第108話 雪道のあれこれ

「タイヤをスタッドレスに替えておけ。年開けは雪が酷いかもしれんからな」


 昨年末、私に父が言いました。


 私は車を所持していますが、扱いに関しては素人同然。用途は通勤かちょっとした遠出の買い物に使うだけ。メンテナンスはメーカー任せ。タイヤの交換も自力ではできないほどにはトーシロ。


 父は車を自分で整備点検するのが当たり前だった時代の人間。

 そんな父にとって浅い知識、技術で車を使用している私は常に心配の種に違いない。まして、私の仕事は緊急事態宣言だろうが何だろうがお構いなしの業種。台風だろうが、雪が降ろうがとりあえず出勤はしなければなりません。金で安全が買えるなら買っておけ、ということでしょう。


 基本的に、父の方針には逆らわない今の私。

 若い頃は反抗期もあってか何かと反発していました。特に進路や就職に関しては意見が交わることはありませんでした。まあ、私も絵描きになりたいとか、物書きで食って行きたいとか、夢に夢見る年頃だったので当然と言えば当然ですが。


 ですが、社会に出て、大人として生きることを学ぶうちに、次第にそんな気持ちは薄らいでいき、父は父なりの考えがあったのだと、今の私は冷静に受け止められるようになりました。


 父が言うからには、ちゃんと根拠がある。

 私は父の指示に従い、近所のオートバックスまで行って早速タイヤ交換をお願いしました。


 そんでもって、スタッドレスタイヤに交換した1ヶ月後の年明け。

 父の予見通り、例年見ない寒波が私の地域を襲いました。雪が降らない土地にも関わらず、10cmに迫る積雪。よく見知った街並みが一面が真っ白になった姿は、まるで初めて訪れた場所のように新鮮で斬新でした。


 そして案の定、私は仕事。

 公共交通機関も使えないんだから、もう休みにしようよ……と、いつもなら愚痴を吐きたくなるところですが、ここはスタッドレスタイヤの性能を試してやろうと前向きな気持ちで出勤しました。


 夜も明けぬうちから、ゆっくりゆっくり車を走らせます。順調。思ったよりも、しっか地面を蹴っている感覚。だからといってアクセルを踏もうとは思いませんが、予想以上に走れて安心しました。


 ……橋の上に差し掛かるまでは。


 20m先を走る車が減速したので、こちらも余裕を持ってブレーキを掛けました。橋の上は凍結しやすいけれど、車間も十分あるし、そもそも速度をそんなに出していないのだから大丈夫でしょう。と、たかをくくっていたのですが――


 ぎょ! ぎょ! ぎょ!

 と名伏し難き悲鳴を上げながら、車体が勝手に進むではありませんか。


 これがスリップか!

 穏やかにブレーキを掛けたつもりでしたが、それでも雪道では急制動の部類だったのか。タイヤが回転を止めた後も、車体は前へ前へと進みます。


 ぐんぐんせまる前方車両。引く血の気。反射的にサイドブレーキを引いても、そもそも慣性だけで進んでいるのだから意味はない。こうなったら、一か八かハンドルを切るか――あわや接触するかと思った時、直前でようやく止まりました。


 ふひー。

 安堵の息を吐きながら、ギアをパーキングに入れ、前方車両がはるか遠くに行くまでその場に留まってしまう私。人生初のスリップ。本気で死ぬかと思った。


 スタッドレスも万能じゃないな……でも、スタッドレスでなければ停まることはできなかったのかなもしれません。ともあれ、父の助言のおかげで、私は取り返しのつかない事態から逃れることができたのです。


 いやはや。やはり先人の助言に従うが吉ですね。

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