08

「――ッ!!」


 横にいるリズレッドの気配が変わった。先ほどの安らかな雰囲気は消え、今にも爆発しそうな可燃物を思わせる気配へと。


「お前は……なぜこんなところにいる!!」


 リズレッドが叫ぶ。先ほどまで騎士然とした態度も、優雅な振る舞いもなく、目の前の謎の男に殺意を燃やして睨み据える。


「リズレッド、どうした? こいつは誰なんだ?」

「……ラビ殿は下がっていてくれ」


 問いには応えず、彼女はそう言うと、俺を守るようにして前に出た。


「……はあ。感動の再開だというのに、そのような釣れない態度……私は悲しいです」


 肩をすくめて、いかにも芝居かかった振る舞いで嘆く眼鏡の男。その態度が、リズレッドに新たな燃料を焚べているのは明らかだった。俺は彼女に平静さを取り戻させるために、会話を続けた。


「……あいつ、魔物なのか?」


 その言葉に反応したリズレッドは、小さく頷くと、十分に警戒した様子で説明してくれた。


「ああ。あいつが《エルダー神国》を滅ぼした、魔王軍部隊の隊長だ」

「隊長? そんな奴がリズレッドを探して、こんな森の中にまで来たっていうのか?」

「……あいつの残虐性は有名だ。狙った獲物は必ず殺す。地の果てまでだって追いかけてくる、蛇のような奴だ」


 吐き捨てるように言われた眼鏡の男は、大仰な振る舞いで頭を下げた。


「いやあ、そんなに褒められては照れます。《エルダー神国》の騎士団副団長を務めるリズレッドさんこそ、私たちの間では有名ですよ。その気高い魂を、ずたずたに引き裂いてやりたいと、よく耳にしているところです」

「……安心しろ。私の魂はもう引き裂かれたよ。私の祖国と共にな」

「……ふふ、エルダーは素晴らしい国でした。やはり殺すなら美しいネイティブが良い。醜い者を殺したって、手が汚れるだけですからね。その点、エルフは素晴らしかった。素晴らしい肉の裂け具合だった」

「――ッ! 貴様……貴様はもう……喋るな……ッッ! これ以上我が国を侮辱するな……ッッ!!」

「賞賛しているんですよ? あのような綺麗な方々は早々いないです」


 歪んだ口端を手で隠しながら、男はおぞましい笑い声を上げた。背筋が凍りつきだった。ここに来るまでに出会った野生生物とは違う、明確な意思のもとで、悦びのために人を殺す化物が、俺の前に立っているのだと無理矢理に理解させられた。

 そして男はひとしきり笑ったあと、懐かしむように遠くを見つめて、起爆剤を投下した。


「――ぐちゃぐちゃに引き裂いて、汚い血ダルマにして……オーク共に襲わせて……最高のショーでした。あの方達は、私たちに全てを捧げるために、今まで生きてきたんですねえ」

「ッッ!! 貴様ぁぁぁあああああああーーーーー!!!!」


 リズレッドが跳ね飛んだ。先ほどまで死にかけていたとは思えないほどの跳躍で空を舞うと、怒りに燃えた剣先を奴に振るい――


「ごフッ!?」


 ――タイミングを合わせた男の蹴りが、みぞおちに直撃した。


 そのまま地面を転がる。一転。二転。まるでゴム毬のように弾かれる彼女の体。


「リズレッド!?」

「ぅ……あ」


 体をくの字に折り、地面で小刻みに痙攣するリズレッドを見て、急いでかけ寄る。


「しっかりしろ! ほら、これ……飲めるか? 頼む、飲んでくれ!」


 抱きかかえて、カバンから最後のポーションを取り出すと、それを飲むように促した。

 呼吸も安定しないリズレッドに水分をとらせるのは気が引けたが、そんなことを言っている場合ではなかった。少量ずつ飲ませて回復を待つ。男はそんな俺を妨害することもなく、楽しそうに観察していた。


「はあ……はあ……ありがとうラビ。助かった」


 回復を終えたリズレッドを見ると、それを待っていたように、奴が言葉を発した。まるでマナーを重視する紳士のような振る舞いだったが、邪悪さは微塵も隠そうとしていなかった。


