07

「殺せ」


 とても汚いものでも見るような目つきで、彼女は言い放った。


「無様に生きながらえるつもりはない。殺すのなら、早く殺すがいい」


 今にも気を失いそうなほどの大粒の汗を流しながら、敵意に満ちた瞳で俺を睨み据えるエルフに、たまらず困惑して立ちすくむ。


「ち、ちょっと待ってください! いま会ったばかりでそんなことを言われても、何が何だか……!」


 なんとか言葉を発して必死の弁護をするも、彼女の瞳に映る熱量は一向に冷める気配がない。


「下手な芝居は良せ。どうせお前も、魔王軍にほだされて敵の軍門に下った者だろう」

「そんな、俺は……いや、でも今は、それより――」


 いまにも力尽きてしまいそうな彼女を前にして、口論をする余裕はなかった。そんなことよりも、この消え入りそうな命を救いたかった。俺は買い込んでおいた三つのポーションの一つをカバンからまさぐり出し、彼女に渡した。


「……何の真似だ」

「それを飲んで、まずは体力を回復させてください。そうしないと、本当に死んでしまう」

「……人間からの施しなど受ける気はない」


 そう言ってポーションを投げ捨てる彼女。どういう理由があるのかはわからないが、完全に自分の殻に閉じこもり、誰の助けも受ける気はないようだった。

 だが、それでも、


「いいから、飲まないなら強引に飲ませますよ」


 もはやデータだとかNPCだとか、そういうことは関係なかった。自分でもおかしいと思ったが、俺は彼女に本物の『命』を感じていた。

 このまま押し問答を続けても埒があかないと思い、投げ捨てられたポーションを拾うと、強引に彼女の唇に当て、そのまま飲ませた。


「……ッ! ……ッ!?」


 なにか抗議をしているらしいが、瓶を口に突っ込んでいるので何を言っているのかわからない。だが効果は明らかで、血が流れ続けていた傷口が、急速に塞がっていくのを確認できた。


「ぷはっ! ……はぁ……はぁ……くっ! よ、よくもこのような恥ずかし目を……っ!」

「……良かった、元気になったみたいですね。その、良かったら話してもらえませんか? 何があったのかを」

「無理やりポーションを口に突っ込むような男に、話すことなど何もない!!」


 そう叫んで身を守るエルフの子。どうやら今の行為で、あらぬ疑いをかけられてしまったようだ。自分でも女の子に対して、少々マナーに欠ける行動だったようには思うが、あの場合は仕方ないと思う。


「そんな……死にそうだったのを助けてあげたんですよ!?」

「死ぬ気だったのだ!」

「――ッ」


 その言葉に思わず言葉が詰まる。現実の俺もテストの成績が悪かったり、何かショックなことが起きたときに『死にてー』という、よく聞くセリフを発していた。だが彼女の『死にたい』は、そんな軽いものとは全く違った。心の底から自己の死を願う、悲しみに満ちた叫喚だった。


「……お前が何者なのかは、最早どうでもいい。いや、今の私にどうでもよくないことなど、もう何一つとしてないのだ。だから……頼む。私をこのまま、静かに死なせてくれ」

「……っ。ふざ、けるな……」


 死を望む彼女の言葉に、自分でも不思議なほど気持ちが熱くなるのを感じた。彼女はエルフだ。そして、すぐ近くには落城したエルフの国、《エルダー神国》がある。そこから察する彼女の事情は一つしかないだろう。

 焼け落ちた祖国と、そこから一人逃げ延びた自分。それは命を投げ捨てるには、余りある理由なのかもしれない。だけど、彼女をここまで育てた人たちの思いはどうなるのだろう? もしかすると、彼女を逃すために命を張ったエルフがいたかもしれない。その人たちの、身を呈した犠牲は一体どうなるのだろう?

 勝手な言い分なのはわかっているが、言わずにはいられなかった。というか、道端で死にかけていた見ず知らずの女の子に、なけなしのポーションを使用したのだ。それくらいは許されるだろう。


「……あんたが、どんな理由でここに倒れていたのかは、なんとなくわかる。だけど、それで自分の命を捨てるなんて、逃げじゃないのか」

「なんだと……?」

「そうだろう。あんたは逃げたいんだ。辛い現実から。抗えないことから。だから『潔い死』なんてものに救いを感じて、自殺する自分を正当化したいんだ」

「黙れッ!!」

「黙らない!!!!」

「ッ!?」

「いいか! よく聞け! 俺はあんたを助ける! 何があってもだ! 嫌だって言われても、何度だってポーションを口に突っ込んでやる! わかったな!」

「こ、この……貴様は変人なのか!?」

「うるさい! 自殺志願者に言われる筋合いはない!」


 そう言うと、カバンからもう一本のポーションを取り出して、もう一度彼女の口に突っ込んだ。足をばたばた動かして、先ほどよりも激しい抵抗を見せるが、やはり死にかけなのだろう。レベル1の俺でも、押さえつけることは容易だった。


