第144話 日本甲冑のあれこれ

 結婚というものは人生の一大イベントではありますが、それ故に、する前も、した後も、やることが山積みです。


 諸事情から多くの工程を略式で済ませた私ではありますが、それでもかなりの手続きが必要で、やることリスト一覧を眺めて絶句した私は「あー、これは早急に結婚休暇をもらわないと全部完了しないな」と判断し、上司に相談して土日を含めて休暇を9日間いただきました。


 ドラマやアニメなどの影響からか、結婚休暇というものは『ハネムーンのためにあるもの』『普段は行けないような海外旅行に行くもの』というようなイメージがありましたが、実際は華やかさとは無縁の役所の手続きに奔走する日々。


 とはいえ、手続きが完了しなければ新生活を始められないわけですから、優先順位を無視することはできません。ドラマ等でよく見る幸せな二人の結婚式、新婚旅行なんてものは、数ヵ月前から綿密に段取りして、早め早めに行動しなければ、時間的にとても再現不可能なことだったのと実感します。


 しかしながら、本当に手続きだけで結婚休暇を使い切ってしまうのも忍びない。

 スケジュールを組んだら三日ほど予備日ができたので、手続きが順調に進んだらどこかに旅行しようと話し合いました。


 幸いなことにスケジュールは遅延することなく順調に進み、予定通り三日ほどフリーな時間ができましたが、ここで二泊三日の旅程を組んでしまうと、帰ってきた次の日にはすぐ仕事になってしまうので、現実的なプランとして、一泊二日、残りの一日を休息に充てることになりました。


 一泊二日では行ける場所は限られます。

 その限りある選択肢の中で私たちが選んだのは鹿児島でした。


 え? なんで鹿児島かって?

 それは――甲冑の試着ができるからに決まってるだろうが!



■1日目


 と、いうわけで鹿児島に行ってきました。


 最初に立ち寄ったのは鹿児島市吉野町にある島津家別邸、仙巌園。

 島津光久によって築かれた別邸で、錦江湾や桜島をとりいれた雄大な景色が美しく広がている庭園が絶景の鹿児島を代表する観光地――なのですが、私の目的はそこで行われている甲冑の試着体験です。


 しかも、製作元は、時代劇の撮影に用いられる甲冑製造の全国シェア八割を担い、昨今では米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手がホームランセレブレーションで被った兜の作成をしたことで話題となった丸武産業株式会社。安っぽいコスプレ衣装ではなく、ややガチめの甲冑が装着できるのです。


 意気揚々と受付をする私。すると、係りのお兄さんが、


「あの、甲冑の試着ですが、夏場はかなり暑いですよ。10分も経たずに脱がれた方もいますし……大丈夫ですか?」


 と、心配してくれましたが、


「かまわん。やれ」


 DIOのように応じる私。


 夏場だから暑い?

 それを体験してこそ資料ってもんでしょう。こちとらコスプレをしたい外国人じゃないんですよ。夏の合戦に参加した鎧武者の気持ちがトレースできるなら、これに勝る経験はないっつーの。


 選べる甲冑は島津家当主由来のもの三種。

 その中で私が試着したのは島津義弘モデル。総重量20kg。

 限りなく本物に近いレプリカの試着ができるのは、鹿児島だけだと思います。


 パンツ一丁になって、小袖を着て、足袋を履き、さあ準備完了。


 まずは袴。前後に分かれているので、まず前部分を腰で結び、その後、後ろ部分を同じように腰で結ぶ。

 次いで、佩楯を締め、脛あてを装着する。

 そして、小手(弓掛)を両腕に通す。どうやら、左からつける模様。

 そこまで終わったら、お待ちかねの胴鎧。

 その上から帯を巻き、短刀を刺して、陣太刀を佩く。打ち刀ではないのは、大将なので馬に乗ることが前提だからでしょう。


 ※あくまで着付け体験での順番なので、本当の甲冑装着の順番ではないかもしれません。


 完全装着した後、率直に感じたのは……紐や帯で結ぶ工程の多さでした。

 結ぶ、結ぶ。とにかく結ぶ。何度も結ぶ。

 ドラゴンノベルス小説コンテストのあれこれ(2)でも語りましたが、この時代には金属の留め具は一般的ではないので、すべて紐や帯で結ぶ。刀剣や仏具で金属の装飾を作成できる日本人が留め具を作れないとも思いませんが、ここまで徹底していると、その理由を想像したくなります。


 私見ではありますが、紐や帯は切れたり破れたりしても代替や修復が用意しやすいし、場合によっては包帯の代わりにすることもできたりと、戦場でも何かと使い勝手がよかったのでしょうね。


 すべて装着するのにだいたい15分ほど。

 仕事とはいえ、係りのお兄さんはとても大変そう。聞くところによると、古では小姓が三人がかりで着せていたんだとか。確かに、この量は分担しないとやっていられないでしょうね。


 総重量20㎏だけあって、全身がずしりと重い。

 しかし、肩で支えて負荷が分散されているため、重さで動けないかというとそうではない。歩いたり、小走りするくらいなら運動不足の私でもできる。私でその程度の負荷なのだから、鍛えに鍛えまくった戦国武将にとっては大した重さではなかったのかも?


