09

「私たちを造った神の使いだというのに、召喚者というのも、案外大したことないですね」


 神の使い……よくある言い回しだ。世界の危機に対して、天上の血を引く勇者が降り立ち、人々を救う。ゲームがこの世に誕生してから、擦り切れるほどに使われた英雄のバックボーン。

 だが奴の言葉には、それ以上の意味が含まれている気がしてならなかった。


「……お前たちはこの世界が……俺たちが、どんな存在なのか、どこまで知っているんだ?」


 堪らず問いただすと、アモンデルトは「なにをいまさら」といった顔で肩をすくめた。


「……なんです? 私の教養を試しているのですか?」

「いいから応えろ!」

「はあ。強引な方ですねえ」


 ため息をつくと、一拍置いたのちに、アモンデルトは両腕を広げて、大観衆の前で演説をするように話し始めた。


「この世界の天上、女神が住む天界よりもさらに天。そこに真の神が住まう世界があり、貴方達はそこから召喚されている……そうでしょう?」

「――ッ!」

「何をそんなに驚いているのです? 自分たちよりも高位の存在がどこかに存在していると想像するのは、思考を有した生き物なら抱いて当然ではないですか?」


 俺は息を呑んだ。やはり奴らはこの世界がゲームだと、直接的でないにしろ理解していたのだ。


(いや……違う)


 そこまで考えて、俺はそれがとても傲慢な理屈だと理解した。奴らはここをゲームの世界だと認識しているのでない。こここそが自分たちの『現実』だと理解しているのだ。

 考えてみれば、もし俺たちの現実世界が、どこかの誰かが作ったゲームだとしても、そこに何の問題も発生しない。なぜなら親や友がいて、生まれ育った場所や自分の居場所があれば、そこが紙の上に書かれた文章だろうと、サーバに記録された0と1の集合体だろうと、自分にとっての現実だからだ。

 アモンデルトたちは正にその理論を完全に実行していた。人を滅ぼし、そこに悦びを見出す。それが自分たちの本能だと理解し、彼らにとって紛れもない現実なのだ。

 俺は目の前の存在を、改めて一つの生命体として認識し、背筋に寒いものを感じた。

 急速に自分の体から、力が抜けていくのがわかった。


「……あ……あ……」


 殺人鬼を前にして、丸腰で立ち向かっているような気分だった。もう奴をゲームの中に存在するだけの、悪役だとは思えなくなっていた。


「ふむ。立ち向かう気も起きないですか……それでは、そろそろとどめを刺してあげましょう」


 そう言って悪魔の手が俺に延びてきた。立ちすくんで動けない俺は、それをじっと待つしかできない。しかし次の瞬間、


「させるかあッ!」


 リズレッドが奴の背中に斬りかかった。いつの間にか起き上がり、会話の隙をついて攻撃したのだ。


「敵を仕留める際の一瞬の隙。それがお前の弱点だ、アモンデルト」


 もはや満身創痍なリズレッドは肩で大きく息をしながら、不敵な笑みを浮かべた。

 だが、彼女の渾身の一撃は……


「傷が……再生していく!?」

「《オートヒーリング》。微細ではありますが常時回復効果を得られる私のスキルです」

「そんな……私の……一刀が……微細……?」


 愕然とする彼女。アモンデルトはそんな彼女の首を掴むと、そのまま宙へ持ち上げた。


「まあ、そうショックを受けないでください。貴女は消耗している。本気の一刀とは、比べるべくもなく一撃でしょう」

「ぁ……ぐ……は、はな……せ……ッ!」

「……ですが、私の体に傷をつけた事実は事実。その罪を、命をもって償いなさい」


 呼吸ができずに苦しみ、足をばたばたと動かして反抗するリズレッド。俺はそれを、どこか達観した目で見ていた。


(……もう辞めよう)


 地に膝を付きながら、コントローラーを投げるように、折れたファストソードを捨てた。


「……ァ……、ア……う、ぁ……ッ」

「ふふ……やっぱり良いものですね。人の断末魔というものは」


(もういい。もうやめてくれ。もう沢山だ)


 目をつぶって耳を塞いだ。金を払ってこんな光景を見せられるなんて、たまった物じゃなかった。さっさとこいつに殺されたかった。ゲームオーバーになって、そのままギルドを出て、今日のことを忘れたかった。諦観が心を支配して、全てがどうでもよく感じられた。

 だが諦める俺に対して、リズレッドは尚も抵抗を続ける。足で蹴り上げ、手で奴の腕を振りほどこうとしていた。だがそのどれもが、まるで無意味な結果に終わるだけだった。


「――――、――っ。――――――。」


 次第に力がなくなり、足が弛緩しはじめる。

 終わりのときが近づいていた。

 俺は最後に、無意識のうちに彼女を見上げた。そこには、


『逃げて』


 確かにそう訴えるリズレッドの瞳があった。


「――ッ!」


 アモンデルトは「逃げたければお好きにどうぞ」と言いたげな態度で、その様子を楽しそうに眺めていた。俺は奴にとって、何度も生き返るだけの雑兵に過ぎないのだ。いま逃しても構わない。それよりもリズレッドを殺すことが先決。そう判断されているのだ。

