30
敵地の中心だというのに、俺たちはしばらくそのまま、お互いの存在を確認し合った。どちらが欠けても、王の弔いは成せないことを理解し、相手の大切さを、心に染み込ませるような行為だった。
じきにリズレッドの涕泣は収まったが、ローブに顔を埋めたまま、全く動く気配がない。
「リズレッド?」
返事はなかった。不思議に思い、肩を抱いて顔を確認しようとしたとき、
「まって!」
甲高い彼女の声が響いた。先ほどとは違う逼迫の声に、驚いて手を離す。突然の拒否になにが起きたのかわからず、心臓が鼓動を早めた。
「どうかしたのか!?」
「……」
なおも無言を貫くが、少し間を置いてから、
「……その……人にこんな……弱いところを見せたことがなくて……恥ずかしいんだ……」
ローブを握った手をぎゅっと握りながら、消え入りそうな声でそう告げてきた。
それを聞いて、俺は笑いを噛み殺すのに必死になった。凛然としたリズレッドから、まさかこんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
「その……人に弱みを見せるのは……悪いことじゃないと思うぞ?」
精一杯、声が上擦らないように注意を払った。ここまで声を発するのに気をつけたことは、おそらく人生初かもしれない。
「……本当?」
だがそれが功を奏したのか、彼女は埋めていた顔を起き上げ、おずおずと俺の顔を覗いてきた。
そこには瞳に涙を浮かべて、赤面しながらそう問いかけてくるリズレッドがいた。
瞬間、脳の一部が、へんな衝撃を受けて痺れた。一人の騎士としても、人間としても自立した彼女が、今は全てを委ねるように俺に心を預けていた。蠱惑的と言ってもいい反則さだった。
「ああ」
短く応えた。動揺を隠すにはそれ以外の返事を持ち合わせていなかった。彼女はなおも恥ずかしそうに顔を俯かせながら、
「人に頭を撫でてもらったのは、久々だ……」
と言った。照れくさいことを告げる子供のような顔だった。
そしてゆっくりと胸から離れると、息を大きく吸い込み、吐き出した。
「……ありがとう、気が楽になった」
「……全く、一人で抱え込みすぎなんだよ」
「……すまない」
「だけど、もうわかってくれたろ?」
「……ああ」
頷いたあと、リズレッドは俺の目を見て告げた。
「私が間違っていたよ」
「この通りだ」
先ほどの冷たい眼光は消え、いまは暖かな光が、彼女の双眸に宿っていた。
それが何よりも嬉しくて、笑ってそう応えた。
リズレッドは強い。だがそれは、誰にも助けを求められない、ということではない。心が折れそうなときは、誰かに辛さを打ち明けたっていいのだ。
孤独な道を進もうとしていた彼女の手を引いて、誰かと一緒に進む道へと連れ戻すことができたのだ。取り返しのつかないことを未然に防げたような、奇妙な安堵があった。
――だがそれは、
(……俺は、もっと強くならなくちゃいけない)
一緒に歩む人間の歩幅を、彼女に強制するということでもあった。もし俺の足が遅ければ、彼女はそれに合わせるか、もしくは去っていくだろう。そんなこと、どちらも願い下げだった。
「俺……どうやったら強くなれるのかなあ」
気づけば思惟が口からこぼれていた。リズレッドはきょとんとした顔をしながら、
「ラビはもう十分強いと思うぞ?」
と言ってくれた。
「え、そうか?」
「うむ、私の心を救ってくれたのだ。こんなことができる人間が、弱い訳がない」
「あー、いや、そういうのじゃなくて……もっと物理的な強さというか」
「……では、私が剣を教えようか? 無論、ここを無事に出たあとでだがな」
「いいのか?」
「ああ、私もラビと一緒にいると嬉し……ごほん! ラ、ラビは筋が良いからなっ!」
「??」
一瞬、なにかに戸惑ったような素ぶりを見た彼女は、そう言って我が事のように胸を張って言ってくれた。
もちろん、その申し出を俺はありがたく受けた。リズレッドの横に並べる男になりたいと思っての発言だったのだ。本人から剣を学べるなんて、これ以上に願うべきこともない。
俺はここを出たあとの彼女との修練に思いを馳せながら、決意を込めて言った。
「絶対、王のところまで辿り着こう!」
それに力強く頷いてくれる彼女を見て、お互いの絆が深まるのを、心で感じることができた。
だがその会話を区切りにして、緩んだ空気が、再び元に戻り始めるのを感じた。
俺は先ほどから考えていたことを、いまこそ言うタイミングだと思い、告げた。
「……でだ、リズレッドに一つ提案がある」
「なんだ、改まって?」
「ここから先の戦いは、なるべく俺に任せて欲しい。さっきのでわかったけど、やっぱりエルフを斬るのは、リズレッドへの負担が大きすぎる。王を斬るという目的を果たすためにも、これからはなるべく俺が先頭に立ちたい」
「……ふっ、あんな姿を見せてしまったんだ。私にその提案を拒否する権利なんてないさ。でも……ゾンビの《感染》にだけは注意してくれ。ラビまで斬ることになるのは、ご免だからな」
「ああ、わかってる。でもさっきあれだけ盛大に噛まれたのに、よく無事だったなあ俺」
もしかすると召喚者にはアンデッド耐性があるのかもしれない。一瞬そう考えたが、それではあまりにネイティブに対して、俺たちは一方的に有利になってしまう気がした。
このゲームは召喚者とネイティブを、できるだけ対等に扱おうしている節がある。他方だけにそのような力を与えるとは思えなかった。
首をひねって考えていると、不意にある仮説に思い至り、ステータスを開いた。
「……なるほど、そういうことだったのか」
「なんだ、なにかわかったのか?」
疑問符を浮かべるリズレッドに、俺はにやりと不敵な笑みをこぼしながら応えた。
「ああ。俺が裏市場で習得した《破魔》のスキルがあっただろ? いま確認したら、そいつにレベル2からアンデッド耐性が追加されることがわかったんだ」
「《破魔》に……そんな力が……」
「これで俺は、奴らにとって最大の天敵となった訳だ」
「ああ、ゾンビの一番の恐怖はその感染力だ。それが通じないのなら、大きなアドバンテージになる」
「そういうことだ。まあ、単純に実力が上の相手にはどうしようもないけど、でももう、リズレッドにだけ辛い思いはさせたくないしな」
「……うう、なんだかすっかり立場が逆転してしまったな……」
「はは、我慢しろよ。こっちだって、いきなりあんなことを言われて、相当ショックだったんだぞ」
「……ごめんなさい」
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