「――は。はあ……ぁ……はあ……っ」


 一気にポーションを喉に流し込まれた彼女は、肩で大きく息をしながら肺に空気を送り込んでいた。顔色に赤みが戻り、命の危機から脱したことがわかった。


(良かった……もう大丈夫だな)


 そう確信し、ゆっくりと立ち上がると、いまだ荒息を繰り返す彼女に頭を下げて告げた。


「……強引なことをして悪かった。だけど頼む、ちゃんと生きてくれ。でないと、あんたの国の人たちも、きっと報われない」

「……お前は……本当になんなのだ……」

「俺はラビ。ラビ・ホワイトだ。それじゃあ、俺はこのまま失礼するよ。もう命の危機は去ったみたいだしな」


 名も知らないエルフに別れを告げ、踵を返して森を引き返そうとしたとき、


「――ま、待て! お前……本当に私の命が目的ではないのか?」


 怪訝な顔をしてそう訊いてくる彼女に、向き直って応える。回復薬だって安い買い物ではないのだ、誤解されたまま別れることは、極力したくない。


「違うって。俺は召喚者だ。色々あってこの辺りの調査に来ていた」

「召喚者……だと? ……信じられない、あの混乱の中で、召喚の儀が成功したとでも言うのか?」


 驚嘆する彼女。エルダー神国は召喚者が選べる三つの国の一つだった。そしてそのせいで魔王軍に攻め落とされた。『召喚の儀』とはプレイヤーをこの世界に呼ぶための儀式だろう。俺はそれに対して、なるべく静かな口調で応えた。


「……落ちついて聞いてくれ。あんたの国で行うはずだった儀式は……失敗したと思う。俺はシューノで召喚されたんだ」


 そう告ると、彼女は瞳を見開いたあと、何かを納得したように顔を伏せて、祈るように胸に手を当てた。


「……そうか、なるほど。女神アスタリアがお導きくださったのか」

「女神様を知っているんですか?」

「知っているもなにも、エルダー神国の国教は”アスタリア教”だ」


 驚いた。あの女神様は、この世界のネイティブからも、かなり名の知られた存在のようだった。


「そうか……あの女神様、そんなに崇められていたのか。だったらもう少し出発地点を考慮してくれても良かったのになあ」

「……何の話だ?」

「あ、いいや、こっちの話。ええと、それじゃあ俺はこのまま都市に戻るよ。時間がないんだ」


 そう言って今度こそシューノへ戻ろうとした俺の服の袖を、彼女がくい、と掴んだ。


「……待て。その……」

「ん?」

「……さ、先ほどは……し、失礼なことを言って悪かった。状況が状況なもので、初対面だと言うのに礼節を忘れていた。許してくれ」


 立ち上がって頭を下げるエルフの子。そこからは先ほどまでの、痛いまでに刺々しい雰囲気は薄れ、気恥ずかしさが薄く現れていた。俺はそれに、かぶりを振って応える。


「謝罪なんていいよ。国が大変な状況で、さらに人間に出くわしたんだ。エルフなら誰だって警戒する」

「……お前は……変な奴だな」

「まだ言うの!?」

「う、うるさい! ポーションを強引に突っ込んだことは、絶対に忘れはしないからな! ……だが、その……悪い奴ではない……ことは認めよう」


 その言い草に、思わず肩をすくめる。


「なあ、この世界の人間って、そんなに悪い奴らなのか?」

「……」


 その問いかけに、彼女は俯いて黙ってしまった。人間とエルフの間で何があったのかはわからない。だが彼女の一連の態度を見ると、エルフ特有の”他種族への排他的思考”からくる感情だけでは、どうも説明できそうになかった。

 お互い声を掛けづらい雰囲気となり、少しだけ重い静寂が流れた。だが自分がその空気を作ってしまったことを感じたのだろう。少し苦笑しつつ、彼女は胸に手を当てると、


「申し遅れた、私の名はリズレッド・ルナー。《エルダー神国》の第一騎士団副団長を勤めている。このたびは危ないところを助けていただいて、感謝の言葉もない」


 と、礼儀正しく感謝の言葉を述べてきた。

 少しだけ氷解した心が感じ取れて、俺も頭を下げて応える。


「こちらこそよろしく。そして改めまして。俺はラビ・ホワイト。理由があってエルダー周辺に生息している魔物を探すために、この《マズロー大森原》にきたんだ」

「エルダー周辺の魔物を? ……ふむ。君はシューノに召喚されたと言っていたな?」


 リズレッドと名乗った女の子は、顎に手をあてて少し考えたあと、


「……なるほど、事情はなんとなくわかった。女神アスタリアからのお告げで、召喚者が初期にどういう行動を取るかは知らされていたのでな」

「え、今のでわかったのか?」

「レベル上げに適した敵がおらず、困っているのだろう?」

「……レベルという概念を知ってるのか?」

「馬鹿にしているのか? 詳細な力の数値化ならいざ知らず、己のレベルがわからない奴がこの世にいるとでも?」

「……ああ、うん。わかった、そういう世界なんだな。オーケーだ」

「……?」


 首を傾げて怪訝な顔をするリズレッド。現実世界の俺とネイティブの彼女では、育ってきた環境が違いすぎて、文化的な食い違いが起こるのは仕方のないことだった。だが、こんな綺麗な人にそんな顔をされると、それだけで精神が削られる気がして心が痛い。