 交渉材料が一笑に付された今、確かに俺にできることはなかった。いや、召喚者だとバレたことを考えると、状況はさらに悪化している。

 ……脳裏には殲滅されるシューノの都市と、ミーナ姉妹、そしてリズレッドの―――無残な姿。


(情けない……)


 悔しさのあまり、涙が浮かんだ。


(助けると誓った女の子に助けられて……)


 怒りのあまり、拳が砕けるほど握り込んだ。


(その子が命をかけて守ってくれているのに、勝手に後ろで諦めて……俺は……)


 強くなりたい。勝ちたい。


 圧倒的な力量差の前に、その願いが叶う確率など皆無だった。だが俺はゆっくりと立ち上がった。

 必ず笑顔にすると誓ったリーナを、俺を信じてくれたリズレットを、見捨てたくなかった。ここで心が挫けたまま終わったら、何か大事なものを失ったまま、今後の人生を過ごす気がした。

 俺は足元に落ちていたリズレッドの剣を拾い上げると、それを強く握った。そして先ほどまで勝手に諦めて、心が折れていたことへの怒りを込めて、喉が張り裂けんばかりに、大声で叫んだ。


「ふざけるなラビィィィィイイイ! 約束くらい果たしやがれッッ!! 俺が……俺がリズレッドを守るんだああああッッ!!」


 その瞬間、頭の中に直接流れ込んでくる言葉があった。


《……死を恐れずに悪と刃を交える覚悟を持つ者よ。少女の花(ねがい)を胸に、気高き剣(たましい)を掲げる者よ。其方に相応しい力を授けましょう。さあ征きなさい、汝はラビ・ホワイト、汝は――《断罪セシ者》――》


 それはまさしく女神様が話していた神託だった。《断罪セシ者》が一体どのような職業なのかはわからない。だがこれに賭けるしかなかった。精神論かもしれない。だけど今の俺には、それしかベットできるチップがなかった。だがその代わり、


「いいさ。俺の命くらい、いくらでも賭けてやる! 奴を倒せるならそれでいいッ! リズレッドを守れるなら、死んだっていいッ! だから女神様、頼む! 俺に力を貸してくれッッ!!!!」


 眩い光に包まれる俺は見たアモンデルトが、とても面白い玩具を見つけた子供のように破顔させ、超高速で迫ってきた。

 頭の中にスキルの名が浮かんだ。次いで構えるべき型も。


「――《罪滅ボシ》」


 一連の動作は、ほぼ無意識だった。だが与えられた力が、不甲斐ない俺の罪を、ここで洗い流せと言っているような気がした。

 俺はそのまま横一閃に刃を振るい――


 ――シュン


「――――――――――――――ッッッ!?」


 悪魔(アモンデルト)を両断した。


 奴は慢心していた。取るに足らない雑魚を捻り潰すのは簡単だと、確信していた。それが結果的に単純な直線攻撃となり、俺の一閃を避けることを遅らせたのだ。

 俺の放った一閃をまともに受けたアモンデルトは真っ二つとなり、剣風の中で、赫い炎に包まれて灰燼と化し消えた。あとに残ったのは、いぶるようなチリチリとした熱気と、勝利を讃えるように月光を反射して煌めく、リズレッドの剣だった。

 だが俺はしばらくの間、奴がまだ生きているのではないかという極度の緊張から、息をすることも忘れて周囲を伺っていた。

 少しして『ピ』という電子音が鳴り、目の前にウィンドウが表示された。それを見て、緊張の糸がぷつりと切れるのが自分でわかった。


 EXP +14000

 G +70000

 アイテム 《アモンデルトの歪羽》《魔人の魂欠》《インテリメガネ》《???》獲得

 LvUP 1 → 14


「……か……勝っ、た……勝ったぁあぁぁっぁああああああああ!!!!」


 雄叫びを上げて、そのまま後ろにばたりと倒れる。


「ハ……ハァッ……! ハァッ……!」


 体から全ての力が抜け、どっと汗が吹き出した。


「ラビ……っ!」


 駆け寄ってきたリズレッドが、倒れた俺を強く抱きしめた。


「大丈夫か!? 怪我は……ポーションはまだあるか!?」

「はは、もう品切れ。リズレッドこそ大怪我なのに……ごめん……俺……」


 ……逃げようとしてた。 

 そう謝ろうとしたとき、俺の口をリズレッドが指でそっと閉じた。


「……ありがとうラビ。こんな見ず知らずの私のためにここまでしてくれて……本当に、ありがとう……」


 彼女の膝を枕にして寝る俺の頬に、ぽたぽたと涙が落ちてくる。それはとても暖かくて、優しい、生命(いのち)の込もった涙だった。

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