第146話 創作にまつわる検証のあれこれ(4)

 私の勤め先では、新年を迎えると一年の抱負を書いて壁に貼る、という伝統行事があります。


 抱負といってもそんな重苦しいものは求められておらず、「今年こそ5㎏痩せる」とか「旅行に行く」というような、仕事とは関係ない、極めて私的でフランクな内容でも全然OK。


 大事なのは目標を立てること。それに向かって計画的に行動すること。

 趣味でも仕事でも、共通する理念だと思います。


 ちなみに私は「ドングリを食べる」という抱負を書いて貼りました。


 私がことあるごとに変なものを食べているのは周知の事実になってしまったので、ウケ狙いで書いたのですが――それからあっという間に時が過ぎ。季節はすっかり秋となってしまいました。


 さて。目標を立てた以上、果たさねばなりませんな。



■動機



 ドングリと人類の関わりは実に古い。

 日本でも縄文時代の遺跡から多数のドングリと貯蔵庫跡が発見されているし、ヨーロッパにおいてもドングリは穀物の代用品として食べられてきた背景があります。


 木に登ることもなく、安全かつ簡単に採取でき、なおかつイモ類よりも長期保存が可能なドングリは、獣肉や魚と同じくらい当時の人々の食生活においてとても重要なものだったのでしょう。小学生のころによく読んでいた日本の歴史漫画でも、決まって縄文時代編ではどんぐりをパンに加工して食べるシーンがあったものです。


 そんなドングリですから、稲作が始まって以降も、飢餓に備えて救荒食物として備蓄されていましたし、食料以外にも染料(つるばみ染め)としても活用されていました。


 そんなドングリですが、現代ではまず食べる機会はないでしょう。


 理由は単純で、美味しくないから(食べたことないけど)。


 生食可能なスダジイ、マテバシイ等の一部の種を除き、タンニンの含有量が多いため、渋抜きをしなければとても食べられたものじゃないそうな。


 仮に手間暇かけて食べられるように加工したとしても、大して美味しくないのでは、同じ労力をかけて別のものを食べたほうが健全というもの。


 しかし、拙作にてミラン君という、狩猟採集文化の権化の少年を書いた手前、生みの親としては彼が食べていそうなものは、すべて体験したいところであります。


 ……だって、食べるでしょ、彼。ドングリくらい。


 食べる以外にも、ドングリから出てきたクリムシ(ゾウムシの幼虫)も釣りの餌として使うでしょうし、灰汁あく抜きした汁は染料だったり、仕留めた獣の皮をなめす時に利用したりしているんじゃないかな……とか、いろいろ妄想が膨らみます。まあ、鞣しにはドングリから出るタンニンでは難しいかもしれませんが。



■公園へ



 当然ですが、ドングリを食べるためには、ドングリを拾わねばなりません。


 なので、車を飛ばしてお気に入りの公園へ。


 園内をしばらく散策しましたが、スダジイやマテバシイは見当たらず。


 幼少期に虫取りをしていたせいか、クヌギは条件反射で見つけることができるのですが……残念ながらクヌギのドングリは灰汁抜きが必要なタイプ。そうそう都合よく美味しいドングリは生えていないようです。


 いや、最初から植わっていることを確認してから行けという話かもしれませんが。


 一応、クヌギやコナラのどんぐりを20個ほど拾ったものの、さて、どうするか。


 うーん……ミラン君のことですから、美味いドングリと不味いドングリの見分けくらいはつくでしょうが、食おうと思ったら不味いドングリでも食べるのが彼。


 ここはあえて、先に不味いドングリを食べてみよう。


 なに、マテバシイはまたの機会に食べればいいさ。



■いざ調理


 拾ってきたドングリをよく水洗いした後、ボウルに水を張って沈めます。


 虫食いのやつは浮かんでくるので、それを除去。20個中、浮いたものは1個だけ。なかなか運がいい。


 残ったものをフライパンで炒ります。

 ボイルという手もありますが、それだと渋みが流れてしまい、不味さが減ってしまいそうなので、ここは炒り一択。


 嫁の「なぜ、そこまで不味さにこだわるのか」と言わんばかりの不審な視線を感じつつも、フライパンでドングリにじっくり熱を加えていくと、膨張してぱっくりと縦に割けます。


 すると、ほんのり栗の香りが漂ってきました。

 ドングリはブナ科の果実の総称であり、日本人が愛してやまない栗もブナ科なので、当然と言えば当然なのですが、ここまで甘い香りをするとは。意外。


 15分ほど火を通したら、次は殻剥き。

 割るのはとっても容易。ぱぱっと割って中身を確認すると、クリムシが二匹ほど混在していました。水に浮くものだけが虫食いではないということですね。


 クリムシそのものは食べられるはずなのですが、嫁がすごい形相で見ていたので、これも別の機会にしようと思います。


 それにしても、からっからに干からびたクリムシを見ていると、今は亡き祖父を思い出します。


 川釣りが好きだった祖父は、幼い私が拾ってきたドングリをアルミ缶に保管していました。孫からの贈り物を大事に取っておいたのではなく、その中に潜んでいるクリムシが目当てだったのです。


 出てきたクリムシをエサにすると、それはそれは釣れました。

 祖父の技量もあるのでしょうが、そのせいで私は未だに一番釣れるエサはクリムシだと信じてやみません。


 選別を続けると、クリムシが入っていたもの以外にも、黒ずんだものも多数見つかり、最終的に食べられそうなのは四粒のみとなりました。


 そう考えると、ドングリをそれなりの量を食べようと思えば、かなりの数を集めなければなりませんね。外見がきれいだと思っても、中身まできれいとは限らないわけで。


 しかし、数を集めれば集めるほど、殻剥きが苦行と化す。

 ザリガニを食べた時も思いましたが、食べるまでの労力に対するリターンカロリーが少ないことが廃れた一番の原因でしょうねぇ。


 さてさて、いざ実食。


 一粒を口に放り込み、無言で咀嚼。

 うーん……触感的にはしっとりしたピーナッツかな。ポリポリする。香ばしい栗っぽい甘い匂いがするものの、そこまで甘くはない。わずかに、ほんのわずかに甘みがある……ような気がする。でも、それ以上に、口の中がきゅっと締まるような渋みが前面に押し出されている。


 でも、食べられる。

 決して美味しくはないけれど、まあ、うん……食えなくはない……かな。

 よく動画などで見る「激渋!」という感じではない……と思う。


 ちなみに、興味本位で一粒かじった嫁はのたうち回っていました。


 私が何食わぬ顔で咀嚼しているのを見て、行けると思ったそうですが、「旦那に騙された」と涙目。人聞きの悪い。


 日常的にくっそ濃いブラックコーヒーを愛飲しているせいか、私は苦みに関しては鈍麻気味なんですよね。そうなると、私の食べられるはあまり信用ならないかも?


 とは言っても、私も一粒、二粒くらいだからこの程度なのであって、お茶碗いっぱい食べたらさすがにヤバいと思う。


 うん。次はちゃんと美味しいドングリを探してこよう。

 それか、しっかり灰汁抜きをしよう。


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