第17話 性的描写についてのあれこれ(1)

 とある御仁のエッセイを拝読した時に、際どい表現についての考察を書かれてあったので、せっかくだから私なりの性的描写についての考えに触れていこうと思う。


 ぶっちゃけ、アマチュア以下の物書きの思想なんてどーでもいいわーという感じではあるのだけれども、このエッセイはそう言った妄言を垂れ流す場所なので、ご容赦いただきたい。


 私の15年の執筆歴において、そしてこのカクヨムでの連載においても「性的描写に該当する」描写は間違いなく書いている。何度も書いている。場合によっては直接的表現でやったことさえある(さすがにカクヨムではないよ!)。


 遥か昔のことだ。

 ちょうど同人ゲーム全盛期。月姫、ひぐらし、東方Projectの隆盛を受け、我々もゲームを作ろうという企画が仲間内で立ち上がった。まあ、私が言いだしっぺだったので、私が立ち絵とシナリオを書くことになったのだが。


 結局、メインヒロインルートだけシナリオを書いて企画は頓挫したのだが、あの文章量は死ぬかと思った。シナリオライターってすごいなと思った瞬間だった。ついでにいえば立ち絵も並行して半分くらい描いていたので、イラストレーターってすごいなとも思った。


 あ、なんでこんなこと言いだしたかというと、それ内容が18禁だったんですよ。とりあえず18禁だったら何やっても良かった時代なので、趣味を押し付けるにはそれが一番楽だったのだ。


 そんなわけで、私の執筆歴的に官能分野の経験もあるということが言いたかった。今思えば、箸にも棒にもかからない駄文の集合体ではあるが。


 まあ、それ以前に、そもそも処女作からしてパンチラシーンがある。

 私の作品を友人たちが読むと「このシーン要る?」と口を揃えていうのだが、私の見解としては「物語上の必要性はないが、個人的な思想によって書いている」としか言いようがない。


 つまるところ、性的関心の割り切りだ。

 人間と性は切っても切り離せない。いくら御託を並べたところで興味があることは隠せない。地球で発生した生物は皆、自己形成、自己増殖する散逸構造。遺伝子を交配し、より環境に適した子孫を後世に残すことが種の至上命題であり、その役割として性があるのだから当然だろう。

(とはいえ、その考えも古く、最近ではぶっちゃけ「種ではなく、遺伝子が主体。肉体は遺伝子の乗り物」という感じの解釈らしいが、今回は割愛)


 そもそもからして、恋愛感情というもの自体が性的行為の過程の一つ。

 短い人生で全ての異性に巡り合い、パートナーとして選定することは不可能なので、とりあえずパートナーを決定するために「ぼく/わたしにはこの人しかいないと思い込む機能」こそが恋愛だという。うむ、ロマンも欠片もない。


 問題は、現代の人間にとって恋愛と繁殖がイコールではない点だ。恋愛描写をありがたがる反面、性的描写に関する抵抗感があるのはそういうことなのだろう。


 しかし、だからってなんでもかんでも規制をかけるのはどうなのよ。

 コンビニのエロ本撤去とかはいいと思う。見たくもないのに見せつけられるのは、興味のない人からすれば苦痛だろう。だが、そういったニュースが取り上げられると「エロは害悪」のような意見がだいたい出てくるのだが、それはさすがに短絡的ではなかろうか。そういうのは適性年齢になって、専門のお店で購入すればいいだけの話であって、性表現の是非を問うものではないと思う。


 臭いものにふたをするのは日本人の悪癖だが、それを悪と決めつけて思考放棄するよりも、生き物として性問題は切り離せない切実なものだと認識して、どう付き合っていくかを考えることが大事ではないだろうか。


 話が逸れた(いつものこと)。

 さて、前述した「恋愛は性的行為の過程の一つ」という前提で、作中における性的描写が必要か不必要かということを考えてみる。


 結論から言うと、私の中では「異性の主要キャラクターを登場させた時点で、すでに必要性が発生している」と思っている。


 ぶっちゃけて言えば、「そもそもヒロインが必要か」という話。


 作品に異性を登場させる必要性を考えた時に、最もオーソドックスな理由が「恋愛」を描くためだろう。

 それすらしないのであれば、残された理由はキャラクターバリエーションを増やすためという、なんとも薄っぺらい事情しかない。恋愛要素がなければ同性だらけでも問題ないわけで、あとは筆者が書き分けられるか、内面を魅力的に描写できるかどうかにかかっている。


