第5話 書庫

 王城の書庫は、相当な広さがある。

 そこは建国以来集められてきた貴重な書物が整理され、保管されている場所だ。書物は多くが羊皮紙を用いた巻物の形だが、最近になって草木の繊維を使った紙が開発され、紐綴じのものも増えてきている。膨大なそれらの資料は、書庫担当の文官たちが日々、整理と管理をおこなっている。

 書庫の資料は、基本は王族や貴族、王宮づきの文官たちが使用するためのものであり、持ち出しは不可だ。利用する場合には、王族ですら担当の文官たちに許可を得る必要がある。

 今回、王子の訪問の目的のひとつは、この書庫担当の文官の文官長に会うことだった。


「おやおや、王太子殿下。おひさしぶりにござりまするな」

「うん。久しぶりだな、じい


 王子を迎えた文官長は、大変な高齢の老人だった。頭髪はすでになく、眉と長い髭は真っ白だ。顔いっぱいに、好々爺然とした皺が刻まれている。

 王子が幼いころに親しんだ老人であるため、つい「じい」などと気軽に呼んでしまっているが、実のところこの王宮における最高賢者と呼ばれる御仁なのだった。


「このようなむさくるしき場所へのお渡り、まことに恐れ入りまする。珍しきことにござりまするなあ。さてさていったい、何をお探しでいらっしゃいましょうかのう」

「うん、うん。急ですまないんだが、ちょっと聞かせて欲しいことがあるのだ」


 王子はまだ息も整わないうちに、その襟首をつかまんほどの勢いで老人に迫った。老人は面食らう様子もなく、ただにこにこしているばかりだ。


「昔、私が小さいころに話をしてくれたことがあったろう? その……我が国の、建国にまつわる伝説を」

「おお。そんなこともございましたな」


 返事も至ってのんびりとしたものだ。王子はついいら立ちを覚える。


「急いでいるのだ。あれはどんな話だった? 確か、魔法を使う悪い剣士がのさばって、この国の人々をおびやかし、虐げていたんだったな? それで、それを討った勇者が建国の王になったとか、なんとか──」

「おお。よく覚えていてくださいましたな」

 ほほほ、と掠れた笑声をこぼして、老人は肩をゆらした。

「まあ、落ち着いてくださりませ。そこへちょっと、腰かけさせていただいてもよろしゅうございましょうか。なにしろまあ、寄る年波には勝てませぬ」

「あ、ああ」


 無理もない。なにぶん非常な高齢だ。

 すでにこの老人、優に九十は越えているはずなのである。

 そばにあった閲覧用の椅子に腰かけ、王子は改めて老人から話を聞いた。


 アシュクロフト王家の始まりは、三百年ほど前にさかのぼる。

 当時、この大陸のほぼ全土は「ザカライア」と呼ばれる魔王が支配していた。武術に長け、強大な魔力をもつその王を、地の人はだれも倒すことができずにいた。

 が、そこに勇者アシュクロフトが現れる。彼は有能な仲間を集め、武人と魔道士とで成る一軍を組織して魔王ザカライアと戦った。壮絶な戦闘の果て、彼は遂にザカライアを倒し、アシュクロフト王国を建て、その王となった──。


 建国王アシュクロフトについての伝説はほかにも様々に語り継がれているけれども、主要なことは大体このようなものだった。

 老人はゆっくりとこれらのことを語り終え、書架の奥から古い巻物を出してきて王子に見せた。

 それは絵巻物となっており、アシュクロフトが一味を率いて魔王ザカライアと戦った顛末が挿し絵と共に描かれていた。

 その絵を見て、王子の呼吸は一瞬とまった。


 真っ黒なマントとフードをつけた大きな体躯。巨大でねじくれた獣の角。肉食獣の髑髏に覆われた顔と、黒々とした傷だらけの太い腕。

 そして、大きな曲がった爪──。


(これは……これは)


 間違いない。

 その絵で表されているものは間違いなく、あの古城にいた怪物そのものだった。絵の怪物は口から炎を吐き、周囲の人々を大量に虐殺して血の海に沈め、暴虐をきわめる姿が描かれている。


(魔王……ザカライア)


 まさか。

 そうなのか……?

 もしかしてこれが、あの「彼」なのだろうか。


 いや、しかし。


 かの「怪物」は確かに見た目こそああだけれども、とても残虐無比なこの「魔王ザカライア」だとは思えない。なにより精神こころが違うと思える。これはいったいどういうことか。

 王子のまぶたの裏には、あの小川のほとりにいた彼の姿が焼き付いている。自分が持って行った食事を嬉しそうに食べ、ごく平和に岩に腰かけていた姿。

 周囲の小鳥が安心してやってきて、その頭に止まっていた、あの姿だ。


(ちがう……。おかしい。何かがおかしい)


 王子の心臓は鼓動を早めた。


 何かがおかしい。

 この歴史がおかしいのか、それともあの「怪物」がおかしいのか。

 それはどうにも分からなかった。


 王子は老人に礼を言うと、風のように書庫を飛び出した。

 次に向かったのは、己が父のもとだった。


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