第116話 心に残る架空生物のあれこれ(3)

 私は特撮が大好きです。

 幼き日に父が録画してくれたゴジラやウルトラマンを、ビデオが擦り切れるまで何度も何度も見返して育ちました。体は特撮で出来ている――と詠唱するほどではありませんが、私の創作における骨子の大部分は、間違いなく幼少期に観た特撮作品が担っていると思います。


 今回語る心に残る架空生物は、特撮映画、平成ガメラシリーズの二作目「レギオン襲来」に登場する「レギオン」という怪獣です。これまでにもエッセイで幾度か名前を出したので「だろうなー」と思った方もいらっしゃるのでは。


 さて。

 レギオンの説明に入る前に、日本人と怪獣の関係について少し語ろうと思います。


 我々日本人が暮らしている日本。その文化観の根底には神道があります。

 古代の日本では神と自然は同一視されていました。その神と人とを結ぶ民族宗教こそが神道です。八百万の神々という言葉があるように、万物に神が宿ると考えていた日本人にとって、神様はとても身近な存在だったのです。


 その感受性を説明するのにうってつけの例えがあります。

 近年、すっかりメジャーになったクトゥルフ神話ですが、この作品群のジャンルはコズミックホラーと銘打たれています。しかし、どの部分がホラーなのか日本人にはあまり実感がわかないのではないでしょうか。


 クトゥルフ神話における表現でしばしば用いられる言葉に「冒涜的な」というものがあります。これは欧米諸国における普遍的な一神教の宗教、その神に対する冒涜を指します。


 広漠で虚無的な宇宙と、そこに住まう得体の知れない何かたちの前では人類程度の存在など何の価値もない。その事実は、一神教の経典で描かれる、善なる神の愛によって支えられている世界観を信仰する人々にとって理不尽であり、そんな神様はいない、存在する神様は人間なんて愛していないのだと突き付けられることこそが恐怖なのですね。


 んが、日本人はそうではない。

 もともと人間の人の手に負えない存在=自然=神が身近に存在するという文化。

 人知を超えたものがすぐ隣に存在し、めったやたらに祟ってくる(自然災害という形で)のが日常茶飯事な我々にとって、クトゥルフ的な恐怖像は「神様ってそういうものでしょ」で片付けられるもの。旧支配者はただの怪獣に過ぎないわけです。


 要するに、我々にとって怪獣というものは神の側面であり、体がビル並みに大きいのも、口から炎や光線を吐くのも、時に人間を操ったりするのも神様だからで納得してしまいます。だから、だいたいの特撮作品において、怪獣が怪獣であることに特別な理由なんてなかったのです。


 ――なのですが。

 その意味において、平成ガメラは従来の怪獣特撮とは異色。

 これは順然たるSF作品であり、怪獣というファンタジーな存在に科学的なメスを入れた画期的な作品だと思っています。


 その根拠は、作中における怪獣災害のリアルな設定の数々。

 それではレギオンとはどのような怪獣なのかざっくり説明してみましょう。


 レギオンは隕石と共に地球へ飛来した宇宙生物。

 シリコン化合物で構成された珪素系生物で、未知の絶縁物質で構成された甲殻を備えた全高140mの巨体を誇る大怪獣。

 半導体に酷似した体組織を持ち、珪素が栄養源。特出すべきは電磁波を操る機能を備えており、仲間同士のコミュニケーションに利用する他、指向性マイクロ波をビーム砲のように投射して敵を薙ぎ払うことも可能。


 レギオンには筋肉が存在せず、体内に充填されたガス圧で体を動かしているという設定があり、作中において研究のために解体された時にガスが吹き出すという描写があります。こういった細やかな地球上の生物とはかけ離れた、異質な生き物であるということに説得力を持たせていますね。


 レギオンという生き物は、女王階級であるマザーレギオンと、その子供たちであるソルジャーレギオンという社会的構造を備え、繁殖のためにレギオンプラントという別種の植物と共生関係にあります。


 レギオンは栄養源である珪素を摂取するために、土を化学分解して珪素を取り出しています。レギオンプラントは過程で生じる大量の酸素で成長し、かつ、その高濃度の酸素を利用した爆発で種子を宇宙に飛ばすという方法で繁殖・生息域を拡大させるという生態を持っており、レギオン側も、宇宙へと打ち上げられる種子と一緒に、自分の卵も運んでもらって新天地を目指します。


 作中では、レギオンは北海道に飛来し、ビール工場のビール瓶、光ファイバーケーブルを化学分解して生じた珪素を捕食しながら、(電磁波でコミュニケーションを取る彼らにとって通信妨害になる)電波が密集する札幌市にまで進行し、そこでレギオンプラントを育てます。


 このあたりの設定が、怪獣が都市部にやってきて破壊の限りを尽くすという怪獣映画のお決まりの展開に、物語的な意味付けをすることに成功しています。


 濃度が高すぎれば全ての生物の毒となる酸素。都市一つを壊滅させるほどの、種子を打ち上げるための爆発。そして、電波通信が生活の一部となってしまった現代の我々では、レギオンおよびレギオンプラントの生態とあまりにもかけ離れているために共存は不可能。


 だから、人類は戦わなければならない。怪獣と戦うためのロジックがしっかり描かれているのもこの作品の魅力でしょう。


 怪獣映画は世の中の理屈がわかっていない子供が楽しむ荒唐無稽なものではなく、大人でも楽しめるクールでスマートなジャンルなのだ。初視聴から何十年と経っても語りたくなるほどに、レギオンという怪獣と映画は私の心に深く残りました。


 やっぱり、怪獣とはロジックの塊の方が面白い。

 自作のファンタジーモンスターにできるだけリアルな生態を与えたいと思ったのはバイブル(私にとっての)による影響が大きいのですが、レギオンもその一角を担っているのかも。


 ここからちょっと余談。

 マザーを頂点とした社会性を持つ珪素系生物。最近、どこかで書いたような気がします。そう、第一回で語ったスリヴァーですね。


 平成ガメラシリーズの脚本を手掛けたのは、あの伊藤和典さん。

 パトレイバーやウルトラマンも手掛けたすげぇ御方なのですが、私が愛好しているカードゲームMTGも嗜んでいらっしゃったそうな。


 おお、ということはレギオンの元ネタはスリヴァーなのか!?

 と、一瞬思いましたが、MTGにおいてスリヴァーが初登場したエキスパンションであるテンペストは1997年で、「レギオン襲来」の公開は96年。時期的に合致しないので、たまたま類似したと思われます。残念。

(そもそも、日本におけるMTGの発売が96年なので、レギオン襲来制作時はMTGはやっていなかったと思われます)


 しかしながら、三作目「〈邪神イリス〉覚醒」では、MTGファンが思わずニヤリとする小ネタが仕込まれているので、撮影時にはMTGに触れていたものと思われます。


 さらに余談ですが、2003年に発売したMTGのエキスパンション「レギオン」というシリーズでスリヴァーはMTGに復活します。レギオンでスリヴァーですよ。今度はたまたまとは思えないなぁ。

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