「助け合いですか。どうせ散る命だといのに、美しいですね。どうやって殺そうか、想愉しくなってきましたよ」


 そう言って眼鏡をくい、と上げると、男は俺に質問を投げかけた。


「……ところで、貴方もエルダーの生き残りですか?」


 喉元に剣先を突き立てられたような威圧感に襲われ、それだけで呼吸が苦しくなった。だがこの程度で屈していては、リズレッドに示しがつかない。


「……聞いてどうする」

「いやあ、殲滅せよとのご命令を受けたのに生き残りがいては、私の信用問題になりますからね。エルダーの騎士団長も、どこかへ消えてしまいましたし」


 その言葉に、リズレッドが目を見開いた。


「団長が生きているのか!?」

「さあ? 私もまだ捜索中の身でして。何ならご一緒にどうです?」


 はぐらかしたあと、男はそのまま顔を俺に向けて、蛇のようにじっと観察してきた。エルフと人間が一緒にいるのが珍しいのか? 俺が召喚者だと気づいているのか? どちらとも断定できない表情だった。


「……ふむ。貴方とリズレッドさんはどういったご関係で?」


 その問いかけに、身を震わせながら応える。


「……名乗る理由はない」


 どんな情報でもこいつらに知られる訳にはいかなかった。もし召喚者だと確信されれば、奴らはこの周辺を徹底的に調べ上げるだろう。そこから導き出されるのはシューノの壊滅。そして――ミーナ姉妹の死だ。

 質問を突っぱねた俺に対して、奴は肩をすくめて言った。


「失礼な方ですね、初対面だというのに。まぁいいでしょう、自己紹介はするならば、まず自分から行うのがマナーですからね」


 そう言うと男のスーツがバリバリと破れ、背中からコウモリの羽のようなものが生えた。


「初めまして、私は魔王軍三国壊滅計画のエルダー担当、アモンデルトと申します。リズレッドさんを大人しく引き渡すなら、貴方の命くらいなら見逃してあげてもいいですよ?」

「なんだと……お前は狙った獲物を殺すためなら、どこまでも追い回すような奴じゃなかったのか?」

「ふふふ、貴方など、獲物にすらならないということです。それにリズレッドさんは本当に魔王軍でも人気の高い方でね、なるべく殺さずに生け捕りにしたいのです」

「生け捕りにして……どうするつもりだ?」

「うーん、それは今考えているところでして。例えば、持ち帰ってオークに蹂躪させたあと、殺してくれと懇願するまで徹底的に尊厳を奪ってやるのも楽しそうですねえ」

「……ッ! クズが……ッ!」

「それが私の本懐でして」


 アモンデルトは言い終わると礼装をひるがえし、ダンスパーティでペアにでも誘うように、リズレッドに手を差し伸べた。


「さあ姫君、私と一緒にまいりましょう。貴女のすべてを壊してさしあげます」

「……ふざけるな。誰がお前などについていくか……! 私の主君の、友の仇を! 私が討つのだッ!!」

「……ああ。それでしたらご安心を。貴女の同胞は全員、ちゃんとまだ生きておりますよ」


 リズレッドが驚愕の顔とともに、ほんの僅かではあるが、希望の色を浮かばせた。だがそれは、部外者の俺でもわかるほどの、絶望の前にひとつまみ添えられた、虚偽の希望だった。


「……本当か?」


 本心ではそれが嘘であることなどわかっているのだ。だが祖国を失った彼女に、その言葉を跳ね返すほどの心の強さはなかった。どんな偽りであろうと、信じるしかなかった。だが、


「ええ。ええ。もちろんですよ。――ですが私も、魔王様からのご命令を遂行しなければいけないのでね。不本意ですが、全員ゾンビに生まれ変わっていただきました」

「…………え?」

 

