第3話 ピクニック


 古城の入り口につないでいた馬も連れて、王子は怪物とともに小道をくだった。

 ほとんど下生えの草で隠れそうになっていたけれども、それは間違いなく道だった。やや急な下り坂を、馬の足に気を付けてやりながらゆっくりとおりていく。

 やがてちょろちょろと心地よい水音が聞こえ始め、茂みの向こうに陽の光を跳ね返す水面みなもが見えた。


「ほら、いいだろう? 素敵だろう?」

「ふむ。そうだな」


 うきうきして怪物を見上げたら、深くかぶったマントのフードの奥で、彼もわずかに頷いたようだった。ゆるりと首をめぐらせて、周囲を観察している。


「少し待ってくれるか」

「え? ああ」


 男が言うので、そばに草の生えている適当な木を探し、王子はそこへ馬をつないだ。

 男は大きな手を胸のあたりまで持ち上げて外に向け、低く何かを唱えている様子である。やがて男は手を下ろした。


「まずまず、これでいいだろう」

「何をしたんだ?」

「一応、結界をな。この姿を見て腰を抜かした近隣の住民が、むらへ駆け戻って大騒ぎなど始めてはかなわぬゆえ」

「ああ、なるほど」


 そうか。この男は、どうやら魔道の技を使うらしい。

 ここ数百年で数を激減させているという魔道士たちだが、男はその技術を持っているらしかった。

 魔道士は、天と地の謎を解明し、大地と大気の気を集めてその身に魔力を宿して、一定の術式に従って様々な魔法を起動させる者たちのことを言う。かつて数百年もの昔には、王侯貴族が彼らを召し抱えて自軍の守りとするのが常だった。


 有能な者ならば、一瞬にして森を焼き、湖の水を蒸発させ、大地を鳴動させて地割れを引き起こすことができる。数万の大軍をもって襲って来た敵兵を、魔道による地割れが一瞬にして飲み込んだ……などという伝説も数多い。

 だが、それは群雄割拠、蛮勇の時代だったからこそ起こり得たことだった。やがて各国の境界が定まり、平定され、それぞれ地歩ちほをかためて国政が安定していくにつれ、各国の宗主らは魔導士たちの存在をうとむようになった。

 国政と魔道とは次第に一線を画するようになり、かれらは国の中枢から追われて姿を消していったと言われている。


「あなたは……魔道士なのか?」

「恐らく、そういう素養があったのだろうな。なぜ自分にこんなことが出来るのか、そのあたりは思い出せんが」

「そうなのか」


 王子は不思議な気がして彼を見上げた。

 男の身のこなしは、間違いなく自分の王宮にもいる武人のものに酷似している。だから彼は、剣を取って戦うこともきっと得意であるにちがいない。その上で、彼には魔道に関する素養もあるのか。

 そういえば昔、ほんの子供のころに、そういう昔話を誰かから聞いたことがあるような気がした。

 あれは、どういう話だったか──。


「まあ、とにかく。食べないか? あのあたりはどうだろう」


 小川のそば、少し広くなった日当たりのよい場所に、木立が涼しそうな木陰を作っている。そこを指さして見上げたら、怪物は素直に頷いた。

 敷物などはないので、適当に埃を払って岩に腰かける。怪物も少し離れて同じように腰をおろした。


「あ、ええっと。私が一応、毒見をするから」

 パイを二等分して片方を差し出し、すぐにかぶりついてもぐもぐやって見せたら、怪物は苦笑したようだった。

「そこまでする必要はない。落ち着いて食べてくれ」

「そ、そうか……?」


 すでに栗鼠リスか何かのように頬を膨らませて言ったら、怪物はまた含み笑ったようだった。大きな爪で器用にパイをちぎり、髑髏の間から差し入れて咀嚼している。

 あんまりじっと王子が見つめていたからか、男はこちらを見て変な顔をしたようだった。


「あんまり見るな。食べにくい」

「あ。そ、そうだな。すまない……」

 王子はきょろきょろと目線をさまよわせた。

「えっと……。う、うまいか?」

「ああ。食べてみれば、美味いものだな。食事なんて久しぶりだ。礼を言う」

「あ、う……うん」


 それからしばらくは沈黙して、二人は次々に食物を口に運んだ。


「なんとなく、懐かしい味がするな。これは」

 怪物がふとそう言って、葡萄酒をどうやって飲んだものかと思案していた王子は目を上げた。

「え? どれだ」


 見れば男は、城下町の商家で渡されたクランベリーやブルーベリーのいっぱい詰まった分厚いパイを手にしている。少し首をかしげているようだ。


「なんだろう。何か、思い出せそうな気がするが──」

「えっ。本当か?」

「うむ……」


 低く唸って、男はしばらく考えていたようだった。

 が、やがて諦めたように息を吐きだした。


「だめだ。やっぱり思い出せない」

「そ、そうか……」


 王子も何となくがっかりして肩を落とした。

 それを見て、また怪物が少し笑った。


「別に、そなたががっかりすることではあるまいに」

「そ、そうだけど」


 何となく、気の毒な気がしてならない。

 誰かと戦い、恐らくは敗北し、ひどい呪いをその身に受けた。それから、たぶん何年も何年も、あんな廃墟で眠らされて。

 あの古城のいたみ具合からして、それはきっと何十年ではきかない年月に違いなかった。

 彼の知人や親族はみな、とっくに他界しているだろう。

 だれ一人生きてはいまい。


 彼はひとりだ。

 たったひとりなのだ──。


 そのことが、どうしてこんなに我がことのように胸を刺すのか、王子にはよく分からなかった。

 怪物がパイの縁を少しちぎり取って側の岩の上に置くと、しばらくして小鳥たちがやってきた。最初のうちこそ警戒して離れた場所を飛び回っていたようだったが、そのうち少しずつ近寄ってきて、やがて嬉しそうについばみ始めた。

 怪物は、終始黙ってそれを見ていた。

 そのうち大胆になってきたらしい小鳥の一羽が、ぴょんと怪物の頭にとまった。


(え……)


 王子は目を丸くして見つめた。

 怪物はぴくりとも動かないまま、彼らのしたいようにさせていた。

 小川がちょろちょろと音を立てる。

 そこにいる異形の男の姿とは裏腹に、周囲に漂っているのはただただ平和な空気だった。そこにあるのは、静穏な一幅の絵そのものだった。


「あの……。な、名前」

「ん?」


 怪物がこちらを向いて、何故か耳が熱くなった。


「わ、わたしの、名前だ。いつまでも『王太子殿下』っていうのもなんだし」

「ふむ。それはそうだが」

 男はまた含み笑った。

「いいのか? 俺にそんなに色々と情報を与えてしまって」

「え?」

「別に、俺は『王太子殿下』でも構わないぞ。その名前を頼りに、俺がそなたの王宮に押しかけて無体な真似をするとは思わないのか?」

「……お、思わないよ。そんなこと」


 自分では気づかないまま、王子はちょっとふくれっ面になった。

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