 しかし、次に彼女が発した言葉が、そんな心を明るくした。


「確かにこの森には魔王軍の攻撃から身を守るために、《エルダー神国》周辺に生息していた魔物が移動してきている。良い読みをしているな、ラビ殿は」


 目を細め、微笑みながらそう言ってくれる彼女に、思わず心臓が跳ねた。目の前にいるのはただのデータで、この態度だって演算と算出の結果、出力されたものにすぎないことはわかっている。だがアーク・ライブ・アブソリューションの圧倒的なリアリティは、その現実と仮想の壁を壊すには、十分すぎる力を持っていた。


「なんだか、そう褒められると照れるな」

「技量を正確に推し述べたまでだが?」


 なおも首を傾げて告げてくる彼女。先ほどの自己紹介の際に、騎士団の副団長だと言っていたことを思い出して、納得した。リズレッドは他人が有する能力を計り、それを正当に評価することに長けているのだ。多くの騎士を管理する副団長という役職が、彼女をそうさせたのだろう。

 だがこちらとしては、そこまで真顔で褒められては平静を保つことが難しい。美人は特なものである。それとも俺が、特別女性に対して弱いだけなのだろうか? 少し考えるが、今はそんな場合でないことを思い出し、話題を変えることにした。


「リズレッドは、これからどうするんだ?」

「……今は、エルダーを離れる」


 そう言う彼女の顔は苦悶に満ちていた。だがそれも無理のないことだった。騎士団の副団長にまで就いていた人が、祖国が滅ぼされたというのに、このまま立ち去るしかないという現実――自分への怒りと、無念さ――は、俺ではどう頑張っても想像すらつかないだろう。

 何も言い返せず立ち尽くす俺を横目に、彼女は言葉を続けた。


「……生きて恥を晒すくらいなら、騎士として潔く死のうと思っていた。だが……ラビ殿にポーションを恵んでもらったのも、女神アスタリアのお導きなのかもしれないしな」


 祈るように目を閉じ、俯いて月光の下で女神に感謝を捧げる彼女は、まるでどこかのお姫様のようだった。

 そして一拍置き、再び顔を上げると、彼女の瞳には強い意思が宿っていた。


「だが、必ずこの国は取り戻す。死して骸となった同胞たちを、必ず弔う。そのためにも、今は……!」

「……そうだな。きっとそれがいい」


 死にたいと言っていた先ほどまでの悲観は、もう消えていた。それがわかり、こちらもほっと安堵する。


「ふふ、そちらには迷惑をかけっぱなしで済まない。この礼は必ず返す。エルフの生き残りとして、人間に貸しを作ったままにはできないからな。だからまた必ず会おう、ラビ殿」

「ああ。俺もこんな綺麗な人に会えて嬉しかったよ。またどこかで、絶対に会おう」


 そう告げると、彼女は目を瞬かせ、動揺したように声を上ずらせた。


「きれっ!? ……ご、ごほん! ラ、ラビ殿はお世辞がうまいな、はは!」

「? 別にお世辞じゃないけど?」

「〜〜っ!」


 エルフの美しさは様々な物語で言及されているが、こうして目の前で相対すると、それが紛れもなく真実なのだとわかる。美術品や彫刻のような浮世離れした美麗さの前では、素直にそう言うしかなかった。リズレッドは何やら顔を赤くして、また顔を伏せてしまっている。まずい、女性にこんなことを言うのは初めてだから、なにか失礼な物言いになっていたのかもしれない。

 慌てて言葉を付け足そうとあたふたしてしまい、それを見たリズレッドがくすくすと笑った。

 いつの間にか先ほどまでの尖った空気は消え、柔らかなものが俺たちを包んでいた。


 ――だが、その安らぎはすぐに消え去った。


「リズレッドさん、見つけましたよ。良かった、やはり生きていたのですね」


 唐突に後方から声をかけられ、二人とも驚いてそちらを振り向いた。

 一人の男が立っていた。丸い目鏡をかけて真っ赤な礼服を装い、背筋をぴんと伸ばした、長身痩せ型の男。立派な屋敷や城に居れば、執事と言われても納得できる風貌だった。だがここは森の中で、礼服を着こなす場所ではない。その異質なコントラストが、夜の闇も相まって、不気味さを際立たせた。

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