06

 《マズロー大森原》


 《マズロー大森原》は、その名の通り鬱蒼と茂った緑がどこまでも続く、大森林地帯だった。

 昼間にきたらさぞかし森林浴スポットになるのだろうが、あいにく今は夜で、完全に心霊スポットの様相だ。またホラーゲームかよと嘆く。というか、森なぶん、こちらのほうが雰囲気が悪い意味で上がっていた。

 草原を抜けてきたので、その木々の多さに面を食う。幸い街道を見つけたので迷うことがなかったが、モンスターと出くわす可能性もあるので、いつでも横の茂みに飛び移って隠れられるように慎重に進んだ。

 途中何度か、ヘラジカのようなモンスターや、半人半鳥のようなモンスターが歩いているのを見つけたときは、心臓が跳ねた。

 だが辛抱強く息を潜めることで、今のところなんとかやり過ごすことができている。

 平原に比べて見通しが悪い上に、道なりに進むと高確率でエンカウントしてしまう。ここをプレイヤー全員が通るとなると、流石に戦闘は避けられないだろう。

 だがここは、初心者用の狩場の次に難易度の低いエリアだ。たとえレベル1でも、大勢でかかれば決して勝てない相手ではないだろう。

 では《アルファリア草原》でも、多少の犠牲を覚悟して多人数で戦えばなんとかなったのかというと、おそらくそれは不可能だ。

 あそこの敵は、このエリアと隣接しているとは思えないほど強すぎる。多分ダメージは1も通らず、木っ端のように次々なぎ倒されていくのがオチだ。

 なぜそんな極悪なエリアとここが隣接しているのか疑問に思ったが、その答えはすぐに出た。

 道を進んでいくと、高い崖の上に出た。下を覗くと、スライムや普通の犬くらいの大きさの狼型モンスターがうろついているのが見える。

 稼動前の特集雑誌に載っていた、三国周辺の雑魚モンスターの姿だ。

 俺はなんとか降りる術はないかと辺りを見回すと、大木にくくりつけられるように巻かれたはしごを見つけた。

 それを紐解き、下へ投げる。一応、強度を確認するためにぐいぐいと引っ張ったが、強化された俺の腕力でも全く千切れる様子がなかったので、この崖の行き来にはもってこいだろう。


【《エルダーへの帰還者》の称号を獲得しました】


 不意にそんなメッセージが表示された。

 そこでピンときた。そうか、これはエルダーへ行きたいプレイヤーのために設置された、ショートカットだったのだ。

 地図を開いて確認すると、やはりだった。エルダーからシューノへ行くには、この《マズロー大森原》を通る道と、四つのエリアを経由する、二つのルートがある。

 本来ならば少しずつレベルを上げながら四つのエリアを攻略して、やっと辿りつける場所。それが商業都市シューノなのだ。

 そしてここは、そんな苦労して辿りついたエルダー出身のプレイヤーへ向けた、時短の帰り道という訳だ。

 《アルファリア草原》と《マズロー大森原》で、敵の強さに大きな開きがあったのには、そういう理由があったのだ。

 魔王軍のせいでスタート地点がシューノになり、順番が逆になってしまったが、俺はそのエルダーへの帰り道をありがたく使わせてもらった。

 下に降りてもなお広がる森林模様は変わらないが、上から俯瞰で確認できたので、おおまかな構造は把握することができた。

 崖を背にして真っ直ぐ進めば道が見えてくるはずだ。その道を西に進めばほどなくしてエルダーに到着するが、今回の目的はそちらではない。

 俺は道を見つけると、逆の東へ進んだ。エリアが違うとはいえ、すぐ隣では魔王軍がいまだ陣を取っているに違いない。

 雑魚敵の目星をつけるのは、なるべくエルダーから離れた場所のほうが安全だろう。


「ッ!」


 しばらく道なりに歩くと、前方に小さな影を確認し、思わず身構えた。

 ぶよぶよとした半球体、半液体のような生き物……きっとスライムだ。俺はこの世界で初めて見るモンスターに、少しばかり感動を覚えた。こんな状況でなければ、嬉々として戦いを挑んでいたところだろう。だが今それを行うことは自殺行為に等しかった。

 初期装備のファストソードを握り、気づかれないように闇に紛れて距離を詰める。

 まだ一度も戦闘経験がなく、おまけに夜のせいで敵が、本当にスライムであるという確信もない。

 目算が外れ、もし上位の敵だったりしたら、その時点でアウト。

 途中で気づかれて不意打ちが失敗した場合も、鳴き声を上げられて魔王軍に察知されるかもしれない。

 慎重に近づき、攻撃の射程範囲に入ると、思い切り刃を振り下ろした。


『ピギッ!』


 短い鳴き声のあと、スライムはただの液体へと姿を変えた。


「はぁ……はぁ……勝った……のか……?」


 極度の緊張で、なんでもない一振りで息が切れていることに遅れて気づいた。

 いや、ゲームの世界とはいえ、ここは現実世界と変わらないリアリティがある。

 日本で育った俺は、このとき初めて自分の意思で剣を握り、モンスターと戦ったのだ。息くらい切れて当然か。


 EXP +1

 G +10

 アイテム 《粘液》獲得


 メッセージウィンドウが俺の勝利を、ピ、という電子音とともに、静かに証明してくれた。


「初めてのモンスターとの戦い、こんな隠密行動中じゃなかったら叫び声を上げて喜びたいところなんだけどなぁ」


 頭をかきながらぼやく。だがこれで、この森にレベル1の召喚者でも倒せるモンスターが移動していることがわかった。

 そうとわかれば早くこのことを皆に知らせよう。


『……、…………』


 踵を返そうとしたとき、進んできた道のさらに奥から、かすかな人の気配を感じた。

 短く切った息遣いが、ほんの少しだが、確かに聞こえたのだ。


「? 誰かいるのか……?」


 返事はなかった。

 気のせいかと思ったが、念のため確認しておくことにした。もし敵の罠だったとしても、もう当初の目的は果たしたのだ。死に戻りはむしろ片道分の時間が短縮されて良いのかもしれない。まぁ、しがない一人暮らしを始めたばかりの大学生に、再ログイン分の三千円は高価ではあるが。

 少し進んだ先で、俺は足を止めた。

 茂みの中に隠れるようにして、一人の女性が地面に横たわっていた。その光景が目に映った瞬間、思わず釘付けになった。


「……エルフ……?」


 絶世の美女と言って良いほどの綺麗な人だった。まるで月灯りが集まってできたような、神聖さすら感じさせる威容と、同じく月の金色で染め上げたような黄金色の髪。男だけでなく女性でも思わず目を奪われるようなエルフが、騎士のような装備を纏って、目の前で地に伏していた。

 だが辛そうに息を吐きながら、出し抜けに彼女が放った一言に、俺は驚愕させられる。

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