第11話 提案
「そんな、泣きそうな顔をするなよ」
男はふっと苦笑したらしかった。
「言ったであろう。俺は今さら、数百年も前の恨みを蒸し返し、誰かに復讐するつもりなどない。とは言え、お父上がひどい愚王であったりすれば、話はまた別だったかもしれんがな。幸いにしてそうではない以上、なんの文句があろうものかよ」
「…………」
「第一な。そなたの優しい家族たちを血の池に沈めるような、そんな男だとお思いか? この俺が」
「い、いえ。いいえっ!」
必死でぶんぶんと首を横に振る。これだけは本音だった。
この人が、そんなことをするはずがない。
「あの居酒屋で、民らも申していたであろう。王侯貴族どもの内輪もめなど、彼らには迷惑でしかないのだと」
「…………」
「俺がもし、ここでかつての臣下を集めて挙兵でもして、反乱など起こしてみろ。せっかく平和におさまっていた庶民たちの生活が、また脅かされることになる。畑を荒らされ、蓄えていた食料を強奪され、男手は兵士にとられる。左様なこと、やって何になるというのか」
(すごい……)
王子は呆然と男を見つめた。
これぞ、王なのだ。
こういう考え方のできる人であればこそ、人々はこの人を「賢王よ」と讃えたのだろう。
身の縮む思いがして、王子は自分の体を抱きしめた。
この人こそ、王であるべきだ。
我が国の王座にいるべきなのは、こういう人でこそあるべきだ。
間違っても自分みたいな、凡庸で才能もない、駄目な奴であるはずがない……。
「ん? どうした。寒いのか」
かたかたと震えだした王子を見て、男は自分のマントを広げると、王子の肩にふわりと着せかけた。そのまま抱き寄せられるような形になる。
もっと臭うかなと思わなくもなかったのだが、不思議と男は臭くはなかった。
むしろ、王子にとっては心地いい匂いに思える。男の腕の中は温かかった。
「い、いえ。大丈夫です。お構いなく」
慌てて離れようとしたが、腰のあたりを抱いてくる太い腕は、存外強い力を持っていてかなわなかった。
「山の夜は冷えるからな。大切なお体に、風邪など召されては堪らない」
近くで見ると、その腕に走った傷はまことに痛々しいものだった。ざくざくと麻袋でも縫うようにして走った縫い傷。ひどい火傷の跡も見える。
男は袖のない質素な上衣と
(……こんな、
さらには大切にしていたであろう近しい者たちの命も奪われ。
それでどうしてこの人は、こんなに恨みを持たずにいられるのだろう。
戦乱になれば、民らが迷惑をするからだと言う。
自分の個人的な恨みを晴らす、その一点で騒乱など起こす気はないのだと言う。
今の治世で民らが満足しているのなら、それでいいと言うのだ、この人は!
そんなこと、自分だったらできるだろうか……?
いや、絶対に無理に決まっている。
「……あの。ザカライア殿」
「『ザック』でいいぞ。そちら同様、この名も長ったらしくて面倒だろう」
単に、恨みを抱かないだけではない。
この人は、仇敵の子孫であるはずの自分に対して、こんなにも気さくに笑いかけ、穏やかに話しかけてさえくれる。
とても信じられない気がして、王子はつい眩暈を覚えた。
「大事ないか? なにやら気分が悪そうだが」
「い、いえ……。大丈夫です」
男は一応「そうか」と言ったが、しばらく王子の顔を横から覗き込むような様子だった。
「で、なんだ? 何か言いかけていたようだったが」
「あ……はい。あのですね」
「うん」
王子は男の方に体を向けた。
「笑わないでくれますか」
「それは聞いてみなくては分からんな」
気を取り直して王子は続けた。
「昔話や物語には、よくあるではありませんか。悪い呪いにかかってカエルや鳥になった王子様やら、眠り続ける呪いを受けた王女様のお話が。ご存じありませんか?」
「……ああ。あるな」
「それで、出てくるでしょう? その……呪いを解く方法が」
そこで王子は、ためらって少し沈黙した。
なんとなく、もじもじと両手の指先を絡ませる。
「ええっと……。一応、これでもわたくしも『王子』の端くれではありますし」
「『王子の端くれ』とはまた、面妖な表現だ」
男がまた苦笑する。
「まぜっかえさないでくださいっ!」
「ああ、すまん。それで」
「で、ですから。そのう……試してみるのはどうでしょう」
「試すとは?」
「でっ……ですから!」
王子は全身が一気にカッと熱くなるのを覚えた。
だって、決まっているではないか。
カエルになった王子様を助けたのは、清らかな姫のキス。
眠り続けるお姫様を救ったのは、白馬に乗った王子様のキス。
童話の中の「きまりごと」は、大体そういうことになっている。
「…………」
やっぱり髑髏の中でわからないが、男は明らかに変な顔になったようだった。
眼窩の奥の金色の目が
「まさかとは思うが。そなた、俺に……それをすると?」
王子はもう、ぎゅうっと目をつぶって体を固くした。
恥ずかしくて堪らない。体中が燃えるみたいに熱くなった。
「だっ……ダメですか?」
男は今度こそ、呆気にとられたように沈黙した。
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