第13話 変貌

「ザ、ザカライア……どの?」


 王子がやっとそう言ったら、男はこちらを見下ろしてにこりと笑った。人としての形を取り戻した自分の手をちょっと開いたり閉じたりして眺めてから、あの壊れた鏡の方をちらりと振り返る。


「……ふむ。さすが、『王太子殿下のキス』の威力はすさまじいな」

「ばっ、馬鹿にしておられるのですか」

「とんでもない。感謝しているんだ」


 憤然と食って掛かったら、素敵な笑顔でいなされた。

 なんというか、いい男だ。それも、かなりいい男。

 ちょっと悔しいが、そこは認めざるを得ない。

 声の感じからそうだろうなとは思っていたが、これは想像していた以上だった。

 さぞや以前も、女性にもてていたのに違いない。

 そう思ったら、何故だか胸の奥がちくりと痛んだ。


「どうやら、魔力もかなり回復しているようだな。どれ──」

 そう言って、男は顔の横で無造作に片手を振った。

「えっ……!?」


 王子はぽかんと口を開けた。

 その途端、周囲の景色が一変したのだ。

 寂れ果てていた崩れた古城が、どんどん往年の輝きを取り戻していく。汚れて剥げおちていた壁や床がもとに戻り、磨き込まれた状態になる。調度品の金箔がもとのきらめきをよみがえらせ、刻まれていた微細な彫刻がはっきりとわかるようになった。

 砕け落ちていた姿見もすっきりときれいに戻り、曇りのない鏡面と金の縁飾りがきらきらと輝き始める。壁に掛かった灯火台や七つの枝に分かれた美麗な燭台に灯が入って、室内は昼間のように明るくなった。

 もちろん、ザカライア自身もその例に漏れなかった。

 黒々と薄汚れていたマントが深い紺の絹地に変わり、衣服も金糸銀糸の縫い取りのある軍装に変わっていく。足にはつややかな黒革の長靴ちょうか。腰には鞘に彫金の粋を尽くした長剣が下がっている。


(賢王、ザカライア──)


 王子は呆然と、その勇壮な人の姿を見つめた。

 その視線に気づいたように、男はまたにこりと笑った。


「どうした? 思っていた以上の美丈夫だったので見とれていたか」

「なっ……! なにを、馬鹿なことを」

「そうか? それは残念だ」


 言って男は白手袋をした手で王子の手をひょいと取った。すいと引かれ、そのまま腰を抱き寄せられる。あっという間に顔と顔が接近した。

 どくんと鼓動がはね、王子は体を固くした。


「なっ、なにをするのです」

「ん? いや。髑髏の口元にされただけではつまらぬからな」

 言いながら、男は王子の顎にもう指を掛け、さらに顔を近づけてきている。今にも唇と唇が触れそうだ。

「あれでは足りぬ。あらためて、そなたの熱い接吻を」

「ちょ……ちょちょ、ちょっと!」


 王子が必死で彼の顔を遠ざけようと押しやったら、男は変な顔をした。


「なんだ? あの髑髏顔のほうがお好みだったか」

「何を言っているのです! いいから、ちょっと放してください!」

「そなたが好きとは知らなかった。これは惜しいことをしたかもな」

 勝手に納得したような顔で、自分の顎をなでている。

「違いますってば! だから放してくださいと……!」


 さっきから、なにを珍妙なことばかり言っているのか。

 だが、懸命に逃げようとしているのに、男のかいなは一向に王子の腰から離れる様子がなかった。それどころか、余計にぐいぐいと力を込めて抱きすくめられている。


「そんなにいやか? 王太子殿下。まあ、やむを得ぬ仕儀か。かつて賢王と呼ばれただけの、こんなジジイに求愛されてもな」

「いや、だからそういうことではなくっ……!」


 「じじい」だなどと、とんでもない。その風貌からして、彼はまだせいぜい二十代の半ばぐらいといった様子だ。その上、この美貌である。

 まあ確かに、生きていた時代は三百年もの昔ではあるけれど。


(へ? でも……今)


 耳に残った彼の言葉を反芻してみて、王子の胸はまたとくんと変な音を立てた。


「あの……すみません。聞き間違いだったら申し訳ないのですが」

「うん。なんだ」

「ええっと……。きゅ、きゅきゅきゅ」


 どうしてもそこから先が言えない。顔や首ばかりがどんどん熱くなる。

 男が思わずぶはっと吹き出した。


「もしかせずとも『求愛』のことだろうか? だったら聞き間違いではないぞ」

「えええ? だって、いや……なっ、何をおっしゃっているのですっ!」

「そなたが女性にょしょうでないことを言っているのなら、心配するな。俺はもともと、の人間でな」


 「こっち」とは、どっちのことだ。

 と、王子が問いただすいとまもなかった。

 男は改めてぐいと王子の腰を抱きよせると、今度こそ自分の唇で王子のそれをそっと塞いだ。


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