第1200話 「梼原」

 ――前線壊滅。


 致命的な報告がファティマの下に届く。

 アブドーラが死亡し、殿の者達が僅かに残っているだけでもう戦場は山脈に移行していた。

 その残っている者も斃れ、最後まで生き残っていたアクィエルが能力によって食い止めていたが、ファティマの視線の先で敵の群れに呑み込まれて消える。


 これで後退した者を除き、前線で戦っていた者達は一人残らず全滅した。

 制空権は完全に奪われており、飛行可能な改造種やレブナントは八割方死亡。

 サイコウォードも大破し、エグリゴリシリーズもそろそろ残り三割を切る。


 ディープ・ワンが全滅、ミドガルズオルムは死亡、首途の歩行要塞も大破。

 その為、敵の戦艦型の個体を抑える存在がほぼいなくなってしまい、山脈全域に艦砲射撃が雨のように降り注いでいる。 ズシンと城が大きく揺れた。


 小型の飛行個体がジオセントルザムの上空に入ってきたからだ。

 戦況の悪化に伴い、街にいた非戦闘員まで防衛に駆り出す羽目になっていた。


 「エルジェー、ボグラールカ、マリシュカ。 行きなさい」


 ファティマは険しい表情で護衛に街の防衛に出るように命令する。

 護衛の三人は小さく「お任せを」と応えると、城に残っている戦力をかき集めて出て行く。

 ベレンガリアの傍に居た柘植と両角も武器を手にそれに続こうとしていた。

 

 「……い、行くのか?」

 

 咄嗟に二人を引き留めようとするが、柘植はベレンガリアの頭を撫で両角はポンと肩を叩いて頷く。

 

 「お嬢、心配すんな。 防衛に出るだけで無理はしない。 なーに、すぐに戻って来るさ」

 「わ、私を一人にするな」

 「あったりまえだろうが、お嬢みたいな危なっかしい奴を放っておけるかよ」


 泣きそうになっているベレンガリアに笑って見せると二人は他に続いてその場を後にした。

 ファティマは険しい表情のまま無言で山脈での戦いを眺める。

 当然ながら押し込まれる事は想定していたので山脈内部にも相応の備えは施してあった。


 あちこちから魔力による光が発生しており、戦闘している者達の傷を癒す。

 メイヴィス達による権能だ。 慈愛を冠する権能は四大天使の支援に上乗せされ、効果範囲内にいる者達の身体能力を大きく引き上げ、傷を癒すが敵の攻勢が激しすぎるので即死する者が多く焼け石に水だった。


 そして恐れていた事態が起こる。 早い段階から戦線を支えていた四大天使――ミカエルが敵の集中砲火を受けて斃れたのだ。 天使は召喚されただけの存在であるので、再召喚すれば再び戦闘は可能だがこの状況ではその再召喚までの時間は致命的だった。

 

 一角が崩れると他へかかる負担が並外れて大きくなる。

 特に支援を担う他の三つの内、どれかが落とされるともう取り返しがつかない。

 ラファエル、ウリエル、ガブリエルへの攻撃密度が大きく上がり、その体に損傷が刻まれる。


 ――ここまでですか。


 ファティマの胸に諦観が満ちる。 四大天使が落ちれば次は聖剣使いだ。

 聖剣使いが落ちれば穴の拡大が加速と同時に味方への魔力供給量が落ち、敵の攻勢が更に激しさを増す。 そうなれば山脈は瞬く間に呑み込まれこのジオセントルザムも終わりだろう。


 空では月が随分と傾き、微かに白み始めていた。 このままでは朝を待つ事なく全滅となる。

 布石は打ったが、この様子では間に合わなかったか機能する状況ではないか。

 どちらにせよ負けまで秒読みだ。 ファティマは悔し気に手を握りしめる。


 無念。 ただただ無念だった。

 主の期待に応えられない事ともう会えない事を想うと悲しみが込み上げる。

 諦めが満ちようとしていたが、それでもと彼女は最後まで采配を振るい続けるだろう。

 



 「武器を持っている者は応戦! そうでない者は避難しろ!」


 山脈を越え、ジオセントルザムへと到達した敵が街中で猛威を振るう。

 街の防衛に最低限の戦力しか残していないオラトリアムは早々に苦戦を強いられる事となる。

 特に前線へと支援射撃を行っている列車砲は優先的に守らなければならなかった。


 この状況では非戦闘員だからといっていられる状況ではなく、大半の者達が避難せず支給された銃杖を片手に敵へと攻撃を仕掛ける。

 彼等は動揺こそしているが普段から最低限の訓練を行っているだけあって動きは悪くない。

 

 それでも虚無の尖兵相手には力不足だった。

 ゴブリンの工兵が斬り倒され、オークの作業員が魔法で吹き飛ばされる。

 そんな中、梼原は必死に負傷者を回収しては避難所に運んでいた。 こうなる事は覚悟していたが、目の当たりにすると恐怖に足が竦む。 それでも彼女は動けないオークに肩を貸し、倒れたゴブリンを抱え、死にかけているトロールや改造種を担ぐ。


 街が破壊されているのを見て涙が込み上げる。 今まで過ごして来た日常の象徴が破壊される事は思った以上に梼原の心に大きな衝撃を与えたようだ。

 避難所でも戦闘が繰り広げられており、食事の用意や負傷者の治療に当たっていたダーザインの者達も戦闘に参加せざるを得ない状況だった。 ガーディオが銃杖でシグノレが移植された悪魔の部位による魔法で支援し、ジェルチ達が撹乱しつつ敵の数を減らす。 ただ、負傷者を庇いながらなので、思うように戦えずに次々と倒れて行く。


 「あぁ、もう! これじゃ保たない! ガーディオ、シグノレ、城の方へ逃げよう!」

 「――おい、負傷者どうするんだよ! こいつら置いて行くのか!? ウチの常連だぞ! 見捨てられるかよ!」

 

 ジェルチが逃げる判断をしようとしているが、それにガーディオが怒鳴るといった普段なら意外な光景が広がっており、シグノレはこれから死ぬのかと恐怖に震えつつ必死に応戦。

 見知った者達の危機に梼原は担いでいたオークをそっと物陰に隠すと何度も深呼吸する。


 怖い。 怖くてたまらない。 ただ、ここで何もしなければもっと怖い事になる。

 自分が半端に乱入したところでたかが知れているので、やるなら徹底的にだ。

 訓練はしているのでやり方は理解している。 彼女は自らの内にかかっている枷を外す。


 転生者の切り札である解放の使用。 梼原の身体が数倍に巨大化し、感覚が研ぎ澄まされる。

 彼女は戦いの渦中に飛び込み、皆を庇うように前に立つ。

 戦い方は教わっている。 後は躊躇いを捨てるだけだ。


 梼原は長い舌を鞭のように振り回し、虚無の尖兵を薙ぎ払う。


 「ユ、ユスハラ、あんた……」

 「下がっててください!」


 転生者にとって解放がどう言った意味を持つのかを理解しているジェルチが思わずその背に声をかけるが余裕が全くない彼女は取り合わずに目の前の状況にだけ全てを傾けた。

 使ってしまった以上、もう後戻りはできないのだから。

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