ノート

ミーン、ミーン……ーーーーー



照りつける太陽が眩しい、真夏の外。


蝉の鳴き声がせわしなく響き渡る。



8月3日、水曜日。快晴。


ハナは、27歳の誕生日を迎える4日前にこの世を去った。


突然に、そして夢のように。



僕からハナへのサプライズプレゼント。


それは、渡すことはできなかった。


もう、ハナには届かない。


永遠にーーーーーーー。



僕はどうしても信じられなくて、何度も何度も自分の体を叩いた。


壁に頭を打ちつけた。


これは、きっと夢に違いない……。


夢を見ているんだ。


どうか、覚めてくれ。


覚めてくれ。


でも、頭の隅の方でわかっている僕もいた。


これは夢でもウソでもなく、目の前にある現実だっていうことを。


2日前から容体が急変したハナは、すぐに病院に運ばれたが、そのまま意識が戻らず危篤状態が続き。


今朝、静かに息を引き取った。


僕はハナのそばにいたが、なにも話すことができなかった。


最後の言葉すら、なにも交わすことができなかったんだ。



ハナ………。


一体、これはなんだ?


どうしてこんなことになったんだ?


教えてくれよ。


教えてくれよ。


教えてくれよ。


いくらそう問いかけても、ハナはなにも答えてはくれない。



ハナは、死んだんだ……ーーーーーー。



それなのに。


僕の目からは、なぜかひと粒の涙も出ない。


なにもかもが空っぽだった。


僕は壊れたロボットのように、ガックリ頭を下げたまま病院の外にあるベンチに座っていた。



「トオルさん……」


ふと声をかけられ、僕は顔を上げた。


ハナのお母さんだ。


「……あなたに渡したいものがあるの。……これなんだけど……」


泣きはらした真っ赤な目で、お母さんがかすかにほほ笑みながら僕の隣に座り。


そして、なにかを差し出した。


「……これは……?」


僕は、ぼんやりする頭のままお母さんの手からそれを受け取った。


一冊のルーズリーフ仕様のノート。


鮮やかな黄色のカバーだった。


それは、まるで向日葵の花の色のようだった。


「……ハナに頼まれていたんです。自分が死んだら、これをトオルさんに渡してほしいって……。あの子、わかっていたみたい。そろそろ自分がさよならするってことを……」


ハナのお母さんが静かに言った。


僕はなにも言えず、ただ黙ってそのノートを見つめていた。


「ラブレターだから、お母さんは絶対に読んじゃダメって言われて。だから、約束を守って私は読んでいません。あなただけに読んでもらいたいそうです」


お母さんが、涙まじりでちょっと笑った。


「ゆっくり読んであげて下さい……」


そう言って、お母さんはそっと立ち上がった。


僕も立ち上がって一礼した。


「あ、それと……」


歩き出したお母さんが、僕の方を振り返った。


「あの子がこう言ってました。『トオルは全く気づいてないけど、実は私達は前にも一度会っていたんだ』って………」


「え……?」


「ハナ、ちょっとイタズラっ子みたいな笑顔で、嬉しそうに言ってました……。私もそれ以上はなにも聞いてないのでわかりませんが……。もしかしたら、あの子が残したあなたへのメッセージに、なにかとっておきの秘密が書いてあるのかもしれませんね」


お母さんはそう言うと、優しくほほ笑んで病院の中へと戻っていった。



僕とハナが。


前にも一度、出会っていた……?



僕はノートをじっと見つめた。


とにかく読もう。


ハナが僕に残してくれた、最後のメッセージを……。


僕はなぜかその場を離れ、ある場所へと向かっていた。


その場所とは、僕らの名前を刻んだあの大きな木の下だった。


どうしても、その場所でハナのメッセージを読みたい……そう思ったんだ。




足早に、このポプラの木の下までやってきた僕は、ふたりの名前を指でなぞった。


ハナ……。


お母さんから確かに受け取ったよ。


今から読むからね。


僕は、座って静かに木の幹にもたれかかった。


今日も木漏れ日がキレイだ。


僕はそっとページをめくった。





『トオル。


もしかして、今あなたは私達のあの想い出の木の下に座ってない?』


最初の1行目からの出だしに、僕は思わずドキッとした。


だって、まさにそのとおりだったから。


『違うかな?でも、なんとなくそんな気がする。もし、そうだったら。あの木の下でこれを読んでいてくれたら。すごく嬉しい。そうだったらいいなぁと私も思っていたから』


読んでるよ。


この木の下で読んでるよ。


僕は、心の中でつぶやいた。


『私、きっとそのうちだんだん病気が悪くなって、きちんとトオルと話せなくなってしまうかもしれないので、元気なうちにこれを書きます。


これは、最初で最後の、私からあなたへのラブレターです。


私のありのままの気持ちを込めて書きます。


でも、フツウの手紙ではなく。


作文がちょっと得意で、文章を書くのが好きな私の唯一の特技を生かして、ちょっとした物語調で書きます。


飽きずに最後まで読んでね』



僕はふっと笑った。


ハナらしいな。


僕は深く息を吸い込んで、静かにページをめくった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーー




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る