第117話 二足の草鞋のあれこれ

 ここでする話でもないのだが、最近、何かと絵を描く機会が増えた。


「おめー、小説書きじゃないんかい」というツッコミももっともであるが、ちょっと話を聞いてほしい。


 ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、私の創作の起源は漫画。プロという意味では、もともと際立った才能もないし、高校時代に見切りをつけてすっかり諦めてはいるのだが、絵を描くこと自体は現在でも普通に好きなままである。


 去年の夏ごろから急に某SNSを始めた私であるが、せっかくの便利なコミュニケーション・ツールなのだから、これを使って少しでも私の世界を不特定多数の人々に知ってもらえたら、という一念でちまちまとイラストを掲載している。まあ、だいたいはアイコンにもなっているあの魔道士しか描いていないのだが。


 とはいえ、「そうやって脇道ばかり逸れて、肝心の小説はどうなっているの?」と言われれば耳から血しかでない。二足の草鞋を履いてもろくな結果を生まないのは世の常である。


 が、少しだけ待ってほしい。久々に駄文をしたためようと思ったのは、まさにこの二足の草鞋のおかげなのだ。


 数日前に遡る。

 私の仕事の関係者の方が絵を描いており、そのイラストを見せてもらった。

 狐っ娘の巫女さんが、腰に手を当てて前屈みになっており、頭を撫でてほしそうにしている――という、その方の趣味が全開の一枚だった。


 惜しむらくは、それを真正面の構図で描いていたこと。

 ちょっと絵を描いたことがある方ならば共感していただけるのだと思うが、『真正面』という構図は、実は上手に描くにはとても技量がいる。まして、腰に手を当てて前屈みなんてポーズを描くなら、『真正面』以外の構図の方が明らかに映えるし、描きやすい。正面から描く必要性があまりない。そこが残念だった。


 とはいえ、私程度の技量の人間が指摘するのもどうかと思ったし、敢えて真正面からの描写にこだわったのかもしれぬ。指摘をする前に、私は実際にその方と同じ絵を描いてみることにした。実際に描いてみることで、何か気づけることもあるかもしれないと思ったからだ。


 やはり、正面から描くのは私には難しい。奥行きの表現もそうだが、狐っ娘の象徴である尻尾がどうしても背中側に隠れて目立たない。


 何よりも難しいのは巫女服。和物は、衣装の構造をきちんと理解していないと途端に説得力がなくなる。特に袴なんかは足が完全に隠れるし、キャラクターの足がどういう風に伸びているのかも伝わりにくい。


 と、そこで、ふと閃いた。

 足がどういう風に伸びているかもわからない。それでいいのだ。それが袴という服の役割なのだ、と。


 日本の武道において袴を着用するのは、袴が日本の伝統衣装だからという理由だけではない。すっぽりと下半身を覆い隠すような袴は、という武術において極めて重要な役割を果たす。


 一瞬の反応の遅れが生死を分かつ真剣勝負において、その一瞬をもぎ取るための所作の欺瞞も技の一部。武士という戦士階級が政治の中心を担っていた日本だからこそ、その礼装たる袴には武装の側面も併せ持つことが求められたのだ。


 足の動きの起こりを隠蔽するための衣装なのだから、その下がどういう風に立っているかわかるはずもない。わかってしまえば、動き出しが読み取られてしまうと言うこと。だから、それが絵であっても、どのようになっているかわからないほうがいいのではないか。


 目から鱗だった。

 知識としては知っていたことではあるが、まさか絵を描いていてそれを再認識するとは思わなかった。


 こういう再発見もあるから、二足の草鞋も時には悪くはないと思う。

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