 異性を登場させることの必要性は恋愛描写のため。

 それ以外の理由はおおよそないと言っていいし、仮にそれ以外の理由があるとすれば、それは作品のテーマに深く関わってくる部分だろう。


 そして恋愛を突き詰めていけば、それは性的行為に繋がっていく。それを具体的に描写をしようとするまいと、遠からず性的な物事に結びつく。


 なので、ヒロイン(男女問わず)を出し、それと恋に落ちる以上は彼、または彼女がどう魅力的で、どう心惹かれたのか表現しなければならない。その魅力の一つに性的な部分があってもおかしくないでしょ、という話である。


 ――つまり、恋愛はエロい。

 なので、異性が登場した時点である程度のエロ描写は避けられない(暴論)。


 もちろん、無性愛者を否定するつもりは毛頭ない。それはそれで個性だと思う。だがしかし、そういう風に明記されていない限りは、主人公というものは最大公約数的な価値観で動くものなのだから、押しつけだと言われても困るのである。

 少数を切り捨てる生き方を是とするつもりもないのだが、逆もまたできない。どちらも仲良くするには妥協が必要。それが本当の思いやりではなかろうか。


 それでは、「恋愛行為の延長としての性的描写はOKだと仮定して、では、それ以外のシチュエーションによる描写は?」と問われれば、それは「物語の必要性」によると言える。


 前述のようなシチュエーションで代表的なのは性暴力だろう。

 古くは「あーれー」「よいではないかよいではないか」、今どきでは「くっ殺」だろうか。どちらももはやギャグだが。


 性暴力を悪として描きたいと思っているならば、むしろそれの残酷さを表現しなければ読者には伝わらない。「これは悪いことだよ」と言っても、「どう悪いのか」が伝わらなければ意味がない。そして、それを経たことで、物語がどのように変化したか明確に表現しなければならないだろう。


 そこで問題なのは、どう描写するか、だ。

 表現方法については、媒体によるガイドラインが設定してあるので、それを順守することが一番だと思われる。


 スタンダードなのは直接的な名称や単語を避け、可能な限り隠喩表現を用いてぼかすというやり方だ。官能小説の起こりを考えれば、これもまた文学的な手法とも言えるだろう。もちろん、官能小説は性的描写を楽しむのが目的であって、ストーリーを展開させるうえでの必要性とはかけ離れているが。


 であれば、どこまでが直接的な名称や単語なのか、と。

 例えば、女性キャラクターの胸を表現する時に――胸。乳。乳房。バスト。おっぱいなど様々あるが、どれが直接的な名称と思うだろうか。


 いや、おっぱいでしょ。普通に。

 けど、「赤子におっぱいをあげる」という表現が性的かっつー話ですよ。

 こういうところ、日本語って本当に難しいと思う。


 どこかで線引きしないといけないが、どこで線を引くか。

 個人的には、性行為において必須の部位とそうでない部位で区別している。

 例えば、おっぱいはあくまで「子育て」に必要な部位だから、どこにフォーカスを当てているか、どんな単語を使うかに気をつければOK。

 スリーサイズも下着も、それ単体では「肉体的な特徴、個性を描写する」に留められるのでOK。

 しかし、陰部や体液については性行為を直に連想させる、というか基本的にそれが役割なので直接的に該当するため、名称も描写もNGといった具合。

 これならR15くらいのレーティングに収まるんじゃなかろうか?


 というか、視覚的に訴えてくる映像と違って、こちとら文字表現。

 読者個人の想像に委ねている部分が少なからずあり、そのイメージは読者の経験や語彙に依存するのだから、どれが適切で不適切かなんて定められないのだと思う。

 谷川俊太郎の詩の中に、上記の基準では書けないすげぇタイトルがあるのですが、あんな感性の人間だったら何読んでも性的描写に該当してしまう。


 なので、あまり深く考えすぎないのも書き続けられるコツだろう。

 怒られたら削除するか、修正すればいいし。


 え? それじゃあ、少女剣聖伝の二章のアレにはどんな意図があるんですか?

 どんな必要性があったんですか? 何を伝えたかったんですか?


 ――そんなの決まっている。

 私が女の子同士の絡みが書きたかっただけだ……!(台無し)

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