第4話 名前

 王子はちょっと居住まいを正して座り直した。

 まっすぐに怪物の方を向く。


「私の名は、マクシミリアン。マクシミリアン・アルドリッジ・アシュクロフト十四世だ」

「…………」


 奇妙な沈黙があった。

 怪物は黙ってこちらを穴のあくほど見つめていたようだった。

 が、やがて視線をすいと外した。


「……そうか」

「まあ、長ったらしいからな。『十四世』も、つい先だってくっついたばかりだし。『マックス』で構わない」

「えらく庶民的な王太子殿下だな。そんなことでいいのか?」

 苦笑ぎみに訊かれて王子は肩をすくめた。

「別にいい。ご覧の通り、大した王太子でもないからな」

「ご謙遜だな」


 それだけ言って、男はまた黙りこんだ。何かを考えあぐねる様子だ。体の調子でも悪いのか、しきりに頭をさすっている。

 王子は少し不安になった。


「なんだ? 私の名前が、どうかしたのか」

「いや……いいんだ」


 軽く首を横に振って、男は立ち上がった。

 途端、そばにいた小鳥たちもぱたぱたと飛び上がって散っていく。


「大変ご馳走になった。美味かった。感謝する」

「え? いや、あの……」


 王子も慌てて立ち上がり、食事の籠を片付けてそばにつないでいた馬の引き綱を持った。男は振り向きもせず、朽ちた城に向かって大股に戻っていく。

 すぐに後を追ったつもりだったが、彼の背中は木立の間に隠れ、あっという間に見えなくなった。


(なんだ……? 一体どうしたんだ)


 不安に思いながら城へ入る。男は例の地下室へ戻ろうとしているらしかった。


「あのっ! ま、待ってくれ」

 必死で何度か呼び止めて、ようやく男は足を止めた。黒いマントの背中を向けたまま、ほんの僅かに顔をこちらに傾けている。

「『怪物どの』は、確かにまずいと思ったが。だったら、どのように呼べばいい?」

 怪物はしばし沈黙して動かなかったが、やがて言った。

「……呼ぶ必要などないだろう」

「え?」

「もう来るな」

「ええっ……」

「もう、ここへは来ないでくれ」


 王子は言葉を失った。

 どうして急に、この男はこんなことを言い出したのか。


「そもそも、来る必要などないだろう。そちらはこの国の大切な王太子。俺のような怪物に構っているほどお暇でもあるまいし」

「そ、それはそうだが」

「今ごろ、お城の面々が慌てているのではないのか? どうせ黙って出て来たのだろう。早く帰って安心させてやるがいい」

「……そ、それもそうだが」


 困ってもじもじしてしまう。

 なぜだかわからないが、そうやって拒絶されたことが妙に心をざわつかせた。

 最初、あれほど怖くて逃げだしたいほどだったのに。なんで「来るな」と言われたことが、こんなに自分は不愉快なのか。胸の奥に棘を刺し込まれたように、しくしくと痛みを覚えるのか。

 自分の気持ちがよくわからず、王子は肩を落として足もとを見た。


「どうして、来ては駄目なのだ……?」

「『来る必要がなかろう』と言っている。そちらはこの国の重要人物だ。こちらが何かの罠にかけて、誘い出しているなどと勘繰られては迷惑だ」

「そんなもの……私が自分の意思で来ていると言えば済むことだろう」

「それが通るとお思いか。供も連れずに、たった一人でこんな古城にこそこそと。しかも、こんな化け物に会いに」

「ば、化け物だなんて」

「ともかく。もうここへは来ないでくれ。俺も、早いうちに次のねぐらを見つけよう。ここは早々に引き払うことにする」

「そっ、そんな──」

「分かったな」


 最後にぴしゃりとそう言ってマントを翻し、怪物は地下への通路に入っていく。

 王子は入り口に駆け寄った。


「やだ! いやだっ!」


 思わぬ大声が出てしまって、自分でも驚いた。

 怪物もどうやらそうらしく、怪訝な様子で足を止めた。が、やっぱりこちらを見ようとはしない。


「もう会えないなんて、いやだ。待ってくれ」

 そんなの勝手だ、と言いそうになって「いや、それはおかしいのか」とぐっと飲み込む。

「もう一度だけでもいい。……会いたいんだ」

「…………」

「だから……勝手にいなくならないでくれ。お願いだ」


 声が次第に震えてくる。

 握りしめた拳も小刻みに震えてきた。

 それがどうしてなのかは分からなかった。でも、胸の痛みが止まらないのだ。それだけははっきりしていた。


 怪物は、黙ってまた足を進めた。

 「否」とも「応」とも言ってくれなかった。

 そうして、そのまま階段へと姿を消した。


「怪物ど──」


 取り残された王子はちょっと泣きそうに顔を歪めた。

 そうしてひとりぽつんと、埃だらけの廊下にしばらく立ち尽くしていた。





(なんでだ。おかしい。絶対におかしい)


 馬を駆けさせて王城へと戻りながら、王子は必死に考えていた。

 彼は明らかに、自分が名乗ったことで態度を変えた。自分の名前に何か覚えがあったのだろうか。何かの呪いによって記憶を失っているにも関わらず、この名にはひっかかりを覚えたのか……?


「殿下! どちらへおいでだったのです!」

「みな、大変心配しておりました」

「必死にお探ししておりましたのですぞ……!」


 城では侍従をはじめとするお付きの者らが次々にそんなことを言いながら王子を出迎えた。王太子がいつのまにか姿を消して、王にそれと知られる前に、側付きの者たち総出で必死に城内を探していたらしい。

 が、王子は彼らに適当に謝罪をして着替えると、すぐに王城の書庫に向かった。

 昔、かなり幼い頃に、自分に昔話をしてくれた者に会うために。

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