第1240話 「諦観」

 姿を現したのは――何だこいつ等は?

 胴体は人間のように四肢を備えているが、頭部は獣のそれだった。

 ゴブリンやオークと同じ亜人種の類か? それともこっちの大陸では希少な獣人?


 ……いや、まさかとは思うがこいつ等が目当ての喋る魔物か?


 さっぱり分からんが少なくとも人間と同等に近い知能がある事は確かだろう。

 何故なら連中はどいつもこいつも武器を手に持っており、鎧まで装備してるからだ。

 斧、剣が主だが素手の者もいる。 まぁ、武器なんぞなくても自前の爪があれば人間ぐらいなら楽に引き裂けそうだ。


 「……勝手に入ったのは謝るから話を聞いちゃ――くれねぇよなぁ……」


 俺は小さく溜息を吐きながら腰に差した二本の短槍を素早く引き抜き、片方を手元で回転させる。

 俺の魔力を喰らって愛用の武器は煙を一気に噴き出し、回転に乗って周囲の視界を一気に奪い取った。

 この状況で言い訳できると思えるほど俺は楽観主義者じゃない。 良くて捕まって拷問、悪くて消される。


 流石に好き好んで死にたい訳じゃないのでさっさと逃げるべきだ。 こういった判断は即座に行わないと生死に直結する。 踵を返して林に飛び込むべきなんだろうが、ここは意表をついて北側――荒野に逃げるべきだ。 周りにいた連中が何なのかは知らんが仮に亜人種だとしても山脈内を完全に掌握しているとは考え難い。 明確な敵ではない以上、亜人種の領域に踏み込めば連中も易々とは追って来れないはずだ。


 少なくとも追撃の手を緩める程度の効果は期待できる。 撒いた煙から飛び出すと同時に魔法で俺の姿をした幻を別方向に走らせる。 大した時間は動かせないが多少でも距離を稼げればいい。

 追って来るのは多くても半数――


 「――クソ」


 思わず小さく毒づいた。 驚いた事にほぼ全員が本体を追って来たからだ。

 他は畑に飛び込んでおり、明らかに俺をそちらに逃がさない為の動きだった。 何でバレたと一瞬考えたが、連中の頭を見れば納得だ。 恐らく人間以上に鼻が利くのだろう。


 臭いか何かで幻影と本体とを瞬時に嗅ぎ分けたのだ。 それぐらいの事さっさと気づけよと自分を怒鳴りつけてやりたかったが、我ながら焦っていると今更ながらに理解した。

 あぁ、そうだ。 今の状況はかなりヤバい。 恐らく人生で五指どころか三指に入る程の危機だ。

 

 捕まったら何をされるかも分からない恐怖もあって呼吸が緊張で僅かに乱れる。

 それでもどうにかなる。 俺は今までやってきた聖堂騎士としての経験と長年培った勘を頼りに逃げきってやると腹に力を込めた。 ここが踏ん張りどころだ。 北側からオラトリアムを抜けて亜人種の領域へ向かい、そこで派手な魔法を撃ちまくってうろついているであろう他の亜人種を呼び寄せる。


 その後は東のアコサーンを経由してメドリームまで戻ろう。 ムスリム霊山まで逃げ切れればあそこにはクリステラ達を筆頭に戦力が揃っているので追って来てもどうにでもなる。

 スタニスラスにはこの連中の事を報告すれば成果としては充分だろう。 ただ、明確にオラトリアムの恨みを買ってしまった俺は報復される前に早々に姿を消すべきだ。 逃げる先としては王都か、国の南側か――こいつ等の手が届かないならどこでもいい。 問題ない。 落ち着いて対処すればどうにでもなる。


 慌てると駄目だ。 落ち着け。 慎重かつ素早く思考を回してこの場における最適な行動を――

 そんな俺の思考は目の前に突如せり上がった氷の壁に断ち切られた。


 ……前準備もなしでここまでの規模の魔法だと!?


 氷の壁は分厚く高い。 想定外の事態に驚いたがまだ対処は可能。

 飛び上がるのは難しいが槍を突き刺して足場にすれば行ける。

 迂回すれば足が遅くなって間違いなく並走している連中に捕まるので、選択肢は正面突破だ。

 片方の槍を捨てるのは惜しいが命には代えられない。 高さと槍をどこに突き刺すのかを決め、投げようと投擲体勢を取る。

 

 「――半端に賢い者ほど単純な手に引っかかる」


 不意に響いた声を耳が拾ったと同時に足が何かに引っぱられ、転倒こそしなかったが動きが止まってしまった。 何だと足元を見ると地面から生えた木の枝のような物が俺の足首に絡みついている。

 それを見てさっと背筋が冷え、次いでやられたと何が起こったのかを悟った。 俺の思考と完全に読んだ上で意識を目の前に向けさせ、本命は足を引っかける事か。 悟ったところでもう遅かった。

 

 左右から斬りかかって来た奴らの斧と剣を槍でいなしたがそこまでだ。 足が拘束されている以上は膂力で敵わない俺にはどうしようもない。 二撃、三撃と積み重なった攻撃を前に受けきれずに片方の槍が手から飛び、脳天を割りに来た斬撃を残った槍で受けると同時に腹に衝撃。 蹴られて息が漏れる。


 同時に足の拘束が解けて吹き飛んで氷の壁に叩きつけられた。 何とか立て直そうとしたが次の瞬間には両腕を捻り上げられて取り押さえられる。

 

 「さて、こんばんは。 エルマン聖堂騎士。 何も見つからなかったと報告は受けましたがまだ何か?」


 押さえつけられて地面に張り付いた顔を上げると酷薄な笑みを張り付けたファティマがゆっくりとこちらに近づいていた。 服装は前に会った時と同様に高そうなドレスに手には短杖。

 その表情を見て明確な恐怖が湧き上がる。 表情こそ取り繕っているが、目が全く笑っていない。 


 平静を装っているが内心では怒り狂っているであろう事は容易に察しが付いた。

 ヤバい、ヤバい。 クソッどうすればいい。 打開する為の案が浮かばないので今は何とか考える時間を捻り出せ。


 「は、はは、どうも。 実はお伝えし忘れた事があったので戻って――」

 「ライリー」


 ポキリと嫌な音が響くと激痛が脳天を貫く。 畜生、指を折られた。

 

 「さて、色々とお聞きしたい事がありますので別室へご案内させて頂きますね」

 「ま、待っ――」


 後頭部に衝撃。 それを最後に俺の意識はぷっつりと途切れた。

 最後に見えたのはファティマの侮蔑の籠った視線。 そして最後に考えたのはあぁ、これは終わったなといった諦めだった。

 


 次に目が覚めた時は薄暗い部屋と所狭しと並べられた拷問器具の山。

 装備や所持品は全て奪われ、身に着けているのは動きを封じる為に着せる拘束衣で、体は椅子に固定されていて動けない。 恐らくこれから知っている事を洗いざらい喋るまで痛めつけるんだろうなと他人事のように考え、遠くから近寄って来る足音を聞いて終わったと脳裏に諦観が満ちた。

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