 リズレッドの顔が絶望に染まった。


「最後まで抵抗した騎士団の方々も、子を守って死んだ親も、その子も、全員ゾンビになっていただきました」

「……うそだ」


 がらがらと、心の崩れる音が聞こえた気がした。


「ならばご自分の目で確かめられては? 壮観ですよ。気高かったエルフが、今では腐った体を引きずって、国中を放浪している様は」

「……うそだ」


 気丈で毛高ければ気高いほど、その瓦解は早く。


「ああ、王は生かすつもりだったんですよ? でも隙をついて勝手に自害されてしまいましてね。あまりにも痛ましかったので、きちんとゾンビにしてあげました」

「……ぁ……」

「最後まで民を、そして貴女を心配していましたよ? そんなときに貴女は、一体どこで何をしていたんですか?」


 涙が頬を伝って、ぽつぽつと地面に落ちた。そして、


「あああああああああああああああああああ!!!!」


 それは彼女の騎士としての叫喚だった。何もかも守れず、何も成せなかった彼女の、自分自身への恨みだった。

 そのまま跳ねるようにリズレッドはアモンデルト目掛けて跳ぶ。

 錯乱してもなお体に染み付いた騎士の本能は健在で、先ほどの直線攻撃で手痛い反撃を喰らった彼女は、奴の目前で右から左へのフェイントステップを交えて剣を振るった。だが、


 ――バギィ!


 彼女の一刀が、もう少しでアモンデルトを捉えようとしたとき、鈍い音が鳴った。フェイントは完全に読まれていた。攻撃の当たる瞬間、あざ笑うかのようにそれを避けると、鋭い爪に変化したクローで彼女をなぎ払い、宙に飛ばした。

 ドシャ、と音を立てて地面に叩きつけられるリズレッドは、それでも懸命に立ち上がろうとするが、その命は最早、風前の灯火だった。


「……ぐ……ァ……はァ……ッ!」

「エルダーから脱出したときに、だいぶ負傷されたようですね? 動きにキレがありません」


 俺はその言葉を聞いて愕然とした。なぜ気づかなかったのだろう。彼女のほどの実力の持ち主が、ポーションの一個や二個で体力を全快させられるはずがないことに。

 改めて確認すると、リズレッドは先ほどの攻撃を抜きにしても、いまだ体中の傷は完全には消えておらず、かろうじて止血ができた程度のものだった。


「リズレッド……さっきのポーションじゃ、まだ……」

「わたしは……わたしは……」


 まるで亡霊のようにぶつぶつと呟きながら、なおをもアモンデルトと戦おうとする彼女。それが騎士としての使命を果たせなかった、自分への罰かのように、ガタガタと震える体に鞭を打つ。俺はそれを、抱きかかえて止めた。


「もうやめてくれ! これ以上やったら本当に死んじまう! 俺がなんとかするから! 俺が……!」


 だがそんな言葉に力があるはずもなく、リズレッドは俺を振り解くと、


「――《疾風迅雷》」


 小さく呟き、視界から姿が消えた。


「疾い……ッ!?」


 魔法かスキルか、今の俺にはどちらなのか判断が付かなかったが、確実に今までの攻撃よりも疾く、重い攻撃だった。

 だがその攻撃すらも、


 ――ガギィ!


「騎士としての最後のあがき、ご苦労様です」


 アモンデルトの前には無意味だった。


「がハッ……」


 再びカウンターを食らい、今度こそ動かなくなるリズレッド。


「はぁ。勘弁してください。今の貴女を殺さないように攻撃するのは、力加減が難しいんですから」


 おどけるアモンデルトに対し、リズレッドは俺に視線を向ける。


 逃げて。


 そう言っているのがわかった。俺を生かすことだけが、今の彼女にできる、絶望への唯一の反抗だった。俺はそれを見て、拳を強く握った。許せなかった。女の子がここまで命を張っているというのに、何もできない自分が。


「リズレッド……あとは、任せてくれ」


 倒れた彼女の前に立ち、悪魔と対峙する。


「……にげ……て……」


 後ろから、今にも消えそうな声が聞こえてきた。それを聞いて、逃走を選べと言うほうが無理な話だった。俺はファストソードを構え、腰を落とすと――


「ハァアアああああーーーー!!!!」


 全力で斬りかかりに走った。先ほどのリズレッドの攻撃に比べれば、奴にはまるで歩いているかの如き速度だろう。だがそんなことは関係なかった。全力でできることをやる以外に、今の俺に為す術などないのだから。

 アモンデルトは攻撃されそうだというのに、ただ楽しそうに笑っていた。その姿が、とても癪に触った。


「舐めるなァあああーーーー!!!!」


 怒りを込めて剣を振りきる。風切音とともに遠心力の乗った刃がアモンデルトを直撃し――


 ――ガギイン!