 何より、思った以上に下半身の挙動がスムーズ。スキップだってできちゃう。武将は馬に乗る=またがることが前提なので、それもそうかと納得。


 言い方を変えれば、足回りの可動域を確保するために、下半身の防御を佩楯や草摺のみに防御を頼っている状態。胴回りの堅牢さを考えると、さながらスカートをはいているかのごとき心細さを感じる。


 それでも、駆けまわったり、馬に乗るほうが重要なのでしょうな。


 では、肩回りはどうだろう。

 撮影用に貸していただいた陣太刀を抜いてみる。資料として居合用の模擬刀を持っているので打ち刀の抜刀には慣れているのですが、太刀は正直、ちょっと抜きづらかったです。


 構えてみると、胴鎧を肩で釣っていることもあって、どうにも装具が引っかかって上段の構えは難しかった。できなくはないけれど、すごく窮屈に感じる。兜も装着しているので、鍬形やら吹返やらに当たるため、いくつかの作中でも描写した通り、やはり肩に担ぐように構えるのが自然なのでしょう。


 ……これまた私見ではありますが。兜の有無に関わらず、胴鎧を装着している時点で真上に腕を掲げることにはやりづらさがあるのですから、だったらいっそ真上への可動を諦めて兜の装飾に全振りするかー、みたいな考えで派手に作るようになったかもしれませんね。妄想ですが。


 資料用に嫁に撮影してもらいつつ、甲冑を着た状態で一時間ほど庭園を散策させてもらいましたが、脱いだ時には小袖がぐっしょり濡れていました。楽しくて暑さはあまり気にならなかったのですが、やっぱり暑かったみたいですね。



■2日目


 一日目は好き放題させてもらったので、観光タイム。

 知林ヶ島や池田湖、釜蓋神社などの名所めぐりをしてきました。

 お土産を買うために薩摩蒸氣屋に寄る時間を考えると、寄れてあと一ヵ所……というところで、嫁が「わしも甲冑着てぇ」と発言。


 距離的には仙巌園に戻るより、製造元の丸武産業株式会社に直接行くほうが近い。

 丸武産業株式会社でも甲冑の試着体験ができるし、なおかつ女性も甲冑を着ることができる。


 なら、行くっちゃない。


 そんなわけで、片道で二時間ほどかけて薩摩川内市湯島町までやってきました。


 映画や時代劇でも使用された甲冑がずらりと並ぶ展示室や、制作過程が見学できる甲冑工房は一見価値あり……なのですが、そんなことより試着だ!


 さすが製造元だけあって、試着できる甲冑の種類は仙巌園より多かったです。

 しかしながら、試着に適した軽量タイプしかないようで、私は伊達政宗モデルを装着したのですが、これがもう軽いのなんのって。


 仙巌園で着させてもらったのが明らかに本物に近かったです。

 係りの人も「あそこに提供したやつはしっかり作りましたからね」との仰っていましたし……よかった、先に試着しておいて。


 試着も二度目ということもあって、特筆することはあまりないのですが、撮影区画に馬のオブジェがあったので、それにまたがって写真を撮らせていただきました。


 やはり、下半身は動きやすい。がばっと足を上げても佩楯も草摺も全然気にならないし、よく考えられて機能的に作られているなぁと感心するばかり。


 さて、そうこうしている間に、嫁も女性用甲冑を試着。


 男性向けと異なり、胴鎧のみの足軽風の出で立ちですが、薙刀を携えた姿はさながら巴御前のように凛々しい。


 係りの人のご厚意で殺陣のまねごとをさせていただいたのですが、さすが玉竜旗経験者。素人剣術では隙をつくことなど到底かなわず、小手に打ち込まれる始末。


 ……あのね。借りものだからね? 殺意高いな、おい。


 そんなこんなで、一日目、二日目とも甲冑を試着することができて私的には最高の旅行になりました。いやあ、楽しかったなぁ。


 興味がある方は是非とも現地に行って、甲冑の着付けを体験してみてください。

 ただ、着用中は他の見学者の方からすげぇ目で見られますので、羞恥プレイに耐性をつけてからのほうがいいですよ。

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