか? 俺は『支え』としてさえ失格なのか?
「……どういうことだ?」
「そのままの意味だ。大勢のエルダーの民を斬るために、君は私の心の拠り所だった。だがここまで来れば、もう大丈夫だ。王を斬る任務くらいは、一人で果たせる」
「……冗談だろ?」
「この目が、そういう風に見えるか?」
「――っ」
「君は本当によくやった。だがもう、それだけではどうしようもない領域まで来てしまった。レベルを考えろ。それにこれは、もとよりこの国の生き残りである、私一人で決着をつけるべき問題だ」
熱を含まない声音だった。まるで初めて会ったときのリズレッドだった。刺々しく、他人を信用しないあの時の……。
だが俺は、ここで大人しく従うほど物分かりはよくない。
「……断る」
「……命を無駄に散らすのか? 言っておくが、ここの敵の強さは、城下町の比ではないぞ。無駄死にするだけだ」
「俺は何度でも生き返れる!」
「…………それが信用できないのだ」
「……どういうことだ?」
「……考えてもみろ。お互いに命がかかっているからこそ、死地で共に肩を並べられるのだ。『死んでも次がある』などと安易に言える者に、命を預けられるか?」
「……ッ!」
頭が激昂しそうだった。つまり俺は、ここまで彼女を連れてくるために利用されていたのか。『支え』という言葉に浮かれて、一人相撲をしていただけなのか。これが彼女の本性なのか。
次第に心を暗いものが包んでいった。だが、どうしても確かめたいことがあった。
「……俺はリズレッドにとって、なんなんだ?」
思わず問いたその言葉に、一瞬だけ間を置くと、彼女は冷淡に告げた。
「……召喚者だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「……ッ!!」
彼女の言葉の一つ一つが、ことごとく胸に突き刺さり、思わず怒鳴り声を上げた。
「どうしてだ! どうしていきなりそんなことを言う!! ふざけるなッ!!」
怒りにまかせて彼女の手を取った。だがそこで、
「っ!?」
「離せ!!」
リズレッドに払われ、俺の手は宙を舞った。
目が丸くなった。だがそれは、彼女の辛辣な態度からではなく、
「……そういうことだったのか」
彼女の真意に気づいたからだった。
……震えていた。
先ほどとは比にならないほど揺れる、リズレッドの細い指が、一瞬だが、俺の手の中に確かにあったのだ。
「……リズレッド」
意を決して再び手を取った。何度払われようが構わない、何度だってそうするつもりだった。
だが二度目に握った手は払われず、彼女は大人しくその震える手を俺に示してきた。
思わず腕を引き寄せ、リズレッドを抱いた。
「……馬鹿野郎」
「は、離せッ! いきなり何を――!」
「離さない!!」
「ッ!?」
リズレッドの肩が、びくんと震えた。
「……俺はそんなに頼りにならないか?」
「……っ」
「なあ? もう一度聞かせてくれ。リズレッドにとって、俺はなんだ?」
再びの問いかけに、彼女は行き場のない短い言葉を発したあと、観念したように言った。
「……な、仲間だ……大切な……仲間だ」
「……ああ、俺もだ。リズレッドは大切な仲間だ。だから、こんなところで一人置いていく訳にはいかない」
「だけど……私……こんなに震えて……限界なんだ……もう、知った顔を斬るのは……」
「じゃあ俺が斬るよ」
「でも……ここの敵は強くて……私が斬るしかないんだ……だから……ラビをこれ以上はもう……守れないかもしれない……」
「俺がリズレッドを守る」
「……っ」
「頼りないかもしれないけど、絶対にリズレッドを王のところまで連れて行く。約束する。信じてくれ」
「……信じてる。信じてるんだ。……だからそれだけ、怖いんだ。信じた人がいなくなる怖さに……私はもう……耐えられないんだ」
「俺はいなくならない! 死んでも生き返るって意味じゃない。俺はこの城で、一度も死ぬことなく君の隣にいる。絶対だッ!」
「う……あ……っ」
そっと回った彼女の手が、俺の背中を握った。強く存在を確かめるように。
俺の熱は、ちゃんと彼女に伝わっているだろうか。
召喚者の体では、熱は痛みと判定され、感じることができない。ただ何かを触っているという感覚が伝わるだけだ。こんなに近くに彼女がいるのに、まるで薄くて強固な硝子が間に挟まっているようで、歯がゆかった。
「ありがとう……ありがとうラビ……私は……ああ……っ」
胸に顔を埋めながら、嘆息して言葉を紡ぐリズレッドの頭を優しく撫でた。
信じている者が死ぬことへのトラウマが、彼女を冷淡な態度へと導いていたのだ。だがそれは、どこまで行っても一人にしかなれない、悲しい一本道だ。突き放すことと大切に思うことは、隣り合わせなのかもしれない。
だから彼女には、横に誰かがいる道を選んで欲しかった。それが俺であれば良いと分不相応なことを考えるが、今はとりあえず、泣きじゃくる彼女の頭を、何度も撫でることだけが、俺にできる精一杯のことだった。
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