 直撃して――それだけで終わった。


「は、刃が……通らない……!?」

「……ふふ、残念でしたね」


 まるで子供をあやすような口調だった。

 俺の全力の一撃は、何のダメージも与えることもできなかった。にやにやと笑う悪魔を前にして、自分の浅はかさを、いまさら理解した。

 全力で自分ができることをやるだけ? なんて甘い考えだ。戦略もなく強者と戦い、さらに精神論を持ち出すなんて、愚の骨頂だった。

 奴は眼鏡をくい、と整えると、刀身を優しく撫でた。すると、まるで腐り落ちるように、ファストソードは朽ちて、抵抗なく折れてしまった。


「……あ」

「ふむ……この程度で、もう心が折れましたか?」


 奴がそう言って蹴りを放った。視界が空を飛ぶと、次いで背中に衝撃が走った。吹き飛ばされて地面に叩きつけられたのだ。仮想世界なので痛みはなく、ただ攻撃されたことを示す軽度の振動だけが俺を襲った。

 咄嗟にステータスを確認すると、50あったHPは4へと減っていた。


「おお、我ながら絶妙な力加減です。リズレッドさんのおかげで、コツを掴んだみたいですね」

「く……くそ……ッ!」


 挫けかけた心をなんとか奮い立たせて、勢いよく立ち上がる。痛みがないおかげで行動に支障はなかったが、それだけだった。今の俺にはどうすることもできない、圧倒的なレベルの差を見せつけられて、心が軋む。油断すれば容易く心を蝕み、折られてしまう気がした。

 拳を握り、自分の力のなさに震えた。なんとかしてリズレッドを助ける術はないのか。俺は死んでも生き返れる。だけど彼女の命は一つしかない。この場を生きて逃げ伸びなくてはいけないのは、俺じゃなくて彼女なのだ。


(……生き返れる……?)


 そのとき、一つの案が浮かんだ。プレイヤーであることの特権。そこに俺だけが持つ突破口があることに気づいたのだ。

 俺は息を整えると、奴の目を真っ直ぐ睨み据えて言った。


「……アモンデルト、取引をしないか?」

「取引……?」

「そうだ。俺は……」


 息を整えて、


「お前たちが恐れている『召喚者』だ」


 自分の正体を明かした。


「……ほう?」

「いまここで彼女を殺したら、俺は何度殺されようと、必ず生き返ってお前を殺す。何年かかっても必ずだ。だから俺たちを見逃せ。そうすれば今後、俺はお前に危害を加えない」


 アモンデルトの表情が固まった。俺の提案に耳を傾けている証拠だ。

 死んでも復活できる存在。それこそが今の俺にある、唯一の取引材料だった。

 だが奴は少しの沈黙ののち、にやりと口端を歪ませると、胸躍るような声音で言い放った。


「そうですか! それは怖いですね! それではこれから、クリスタルをすべて破壊して周ることにしましょう!」

「なッ――!?」


 愕然とした。クリスタルとは、プレイヤーが復活ポイントを設定するためのオブジェクトだ。当然のことだが、それを破壊されてしまえば、二度と復活はできない。

 自分の設定したクリスタルを破壊された場合は、ひょっとしたら最寄りのクリスタルがその代用品となって、そちらに復活ポイントが自動で再設定されるかもしれない。

 だがこいつの言っている言葉は、そんな生易しいことを意味してはいなかった。


「これから世界中のクリスタルを砕いて周ることにします。すべて破壊されたら、召喚者は一体どうなるんでしょうね?」

「くそ……そんなのありか……ッ!」


 奴らの知能は、ゲームの敵キャラという枠を大きく飛び越えていた。召喚者という存在に対してどう対処するかを、綿密に計算した上で行動しているのだ。アモンデルトも恐ろしいが、俺はそのバックにいる魔王という存在に、底のない恐怖を覚えた。

 そして次に奴が放った一言が、俺を今度こそ驚愕させる。

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